2010年4月20日火曜日

豚の解体クラスへ



小雨の降る夜、キッチン用品や手作りソーセージが揃うこじゃれた「ブルックリン・キッチン」に、女性向けの素敵なクッキングクラスがないかと取材に来た私の淡い期待は、見事に裏切られた。

電話で何回も確認はしたのだけれど。
「その場で切った肉を、この部位はこういった調理法がいいと教えてくれるのよね。そこで調理したものを参加者は食べられるの?」
「うーん、そうね。たぶん…。まあ参加している人たちはいつも何か食べているわ」
「切った肉は持ち帰れるの?」
「その肉はだめだけど、受講料のうち20ドル分は店内の商品が買えるクレジットよ。あのさあ、私ベジタリアンだからよく分からないのよ」。
と、怪しさ満点ではあったが、どうしても見ておきたいという誘惑には勝てなかったのだ。

精肉台に横たえられた、首のない半身の豚。
マイケル・ムーアを彷彿とさせる、小太りでメガネのブッチャーは、缶からビールをグビグビ飲んでおり上機嫌だ。

この「豚の解体クラス」に参加するのは、同じく缶ビールを持った5人の男性。うち二人はレストラン経営者とのこと。他に大型のビデオを回している男性が1人、カメラを構えている女性が二人。このあたりは関係者だろう。

ブッチャーは大いに語る。信頼のおける良い農場から仕入れた良質な豚肉が、どんなに素晴らしいか。そしてビールを飲む。時折肉包丁を腰につけた磨ぎ棒でシャッシャッと研ぐ。そろそろ切り始めるかを客は固唾をのむが、まだまだブッチャーはしゃべり足りないらしい。

ようやく長い前座が終わり、まず切り取ったのがちょこんとついていた腎臓。それから脂肪分。ヒレ、ローイン、足、バラ肉…。さまざまなナイフを使い分け、器用に切り分けていく。
「この部分はソーセージにいいんだ」、「後ろ足の部分は生ハムにするんだ。このブラウンシュガーと塩を混ぜたものをまぶすんだぜ」などと、なかなか講義内容も充実してきた。シェフの客はしっかりメモを取っている。途中、助手が隣のキッチンで自家製ソーセージやもも肉を炒め、まな板に乗せて運んで来てくれる。いい香りだ。オトコたちは争うように指でつまんで、口に放り込んでいく。ビールのつまみにはぴったりだろう。私も1つもらう。上質な脂の香りが舌に溶け、実にうまかった。

肩肉を切り離すと、別のブッチャーがバットを取り出した。そう野球のバット。それで肉を叩いていく。こうすることで肉が柔らかくなり、肉に残った血液も出してしまえるのだとか。細かい肉片が飛んできて、間一髪でかわした。

最後に解体した豚の部位を全て元通りに組み合わせ、拍手。2時間に渡る「豚の解体クラス」は終了。観客はほろ酔い顔で口々に「楽しかったぜ」と言いながら帰っていった。

途中、脳みそをフル回転して、このクラスをどうNYで楽しめる日本人女性向けのおケイコページに紹介するか考えたが、結局やめることにした。昨年はインド舞踊や、ガラスモザイクのお教室や、裁縫クラスを紹介したコーナーに、今年は「豚の解体クラス」を載せるというのはやはりおかしいだろう。という、多分しごくまっとうな結論に達したためである。

2010年4月11日日曜日

深夜の不条理劇場

ニューヨークの地下鉄は24時間営業とはなっているが、夜になると本数が少ない上、長引く工事のためダイヤが変更したり、走行していない路線があったりして、非常に使い勝手が悪い。その上、深夜の地下鉄の駅にはおかしな人が出没する。

ひょろっと背の高い白人の男が近づいてきた。精神異常者のような不安定な定まらない視線に、私は体を堅くした。その瞬間、その男はこう言った。
「ごめん。突然話しかけて。僕すっごいシャイだから、今まで誰にも告白したことないんだけど、君には聞いて欲しいんだ。あの、僕ゲイなんだ」
二の句が継げない私に、そいつはこう続けた。
「誰かゲイの男友達がいたら、紹介して欲しいんだけど」

ささやくような声だが、へんな迫力があり、無視できなかった。
「日本にはゲイの友人はいるけど…」
「その人はニューヨークには来ないの?」
「いや、来ないと思うよ」

おかしな沈黙が流れ、耐えきれなくなったので
「ごめん、私があなたにしてあげられることはないわ」

所在無さげな表情を浮かべ、私から離れこちらに背を向けるその男。私たちのやり取りを、薄ら笑いを浮かべながら見ていた別の男がいた。そいつは最初の男に近づき、なにやらヒソヒソ。で、今度はその第二の男が、私に近づいてくるでははないか。そしてニヤニヤしながら

「さっきあんた、あいつと話していただろう。あいつね、今すっごく傷ついているんだ。あいつの顔があまりに醜いから、あんたに冷たくされたんだって思っているんだぜ」。
「いいえ、別に私は彼が醜いとは思わないけど」
「それは君の意見かもしれないが、実際ものすごく醜いよ。こうぐしゃって潰れたみたいな顔をしている。そうだろう」
と、両手で紙をもみくちゃにするようなジェスチャーをしてみせる。まあ確かに、顔の造作はちょっと異常さをたたえていたが、そこまで言うことはない。それよりこの二人は何者?

