2008年6月27日金曜日

ダンス、ダンス、ダンス













センターシティのオアシス、リッテンハウススクエア(Rittenhouse Square)の緑が目に染みる季節になってまいりました。

犬の散歩、日光浴、読書、ピクニック、ファーマーズマーケット。平日でも土日でも、人々は思い思いの楽しみ方をしています。

本日はストリートダンサーズが登場。
こんな芸当をコンクリートの上で披露するのは、容易なことじゃございやせん!
ただ見は御法度。見たらおあしを下さんせ。

頭巾を取ってまわしたら、落ちるは夏の青葉かな。「だらあ」と呼ばれる緑のおあし。秋の銀杏のごとし小判の乱舞とは相成りませんでした。

全ては初夏の草枕。

2008年6月25日水曜日

「豚の角煮」で国際交流

先週、YMCAの英会話の教室で仲良しの韓国人生徒のHと2人、ささやかなポットラックパーティーを開催しました。ランチに出ようとしていた講師も誘い、3人で囲んだのはHが持ってきた餅米や栗を炊き上げた甘いおこわ、私が持参した『豚の角煮』、おにぎり、モヤシのナムル。

この『豚の角煮』が大好評。Hと講師にレシピを教えてほしいと言われ安請け合いしたのですが、よく考えてみたら手元にあるのは日本語のレシピのみ。自力で英訳し、あまりに自信がなかったのでネット上の翻訳コミュニティの方々の助けも借りてようやく出来上がりました。メールで送り、大丈夫かなあと不安に思っていたところ、なんとHから先週末作って美味しくできたわとの嬉しい返信が!Hのご主人にも好評。3歳の息子は三枚肉は噛み切れなかったけど、大根はパクパク食べてくれたとのこと。こんなに嬉しいことはありません。

アメリカ人は意外にも脂肪分の多い肉を嫌い(霜降り牛肉は気持ち悪いらしい)、三枚肉も普通のスーパーマーケットでは売っていません。いつも購入するのはお世話になっている韓国系スーパーマーケットの「H-mart」。彼女もたぶんそこで仕入れてコトコト煮込んでくれたことでしょう。国が近いと味覚も近いのかもしれませんね。以下に私の下手な英訳レシピを載せておきます。版権は問いませんので、もし機会があればご自由にお使い下さい(笑)


"Butano Kakuni" (sweet and tender simmered pork)

INGREDIENTS:

500g block of pork belly meat. (17.6oz)
Japanese 'daikon' radish 500g (17.6oz)
several sliced ginger
2 tbsps sugar
3 tbsps soy sauce
1 tbsp sake (Japanese rice wine)
water


PREPARATION:

Cut pork into 3cm cubes.
Cut radish into 3cm cubes, and peel. If necessary cut radish pieces in half (half moon shape)
Heat oil in a frying pan and saute the sliced ginger.
Add the pork and fry it over a high heat.
Put the pork and radish into a deep pan.
Add sugar, soy sauce, and sake.
Add water into pan until all ingredients are covered.
Turn up the heat and bring it to a boil.
Then let it simmer on low heat for 1 hour, or until the sauce is thicker and reduced.
In the meantime, skim the froth.

2008年6月19日木曜日

小銭と格闘の巻














硬貨は左から
1セント(ペニー/penny)、5セント(ニッケル/nickel)、10セント(ダイム/dime)、25セント(クォーター/quarter)。

紙幣は上から
1ドル、5ドル、10ドル、20ドル。

50セントや1ドルのコイン。50ドル札、100ドル札もありますがあまり流通していません。私の財布の住人は上記の方々です。

ドルのことをバック(buck)と言うこともあります。
Can you change a buck?  → 1ドル札を崩してもらえませんか?
Can I borrow a couple of bucks? → 2〜3ドル貸してもらえませんか?

