2014年11月29日土曜日

サンチョ・パンサと神父

「サプライズがあるから早く帰っておいで。近所のビアガーデンにいるから」
と夫に言われ、残業を何とか切り上げ、凍てつくような寒さのなか店にたどり着いた。

「サプライズって何だろう。まあ、あの人のことだから子豚の丸焼きくらいかしら。花束でも持っていたらいいんだけどさ」と、それでもちょっとは期待しつつ、広い店内を夫を探して歩く。

「こっちこっち」と声がして振り返ると、夫がサンチョ・パンサと一緒に笑顔で手を振っているではないか!!
サンチョ・パンサと私がこっそり呼んでいる、このぽっちゃりした、ひげ面のちょっと間抜け面の男は、夫が3歳の頃からの幼馴染み。スペインへ里帰りをする度に会っているけど、いま何故ここに?

混乱を抱えたまま、激しいハグとキスの嵐を力なく受け止め、「ええと、何で?」と夫に訪ねると、満面の笑みで「遊びに来てくれたんだよ。雅子を驚かせようと思って内緒にしていたんだ。これからうちに6日間泊るから」。

サプライズってそれか…。

サンチョ・パンサは母親を亡くしてから引きこもりになり、私と同じ年くらいなのに、いまだに実家で父親と暮らしている。ガールフレンドなし。ドラマーとしての腕はいいらしいが、それではなかなか食べていけず、自動車修理工、ビルの窓そうじの仕事など、あれこれやってみるものの長続きしない。思いつきで運転代行ビジネスを始めたものの、ビジネスの才覚ゼロで全く軌道に乗らないまま廃業。実家でやさぐれてマリファナばかり吸って「まだ自分にしっくり来る仕事はない」などとうそぶいている、絵に描いたような”負け組”。通常だったら、お付き合いを避けたい相手だ。だが、幼馴染みの絆はダイヤモンドよりも固い。博士課程修了の有能な化学者は、学歴差、収入差といった、つまらない条件で友達を捨てたりはしない。
「だってお互いのいびきから、おならの音まで知り合った仲だもの」

そんなサンチョ・パンサ、最近、親戚のおじさんバンドにドラマーとして加入したところ、バンドが有名になってきたため、ライブやレコーディングで収入が増えてきたらしい。というところまでは知っていたが、なぜ、このタイミングで我が家に来たのだろう?

「ぱあっと有り金を全部、アメリカでの買い物で使いはたすつもりさ!」とニタニタ笑うサンチョ・パンサ。いやいや、それはやめておいたほうが良いと思うのだが…。

今日はサンクスギビングデー明けの金曜日。盆暮れが一度に来たようなこの期間、木曜から日曜まで4連休を取り故郷に帰るアメリカ人が多い。夫はその風習に従い4連休。日系企業に勤める私は、金曜日は通常勤務。

ガーゴーガーゴー、派手ないびきをかいているサンチョ・パンサの横で、一人早起きして朝食を作り始めたところ、ぴたっとその音が止まった。むくっと起き上がり「おはよう」ってあんた、白いブリーフ一枚でほぼ全裸じゃないですか…。
いやいや、知っていますよ。リスボン経由のフライトでスーツケースを紛失して、パスポートと財布のみ握りしめ、着の身着のままで来た事は。でも、夫に言えばパジャマくらい貸したでしょう。そんな私の心の叫びにまったく気付かず、その姿でスタスタとバスルームへ。ここはもう、あんたの実家状態なのかい?さすがに夫を通じて、二度とその格好で家の中を歩くなと釘を刺した。

サンチョ・パンサでもう何人目だろう?ニュージャージーで夫と暮らし始めてから我が家を訪れ滞在していったスペイン人は。

スペイン語には「わたしの家はあなたの家」という意味の「Mi casa es su casa」という表現がある。知人が泊りに来たら大歓迎し、もてなすというのが風習とされている。確かに私がスペインへ行く時も、ホテルにはほとんど滞在せず、親戚、友人の家を点々とすることが多い。だが、逆の立場になり、この家を我が物顔で闊歩するスペイン人を見ると、どうしてもホテル代を浮かせ、NY滞在を安くあげるために利用しているのではというネガティブな印象が、しこりのように胸の中で大きく固くなってくる。

