2010年10月30日土曜日

原点回帰

横浜の友人宅のマンションより地平線を臨み、厚くたれ込めた雲海から顔を覗かせる青い尾根の美しさに、息をのんだ。富士山が見えなくとも、日本の景色には趣がある。むしろ富士山なんか見えない方がいいのかもしれない。あんな仰々しい、自己顕示欲の強い山。

ビザ更新のため、一時帰国中。帰国2日目にして、朝霞駐屯地で開催された陸上自衛隊の観閲式へ行き、菅直人を拝んできた。観閲式とは海上、陸上、航空の各自衛隊が、3年に一度開催する一大行事。戦車や戦闘機、隊員や防衛大学の学生らによるパレードやデモンストレーションが、数時間に渡って繰り広げられた。一糸乱れぬ行進を披露するため、1カ月は練習をするのだとか。

もっと物々しい世界を想像していたが、自衛隊のイメージアップのためのお祭りといった感じで、たこやき・焼きそばなどの屋台や、自衛隊グッズの販売などもあり、その道のマニアの方々は望遠カメラで興奮気味に戦車の写真を撮っていた。実に平和な風景である。

友人宅を点々としながら、ビザの発給を待っている。パスポートが米国大使館から送られてくるまで、足止め。しばし締切に追われる生活と、英語の恐怖から離れホッとする日々。今後当分は帰国できないので、お世話になった多くの方々にお会いし、お話をうかがっている。以前の上司、大学の教授、お世話になったジャーナリストの方々、旧友たち、足しげく通っていたバーのマスター、昔の恋人…。

昔の恋人に会うというのも不思議な感覚だ。あまりにも会っていない時間が長いと、そこにあったであろう錆び付いた愛の痕跡を意識するものの、それが喜びにも悲しみにもならない。あえていうならば、かすかな疼きと違和感。化石を掘り当て、掌においてじっと見つめる感覚とでも言おうか。それが眠っていた地層や保存状態から、歴史を紐解く鍵ともなるが、己を考古学的に分析するのには勇気がいる。そっと大地に戻し、砂をかけるほうがいいと最後には判断する。

海外に長期滞在後、母国に戻ると、好むと好まざるとに関わらず、原点回帰を強いられる。異国で暮らすことを選んだのは私の意志であり、そこには責任が生じる。自由と自己責任はセットで購入しないといけない。そして母国に帰ると、意識的に二足歩行を始める前の、己のカオスの時代と向き合うことになる。忘れてしまっていたのか、忘れてしまいたかったのか。

過去は憎しみの対象となりがちで、時折激情に突き動かされ、整形手術前の写真のように(これはあくまで比喩で、私は整形手術はしていない。手術をしてこの程度の顔では、ヤブ医者だ)葬りたくなる。だが、時には整形前の顔を見つめないといけない。隠したシワや、取り去ったたはずの顎のラインに、真実が隠されており、そしてそこに今後の生きるヒントがあるはずだから。

雲はとうとう山を覆い尽くし、灰色の重い空は街をも飲み込んでいく。雲の向こうの山は見えなくても、ある事実は変わらない。見えたり見えなかったり、美しい顔を覗かせたり、さらにその向こうに威風堂々と富士山が立ち上がったり。一時の風景で世界を褒めちぎることも、糾弾することもできない。己の原点もしかり。呼吸を整え、時間をかけて定点観測をする必要がある。。