「buck」とは牡鹿のことで、かつて先住民とアメリカ開拓者の間での物品交換の際の貨幣として鹿革が使われていたというのが語源だそうです。映画や海外ドラマでもよく聞きますね。

クレジットやデビットカードで買い物をしてしまうことが多いので、未だに慣れないのがお金のカウントの仕方。日本だったら1円、5円、10円、100円、1000円、5000円、10000円の倍数で考えますよね。例えば3570円だったら
「1000円札を3枚+500円硬貨+50円硬貨+10円硬貨2枚」
というようにパパッと組み合わせられますが、これが35ドル70セントだったら
「20ドル札+10ドル札+5ドル札+25セント硬貨を3枚を出して、5セントのおつりをもらう」
というようになります。

20ドル札の存在には慣れましたが(そういえば日本では2000円札は普及しませんでしたね)、硬貨の組み合わせがどうも苦手で。25の倍数という選択肢を頭の端に置いておかないといけないのが慣れない。ん、単に私が算数が苦手なのを暴露しただけかしら(笑)。

他にもこれは文化の違いというか、分かり合えない部分というか。例えば「1ドル12セント」と言われ、1ドル20セントを出し8セントのおつりをもらうのは問題なし。でも2ドルと2セントを出し90セントのおつりをもらおうとすると、意味が分からないというふうに2セントを突き返され、88セントのおつりがきてしまいます。そんなに1セント硬貨いらないよ〜!財布が重くなるでしょう!一回これでカウンターで押し問答をしたのですが、「あなたが間違っている」と取り合ってもらえず頭にきたことがありました。

「あんたが算数できないだけじゃん!!まったくこれだから量販店でバイトしているようなアメリカ人は!!!だいたいあんた図体も態度もデカイけど高校生くらいの年でしょう。どうして私に言い返すのよ。私は1にお客様だし、2に年上よ。あっそう。そんなに敗戦国というのは卑屈さを引きずって生きないといけないの?!おたくの基準は世界基準かい!えっ!!」

と(笑)、とんちんかんな方向へ怒りを向けて、でもそんなことは言えずプンプン帰ったことがありました。「郷に入れば郷に従え」ですよね。何をやっても空回りをしていた渡米当時の話ですよ。最近はそんな面倒な方へは考えません。はいはい2ドルね、と素直に2セントをひっこめます。でも理解できるかな〜とトライはしているのですが。

2008年6月16日月曜日

ファーマーズマーケット





土曜日の朝になると市内のあちこちでファーマーズマーケットが開かれます。
とれたての野菜や手作りパンやジャムが並びおいしそう。
昨日は近所の公園リッテンハウススクエアのファーマーズマーケットへ行ってきました。何回も前を行ったり来たりして、結局買ったのはアーミッシュの人たちが売っていたルバーブとイチゴのジャム。甘酸っぱくてやさしい味でした。

2008年6月10日火曜日

薬の広告、日米比

製薬会社のテレビCMの多さが気になります。それも日本で放映されているような市販薬だけでなく、病院で医者に出してもらう処方薬の広告も。

日本ではジェネリック医薬品という大枠で広告することはあっても、「この病気にはこの薬が効きます。病院で医者に相談して処方してもらいましょう」というCMは見た事がありませんでした。今もまだそうですだと思いますが。

また訴訟を避けるためか、副作用の種類、使用上の注意、合わせて服用してはいけない他の薬の情報なども事細かにナレーションが入ります。これが実に長い。「ちゃんと言ったもんね。あとは自己責任だよ」ということでしょうか。

「metro」というフリーペーパーで見つけた、うつ病の新薬の治験(医薬品もしくは医療機器の製造販売承認を得るために行われる臨床試験)対象者募集の広告について。

「Lexaproを服用している人は対象外です」
と書いてあり、Lexapro(レクサプロ)とはなんぞやと調べたところ、日本未認可の抗うつ剤(個人輸入は認められているようです)。他の抗うつ剤との併用が禁止されていました。いわゆるSSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors/日本語だと「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」)に分類される、脳内のセロトニンの量を増やす作用のある比較的新しい種類の抗うつ剤で、これも日本未認可ですが「Prozac」(プロザック)が有名ですね。