11月頭に我が家を訪れたのは、パナマ在住のスペイン人神父だった。義父が若かりし頃、神父を志して通ったカトリックの学校の教師だったという。義父は神父になる道を断念したが、それ以来家族ぐるみの中だそう。

この神父、現在76歳。ドミニコ会(カトリックの修道会)に所属し、貧しい人を救うため40年以上パナマで神父として活動をしている。スペインに帰る度に、夫の両親宅に長期滞在するとのこと。夫を子供の頃からかわいがっていて、メンターのような存在だから、くれぐれも丁重にお迎えするようにと言われていた。

糖尿病を患い、心臓の手術を3回したという、足が不自由な神父は、それはそれは穏やかでおおらかな、まさに神々しいオーラを発していた。私の「神父に定年はあるのですか?」「七つの大罪って何でしたっけ?」などという愚問にも、一つ一つ丁寧に答えてくれ、食前には私と夫の手を取って結婚を祝福する祈りを捧げてくれた。

浅はかな功利主義的、資本主義的、商業主義的、ギブ&テイク思想に芯まで染まった私に、「愛(LOVE)」の大切さを説く神父。

「誰かを愛そうなどと思った時点で、それは愛ではないのだよ。愛とは心の中から自然に湧き出てくるものでなくてはいけない。そう、母親が子供に無償の愛を捧げるようにね。それこそがシェークスピアのハムレットに出てくる『To be, or not to be』の『to be』、そう人間が人間たらしめるものなんだ」。

そして神父はおっしゃた。
「わたしは刺身が食べたい」

マンハッタンのそこそこ有名な寿司レストランまで、タクシーを使って連れて行ったところ、まあ、食べる事、食べる事。そして夫が何も言わずに支払い、神父は払うそぶりすら見せない。そんな調子で彼は我が家に滞在した数日間、「祝福」以外のものは何もくれなかった。最後の日は、午前6時に起床して、夫の車でJFK空港まで送った。家を出る前「糖尿病だから甘いものは控えているけど、いざというときのために口に入れる甘いものがあると気が休まる」というから、日系スーパーで購入した抹茶ポッキーをあげた。(食べたかったのに…)

さすがに、家に戻る車の中で夫に聞いてしまった。
「なぜ、あの人は1ドルたりとて払わなかったの?我が家に泊るんだから一回くらい食事おごってくれてもいいんじゃないかしら?」

その質問に夫は大いに機嫌を損ねた。
「そんなことは、思ってもいけない。彼は貧しい人たちに希望と愛を与えるために全人生を捧げてきたんだ。彼個人が所有するものなど何もない。遠路はるばる来てくれた事に感謝しなさい」

真の意味での「お・も・て・な・し」ってこういうことを言うのだろうかと思う日々。つまりこちらから与えるという傲慢さではなく、その人がはるばる我が家に来てくれたこと、その行為に感謝をし、彼らなりの愛を受け止め、こちらも無償の愛で返すこと。

そこで思い出したのが、大切にしていた盆栽の木をくべて旅人(実は北条時頼だった)をもてなした『鉢木』の逸話。ただこれは、鎌倉武士の忠誠心が実を結んだというのがポイントで、「盆栽」に対して「恩賞」という、ギブに対するテイクがあったということ。そう考えると無償の愛だったのかどうか、あやしくなってくる。

いずれにせよ、「例えそれが人のものだったとしても、仕事でも恋人でも、奪えるものは奪ってしまえ。取られる方が阿呆よ。それでグリグリとのし上がって、自分の社会的ポジションを獲得していくのが生きるということ。勝ち組になるってこと」という考え方に染まりやすい(しかし不器用なので、そう簡単には成り上がれない)単純思考の私には、こういった異文化からの刺激は、考え方を改めるいい機会だと捉えることにしている。

「そんな薄情なことでは、あきまへんで」と教えてくれているのかなあと。でも善行を積んだ最終的な代償として、キリスト教には「天国へ行ける」というご褒美があるんじゃないの?という懐疑はぬぐい去れない。

