2016年1月17日日曜日

魚料理の楽しみ方(ブランジーノ)

日本では簡単に手に入る、イワシ、アジ、ホッケ、ブリ、メバチ、タチウオといった魚は、アメリカの普通のスーパーマーケットではまず手に入りません。ニューヨークにある日系のスーパーマーケットまで行けば、刺身になった魚か、やや目の濁ったイワシやアジの干物、季節によってはサンマくらいは手に入ります。高級寿司レストンへ行けば、さすがニューヨーク、築地市場直送の魚を使った旬のネタもいただけますが、お値段が目玉が飛び出るほど高いので…。

アメリカで多分もっとも普及している魚はサーモン、フラウンダー(ヒラメ)、ティラピア、モンクフィッシュ(アンコウ)、ツナ(マグロ、刺身で食べる勇気はない)あたりではないでしょう。鮮度が信用出来ないので、日系スーパーで「刺身用」として売られているもの以外は、基本的に火を通していただくようにしています。そうでなくとも、調理法としてグリルして食べるのが一般的です。

なかなか日本のように美味しい鮮魚(特に青魚)は手に入りませんが(今私が一番食べたいのは「なめろう」です)、工夫すれば魚料理も楽しめます。来米してから知ったのが地中海産のブランジーノ。バターのような、なめらかな食感と一度食したらとりこになる品のあるうま味があり、自宅でも上手に調理すれば絶品料理になるということが分かりました。

写真は、夫がオーブンでローストしたブランジーノ。仕上げに、ガーリック、唐辛子、レッドワインビネガー、オリーブオイルでできた熱々のオーリオソースをジュワーっとかけていただきます。

付け合わせは(こちらも夫の得意料理)茹でたチャードとジャガイモを、手作りベシャメルソースとローストした松の実で和えたもの。仕上がりはお好みでしょうが、わたしはベシャメルソースがどろりと具材と濃厚なカラミを見せる方が好きです。ナツメグを隠し味に使うのがポイントとのこと。お供はスペイン、ガリシア地方のアルバニーニョ種のブドウでできた、すっきりとした味わいの白ワインでした。

朝食と昼食を兼ね備えた食事のことをブランチと言いますが、これは朝食、昼食、夕食を兼ね備えた、いわば「ブランチナー」。つまり遅く起き、食材を買いに走り、ビールを飲み、オリーブをつまみながら調理をし、本格的にワインを開け食べはじめたらもう夕方。一食しか食べる時間がないのです。1日は短いですね。

以前はこの夫が提唱するスペイン的ライフスタイルについて行けず、散々飲まされた後、酔いが冷めると、私は一日だらけていた、何の進歩も見られない一日を過ごしてしまった、何のために一日を過ごしたのであろうか、と激しい罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになり、ポカポカ頭を殴ったり、柱に頭を打ち付けたりする日々が続いたのですが(すでに酔っぱらっての自己嫌悪ですから激しいのです)、最近「人生とは美味しいものを食べ、楽しむものである」という夫の哲学にすっかり洗脳され、一応は体重が増えすぎないように意識をしつつも、ラテン系のお気楽週末の過ごし方が身に付いてしまいました。(仕事が終わらないので明日は自主的に出社して仕事をしますが)。

とはいっても、胃が弱っているときは、お粥が欲しいなあと思いますが…。

2016年1月2日土曜日

年越し大宴会は踊る

Happy New Year.
¡Feliz año nuevo! (フェリス・アニョ・ヌエボ)
明けましておめでとうございます。
大晦日から新年にかけて、いかが過ごされましたか?インターネット上にアップされた写真で見る限り、元日はいいお天気で、青空に映える富士山が各地で拝めたようですね。羨ましいです。お雑煮が食べたい…。

私は夫は、ニュージャージー州ニューアーク市のクラブ・エスパニャ(バーとレストランがついた県人会館のようなところ)で開催された、スペイン移民(主にガリシア地方出身者)とその家族、約250人の老若男女が集う年越し大宴会で年を越しました。
午後7時から午前2時過ぎまで、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って…
と、果てしなく続くと思われる時間の中、年が明けていきました。

スペイン流のハードコアな年越しは、胃弱かつ、リズム感がなく踊るのが大の苦手な私には辛いものがあります。

特にダンス…。音楽と踊りが生活の一部という国の人たちは結構いて、今までに出会ったヨーロピアン、中南米出身者、アフリカンアメリカン、ジューイッシュなどの人たちは、それぞれのルーツのリズムや踊りが子供のころから身に染み付いている人が多かったです。彼らはパーティーのダンスタイムが楽しくて仕方がないようですが、盆踊りすらろくに出来ない私は、このパーティーにつきもののダンスタイムが非常に、非常に苦痛です。

君たちはこの世に踊れない人がいるなんて想像もできないのね。とため息。断れないので無理矢理踊っているふりをしていますが、明らかに一人不格好。ステップもおかしい。手拍子すらズレる。鹿鳴館時代に生まれていれば、もうちょっとましだったのではないかとすら思います。その国の言語なんか話せなくても、彼らと一緒に踊る喜びを共有できれば、すっと懐に入って仲良くなれるはずです。生まれ変わるならダンスの才能がある人になりたいものです。

さてさて、壁の花子の恨み節は置いておいて、今年もこの情熱的な夫との愛を深め、時に激しく喧嘩をしながらも、なんとか手を取り合って生きていきます! よろしくお願いいたします。