少し話がずれますが、日本にいたときにアメリカで精神科医として長く務められた医者の公開講義に参加したことがあります。彼の話によると「いっそうのこと、病棟の水道水にプロザックを流しておけばみんな簡単にハッピーになるのにね」というあまり笑えない冗談が同僚の間ではささやかれていたそうです。

いまのところこの国で医者の世話にはなっていないし、今後も極力かかりたくないのですが、もしかしたら日本未認可の薬を処方されることもあるんだろうなあと多少怯えています。とはいえ、厚生省の新薬認可の基準や、諸々の手続きの遅さもそれはそれで問題視されていますけどね。それはまた別のお話。


最後に多少は明るい話題を。
ED治療薬のバイアグラのCM、これもまあよく見ます。そして本当に可笑しいんですよ。文化の違いというか。Youtubeの画像で見つけたので、まあ見てみて下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=umhEoIdKYm8

「Viva VIAGRA♪」
と実に楽しそうにおじさんたちが歌っていますが、これはエルビス・プレスリーの『Viva Las Vegas』をよくいえばアレンジ、悪くいえばパクったものです。本家本元はこちら。

http://www.youtube.com/watch?v=8giJGw1eD78

まあ彼も当時セックスシンボルだったからいいのかしら?
はじめ見たときは呆気にとられ、そのあとしばらく笑いが止まりませんでしたが、いろんなバージョンでしょっちゅう放送されているので、最近はあまり気にも留まらなくなりましたが。

2008年6月7日土曜日

アーミッシュの村へ




フィラデルフィア中心部から車で1時間半。ハイウェイを降りていくつかの丘を超えるとそこは別天地、ランカスター州アーミッシュの村が広がっています。

広大な農地に点在する質素な家屋や風車。牛がのどかに草を食んでいて空気も少し臭う。ドイツ系移民で独自の文化・宗教を守り続けるアーミッシュの人々は、「宗教の自由」をうたいイギリスからクェーカー教徒を引き連れてアメリカに移り住んだウィリアム・ペンの誘いを受け、迫害を受け身を潜めていたフランスからペンシルベニア州へやってきました。

平和主義で軍人を嫌う。結婚後の男性はあごひげを蓄えるのですが、口ひげはのばさない。軍人のイメージだから、だそうです。金ボタンも軍服を思わせるから衣服につけない。男性は独特の帽子を、女性は白いボンネットを被っています。女性のエプロンドレスのような服は糸を使わず針で留めてあるだけ。さらに子供を抱くため針先が表に出ない様に留めるそうです。

電気、自動車といった現代文明を否定し、馬車で移動。馬に惹かせた農耕機を使用し、酪農やキルトといった自給自足の生活を営む彼らの生活は、映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』(Witness/1985)で広く世に知られる事となりました。この映画が撮影されたAmtrakの「30th Street Station」については以前のレポートでもお伝えしましたね。

観光地としても有名で典型的な家屋を開放して見せたり、名物のジャム等の瓶詰めやキルトを売る店も。ただし彼らは偶像崇拝を禁じているので写真を取られる事を強く嫌います。よって典型的な衣装をまとった彼らの姿は撮りませんでした。

アメリカ人の友人に聞いた話ですが、彼の叔父さんは元々は違ったのですがアーミッシュに改宗してこの村に暮らしています。アーミッシュは避妊を禁止しているので子だくさん。平均して7人ほど子供がいるそうです。ただ血が濃いので子供の死亡率も高い。しかし彼の叔父さんは「新しい血」だったため、かれの子供、孫は多く生存して大家族だそうです。なかなか興味深い話ではありませんか?

2008年6月5日木曜日

フィリーズの試合へ!