「あなたは彼の友達なの」
「まあね。そんなものさ。あいつの顔、本当に醜いだろう」
「いやいや、私はそんなことは言っていないから」。

いったい、これは何の芝居なのだろう? この二人はそうやっておかしなストーリーを作って、人に話しかけ、反応を見るのが楽しみなのだろうか? 「コーヒーをこれから飲みに行かない?」と言うようなナンパは良くあるが、こんな薄気味悪い体験は初めてだった。非常に気持ちが悪かったので、話を切り上げようと少し離れたところ、第二の男は鞄から分厚い本を取り出した。

「この本読んだことある?」
なんだ、なんだ、新手の宗教の勧誘か?
そこにゴーっと待ちに待った地下鉄が入ってきたので、もう無視して乗り込んだ。これで振り切れたかと思ったら、そいつらも乗り込んできて、私のことだろう。なにやらヒソヒソと話している。

と、そこで気がついた。動揺していたのか、逆方向の地下鉄に乗っているではないか。家とは逆方向のブルックルンに向かっていくのに気がつき、愕然とした。もう相当の深夜なので、次の駅で降りて戻ろうにも、また数十分は地下鉄を待たないといけない。

これ以上地下鉄の駅にいると、何か危険に巻き込まれるのはないかという、非常に嫌な予感がしてきたので、次の駅で地上に出て、急いでタクシーを拾った。ウィリアムズバーグ・ブリッジでクイーンズに渡り、イーストリバー沿いにマンハッタンの夜景を見ながら帰宅。体にネバネバとまとわりつくような嫌悪感と戦いながら、いったいあれはなんだったんだろうと考えた。

「顔が醜いと言ってもらいたかったんじゃないですか? 貶められるのが好きな人っているじゃないですか。そういうプレイだったのかも。ゲイのカップルの」
と、話を聞いた同僚は笑って言った。
そうなのだろうか?
もし、そうだとしたら、「そう。彼の顔が醜いから、私冷たくしたのよ」と答えておけば、満足したのかもしれない。そうしたら、その後二人は

「お前の顔が醜いから、軽蔑されるんだ。地下鉄の駅で会った人にも言われたじゃないか」
「そ、そうだよな。オ、オレが醜いから…」
「気持ち悪いったらないぜ、お前の顔はよう、まったく潰れたカエルみたいだぜ」
「そ、そんなオレとつきあってくれて有難う」
というような会話を楽しみ、関係が蜜になったのかもしれない。

まあ、あまり興味はないけれども。

2010年4月3日土曜日

メイクオーバー



バーバラ・ビルカージックはやり手実業家だ。著名なメイクアップ・アーティストで、自分の名前をつけたコスメティックライン「bilkerdijk」を展開し、更にメイクサロン兼スパを経営している。顧客にはセレブリティも数多くいるとのこと。

彼女のサロンで開催されたメイアップイベントに招待された。モデルを使ったデモンストレーションで、参加者に今年の流行を伝え、その後は参加者もメイクオーバーを体験できるというもの。ワインや軽食も用意され、ソーシャルネットワーキングも兼ねている。

彼女が黒人というのは知っていたが、参加者も9割が黒人女性。アジア系で参加したのは私のみ。ターゲットを黒人に絞っているわけではないだろうが、やはり日本の雑誌などで紹介されるものとは全く異なり、非常に興味深かった。黒人は肌の色が濃いためか、鮮やかなアイシャドウやチークなど、色味をしっかり乗せていくのが主流らしい。アイシャドウを入れる幅も広い。クリス・ベンツやアナ・スイのファッションショーで使われたメイク方法も披露され、観客からは質問が次々と飛んでいた。

参加者の一人、オプラ・ウィンフリーそっくりのアイダとしばし歓談。彼女はセネガル出身で、グラフィック・デザインをイタリアで学び、その後、人の顔に絵を描くと思えば一緒だと、メイクアップ・アーティストに転向。フランス語と、イタリア語と、スペイン語と英語を流暢にあやつる。彼女ももうすぐ、自身のコスメティックラインを発表するのだと嬉しそうに語っていた。そういうパワフルな人がゴロゴロいるのが、ニューヨークの面白いところ。そして気さくに話しかけられ、すぐに仲良くなれるところが良い。

ショーの後、勧められるままにプロの手によるメイクオーバーにチャレンジ。池袋の西武デパートのメイクコーナーで、数年前にしてもらって以来なので、少々緊張した。多分ゲイの、男性メイクアップ・アーティストに何回も「リラックスして」と言われながら、顔を任せること10分。素肌感を出す、引き算メイクが日本のメイク道の主流だとしたら真逆だった。真っ黒に塗りつぶされ太めに書かれた凛々しい眉、まぶたの上の方まで濃いパープルを入れ、ほお骨の下までふんだんに入れたチーク、さらにつけまつ毛まで。回りの人に、素晴らしいわ。彼女キレイになったわね、などと言われながら鏡をのぞくと、そこにはミスユニバース日本代表みたいな顔が…。ああやっぱり、このくらい派手にしないと、国際舞台には勝てないわけねと納得したのでした。