2008年8月14日木曜日

『American Gothic』から考える












シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)へ行ったときのこと、『アメリカン・ゴシック(American Gothic)』という、あまり日本の西洋美術史の授業では重要視されていないであろう絵画に出会いました。この何とも言えない奇妙な存在感を放つ作品は、アメリカ人画家グラント・ウッド(Grant Wood/1891-1942)が1930年に発表したもので、20世紀のアメリカを代表する最も有名な絵の一つだそうです。

そう言われてもなぜこの絵が?と未消化の感覚を抱えたままフィラデルフィアに戻り、アーティストの友人に聞いたところ

「これはアメリカ美術史では必ずでてくるわね。それまで絵画の対象にならなかった農夫とその娘を描いたというところも意味があるし、さらにこの絵はよくパロディーに使われるのよ。男性をブッシュ大統領にするとか。私も友人の結婚式にこのパロディーを作品にして描いてあげたことあるわよ。ものすごいリアルに男性の顔を新郎に女性を新婦にして、彼にはエレキギターを彼女には編み針を持たせたの」

なるほど。現代アメリカ美術のイコンのようなものかもしれません。確かに調べてみるとこの絵のパロディーは山のようにでてきました。
http://images.google.com/images?ndsp=18&um=1&hl=ja&lr=&client=safari&rls=ja-jp&q=American+Gothic+parody&start=0&sa=N

さらにもう一点。建築三昧だったシカゴ旅行で最後に目に留まったのがこの絵の背景になっている白い家です。タイトルも『アメリカン・ゴシック』だし、この家もオークパークでライトの建築の陰に隠れるようにして建っていたゴシック様式の家に似ています。

そもそものゴシック建築とは、ロマネスクに続き中世西ヨーロッパで広まった建築様式です。12世紀中頃北フランスに興り、各国に伝わりルネサンスまで続きました。パリのノートルダム大聖堂などが有名ですね。特徴としては尖頭アーチ(尖塔アーチという表現もありますがどちらが正しいのかはよく分かりません)、円形状の天井(リヴ・ヴォールト)、外壁を支える斜め上がりの構造物である飛梁(フライング・バットレス)が一般的に言われるところです。またこの構造により大きく窓を取れるようになったことから、色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、外部の光を取り込んだ建築となりました。

教会建築の一時代を築いたゴシック建築ですが、ルネッサンス期になると突然その評価が下がってしまいます。そもそも「ゴシック」の原意は「ゴート人の」を意味する言葉で、ルネサンス期の15-16世紀に、イタリアの美術家アントニオ・フィラレーテやジョルジョ・ヴァザーリらが、中世時代の美術を粗野で野蛮なものとみなして、「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する、後からつけられた蔑称なんですよね。

そんな過去の遺物となってしまったゴシック建築ですが、18世紀後半から19世紀にかけて中世の研究が進んだこともあり、「ゴシック・リヴァイヴァル」として復活します。イギリスからスタートした「ゴシック・リヴァイヴァル」は、18世紀後半にはフランス、ドイツに、その後イタリア、ロシア、アメリカに広がっていきます。代表的なものとして、チャールズ・バリー(1795-1860)の設計によるイギリス国会議事堂があげられますが、こうした大型の公共建築物に限らず、個人邸宅のデザインにも取り込まれていったのです。

『アメリカン・ゴシック』の背景になっている白い家も、垂直のラインを強調した切妻屋根や、はざま飾りの窓など、まさに「ゴシック・リヴァイヴァル」の様式が見て取れます。この家はアメリカ中西部のアイオワ州の街Eldonに実在し、今でも名作のモデルとして有名になりそのまま残されています。

手元のシカゴ美術館ポケットガイドによりますと、
「『アメリカン・ゴシック』は、グラント・ウッドがアメリカ中西部の気品ある人々の性格だと信じた、清教徒の倫理的価値観と美徳を典型的に示したものです」
ということです。イメージが一人歩きしてパロディー格好の材料となってしまったこの作品ですが、この説明にあるような当初の意味や精神というものは現代のアメリカ人の血の中に未だ残っているのでしょうか?

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