2014年11月24日月曜日

New York in Black and White

最近撮影したモノクロ写真6枚。



ニューヨークの地下鉄駅構内でパフォーマンス中の、ブルックリンを中心に活躍するバンド「Brown Rice Family(ブラウンライス ファミリー)」。ジャンベを演奏するプロデューサーの飯田祐一氏を中心に結成されたグループ。今年、来日公演もした。たまたま取材帰りに発見。



19階にあるオフィスの窓のちょうど正面に見える、アールデコ調のビル「20 Exchange Place」の外壁に施された彫刻。このビルが完成したのは1931年。NY市のランドマークに指定されており、スパイク・リーの映画『インサイド・マン』にも登場する。



建設中の1ワールドトレードセンター前に置かれた、騎馬兵の彫刻「America's Response Monument」。9.11同時多発テロ事件の報復として、アフガニスタンのタリバン政権に対して開始された、一連の軍事作戦に従事した特殊部隊の功績を称えて、2011年に設置されたブロンズ像。



2011年に起きた、「Occupy Wall Street」(ウォール街を占拠せよ)のデモの舞台となったズコッティパーク。その面影はなく、なんとなくアメリカの景気も回復したようで、ライトアップされた木々が冬の到来を物語っている。



取材で訪れたの米系のオフィスにあったシマウマの敷物。もう少しで頭を蹴っ飛ばすところだった。個人的には動物の顔部を壁に飾ったり、敷物にするのはあまり好きではない。動物愛護団体の活動が活発なアメリカでも、あるところにはこういうものが存在する。モノクロ写真にすると、シマウマの悲しみが伝わってくるようだ。



ハドソン川を渡るフェリーから見る「自由の女神」。モノクロにすると突然、故郷を捨て、アメリカでの新生活に夢と希望を抱き、船で遠路はるばる渡って来た移民の気持ちが憑依する。

2014年11月1日土曜日

悪魔、ハロウィーン、マラソン、犬

昔愛した人に年月を経て会うと、大抵の場合、相手が私より老け込んでいたり、あまり幸せそうではないことが多い。

不謹慎を承知でガッツポーズ。

「あなたのパワーは全て私が吸い取ってレベルクリアして、より高いレベルの男へ移ったのよ」と高らかに笑う。

例え相手から去られたり、お互い泣く泣く別れた人に対しても、そう思える図々しさよ…。

いやむしろ、そういう相手だからこそ、烈火のごとき復讐心に燃えるのかもしれない。

己の心根の悪さに嫌悪感を抱く。「それでも相手が元気でいてくれたら、それはそれで嬉しいものだ」と、言い聞かせてみるも、今更遅い、取り繕い。

許されざる悪魔的な部分を、心の中の小さな檻に飼っており、それが時折、鎌首をもたげるのを感じながら、こいつと付き合って生きていくのしかないのだと思う。それが己を蝕むガンのようなものであり、同時に原動力だということも承知の上で。

世の中、ハロウィーンのどんちゃん騒ぎ。ヒヨコの着ぐるみが、アタッシュケースを持ってウォールストリートを闊歩し、頭の両側からナイフが飛び出した(ジャミロクワイに見えなくもない)若者がカフェでコーヒーをすすっていた。

そして日曜日はニューヨーク・シティ・マラソン。

私は午後11時近くまで残業。からの、落ち込んだ後輩を飲みに誘って、アイリッシュパブでおごり、まあ最終的には自分で解決していくのだろうと楽観視することに。からの、終電に飛び乗り、小雨が降る中、足早に帰宅してキムチチャーハンをビールで流し込む。週末も仕事、仕事、仕事。また楽しからずや。

そういえば、初めてューヨーク・シティ・マラソンを知ったのは、村上龍の同名の小説を含む短編集だった。思春期の当時、その強烈さが胸に焼き付いたような気もするが、内容はうろ覚え。もう何年、彼の本を読んでいないことだろう。そしてニューヨークに来て5年くらいになるが、一度もこの目でランナーを見た事がない。

今読んでいるのはワシントンD.C.を舞台にした、推理小説で知られる作家、ジョージ・P・ペレケーノスの『ドラマ・シティ』。この人の本はいい。街の息づかい、空間のひずみ、都市の抱える腐敗臭が、おかしなツイストをかけず、ストレートに伝わってくるようで。翻訳者がいいのかもしれないが。

濡れた犬の鼻に触れたくなった。元気かな吾郎。