2010年4月11日日曜日

深夜の不条理劇場

ニューヨークの地下鉄は24時間営業とはなっているが、夜になると本数が少ない上、長引く工事のためダイヤが変更したり、走行していない路線があったりして、非常に使い勝手が悪い。その上、深夜の地下鉄の駅にはおかしな人が出没する。

ひょろっと背の高い白人の男が近づいてきた。精神異常者のような不安定な定まらない視線に、私は体を堅くした。その瞬間、その男はこう言った。
「ごめん。突然話しかけて。僕すっごいシャイだから、今まで誰にも告白したことないんだけど、君には聞いて欲しいんだ。あの、僕ゲイなんだ」
二の句が継げない私に、そいつはこう続けた。
「誰かゲイの男友達がいたら、紹介して欲しいんだけど」

ささやくような声だが、へんな迫力があり、無視できなかった。
「日本にはゲイの友人はいるけど…」
「その人はニューヨークには来ないの?」
「いや、来ないと思うよ」

おかしな沈黙が流れ、耐えきれなくなったので
「ごめん、私があなたにしてあげられることはないわ」

所在無さげな表情を浮かべ、私から離れこちらに背を向けるその男。私たちのやり取りを、薄ら笑いを浮かべながら見ていた別の男がいた。そいつは最初の男に近づき、なにやらヒソヒソ。で、今度はその第二の男が、私に近づいてくるでははないか。そしてニヤニヤしながら

「さっきあんた、あいつと話していただろう。あいつね、今すっごく傷ついているんだ。あいつの顔があまりに醜いから、あんたに冷たくされたんだって思っているんだぜ」。
「いいえ、別に私は彼が醜いとは思わないけど」
「それは君の意見かもしれないが、実際ものすごく醜いよ。こうぐしゃって潰れたみたいな顔をしている。そうだろう」
と、両手で紙をもみくちゃにするようなジェスチャーをしてみせる。まあ確かに、顔の造作はちょっと異常さをたたえていたが、そこまで言うことはない。それよりこの二人は何者?

「あなたは彼の友達なの」
「まあね。そんなものさ。あいつの顔、本当に醜いだろう」
「いやいや、私はそんなことは言っていないから」。

いったい、これは何の芝居なのだろう? この二人はそうやっておかしなストーリーを作って、人に話しかけ、反応を見るのが楽しみなのだろうか? 「コーヒーをこれから飲みに行かない?」と言うようなナンパは良くあるが、こんな薄気味悪い体験は初めてだった。非常に気持ちが悪かったので、話を切り上げようと少し離れたところ、第二の男は鞄から分厚い本を取り出した。

「この本読んだことある?」
なんだ、なんだ、新手の宗教の勧誘か?
そこにゴーっと待ちに待った地下鉄が入ってきたので、もう無視して乗り込んだ。これで振り切れたかと思ったら、そいつらも乗り込んできて、私のことだろう。なにやらヒソヒソと話している。

と、そこで気がついた。動揺していたのか、逆方向の地下鉄に乗っているではないか。家とは逆方向のブルックルンに向かっていくのに気がつき、愕然とした。もう相当の深夜なので、次の駅で降りて戻ろうにも、また数十分は地下鉄を待たないといけない。

これ以上地下鉄の駅にいると、何か危険に巻き込まれるのはないかという、非常に嫌な予感がしてきたので、次の駅で地上に出て、急いでタクシーを拾った。ウィリアムズバーグ・ブリッジでクイーンズに渡り、イーストリバー沿いにマンハッタンの夜景を見ながら帰宅。体にネバネバとまとわりつくような嫌悪感と戦いながら、いったいあれはなんだったんだろうと考えた。

「顔が醜いと言ってもらいたかったんじゃないですか? 貶められるのが好きな人っているじゃないですか。そういうプレイだったのかも。ゲイのカップルの」
と、話を聞いた同僚は笑って言った。
そうなのだろうか?
もし、そうだとしたら、「そう。彼の顔が醜いから、私冷たくしたのよ」と答えておけば、満足したのかもしれない。そうしたら、その後二人は

「お前の顔が醜いから、軽蔑されるんだ。地下鉄の駅で会った人にも言われたじゃないか」
「そ、そうだよな。オ、オレが醜いから…」
「気持ち悪いったらないぜ、お前の顔はよう、まったく潰れたカエルみたいだぜ」
「そ、そんなオレとつきあってくれて有難う」
というような会話を楽しみ、関係が蜜になったのかもしれない。

まあ、あまり興味はないけれども。

2 件のコメント:

dr_bluemoon さんのコメント...

コワい思いをされましたね
タクシーで帰宅されて正解でした

サクラも夜空にさいごの美しさをはなっています
散りゆくはなかさゆえのかがやきに
心のどこかで時間がこのまま止まればいいのに
と思ったりします

サクラは受粉をすますまでは
どんなに雨にうたれても
どんなに風にふかれても
花を散らすことはないそうです

冷たい夜があっても
だいじょうぶ

つらい夜があっても
だいじょうぶ

新しい朝がこない日はないのだから

甲斐田雅子 Masako Kaida さんのコメント...

dr_bluemoonさん
ワシントンやフィラデルフィア、そして西海岸でもあちらこちらで「桜祭り」なるものが開催されていますが、今年は桜は見ないまま春が過ぎていきます。
来年こそは…。