念願の地元フィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)の試合を見に行ってきました。昨日はホットドッグが$1の日だったので総勢20人くらいでわいわいと。

それはもう、とーっても楽しかったです。フィリーズが3−2でシンシナティ・レッズ(Cincinnati Reds)に勝ったし、8回から田口選手も守備で出場したし、ピーナッツを食べながら"Take me out to the ball game"も歌ったし、言うことなしでした。

日本で野球は東京ドームで2回。それも仕事上タダで手に入れたバックネット裏の特等席だったにも関わらず、疲れが溜まっていたため爆睡。という野球ファンの方々が聞いたら頭から湯気を出して怒られそうなダメダメっぷりでしたのに、昨日はフィリーズファンになりきりおおいに盛り上がりました。

だってね、と言い訳をするならばメジャーリーグの方が観客が一体になってお祭り騒ぎ。もう底抜けに明るくハッピーな気分になれるんですもの。イニングの合間には電光掲示板で簡単なクイズや過去のハプニング映像が流れ、子供たちは夢中になって叫ぶし、球場にはたぶんフィリーズファンしかいないから相手チームへのヤジやブーイングの嵐も凄まじい。でも相手チームのピンチヒッターの有名選手が出て来たときは総立ちで拍手。

野球のルールがいまいち分からないくらいのレベルの私でも、こんなに楽しめるんですから好きな人にはたまらないでしょうね。
私がどれだけルールを知らないか。高校時代の体育の授業でソフトボールをしたとき、打った後3塁めがけて走った事があったなあ(恥)。あれでどっちへ走るかは覚えたのですが。まあその程度です。

2008年6月3日火曜日

Pennsylvania Station-30th Street















1934年に建てられた「30th Street Station」はAmtrak(全米ネットワークの鉄
道)、SEPTA、 New Jersey Transitと3本の鉄道が利用する巨大ハブステーション。562平方フィート(52,000 m²)の広い構内。毎日約25000人が利用するという全米で2番目に活気のある鉄道駅です。

私はニューヨークシティへ行く時はバスを使いますが(安いので)、ビジネスマンはここから通勤しています。ニューヨークシティは家賃が高いため、フィラデルフィアに家を持ち、そこから通勤するという人が増えているようです。特に弁護士とか。

重厚長大なローマ時代を思わせる建築。中には第二次大戦で命を落とした鉄道関係者に敬意を表して作られた「Pennsylvania Railroad War Memorial」(大天使ミカエルが兵士の遺体を抱えている)の彫刻、巨大なレリーフ「Spirit ofTransportation」が存在感を放っています。これらはハリソン・フォードが刑事ジョン・ブック役で主演したサスペンス映画『目撃者』(Witness/1985年)でも使われていました。アーミッシュの少年が、偶然殺人を目撃してしまったことから事件に巻き込まれて行くのはこのPennsylvania Station。

『目撃者』といえば、撃たれて傷ついた刑事ジョン・ブックが目撃者の少年サミュエルとその母親と逃げ込んだアーミッシュの村が話題になりましたね。アーミッシュとはキリスト教プロテスタントの一派でドイツ系移民の子孫です。電気を使わず、家に電話もない。車の代わりに馬車に乗り近代以前の生活様式をかたくなに守っています。 このアーミッシュの村はフィラデルフィアの西に約60マイル(100キロ)、ペンシルベニア州ランカスター郡にあります。車で1時間半くらいでしょうか?機会があれば行ってみたいと思っています。

余談ですが、『目撃者』を見たのは実はつい最近。映画自体としては「うーん」という出来でした。事件を目撃した少年の愛らしさも、警察内部の不正や裏切りを描くサスペンスも、未亡人とのはかないラブロマンスも、アウトサイダーである刑事ジョン・ブックがアーミッシュの人々に受け入れられていくヒューマンドラマ部分も、と盛り込み過ぎ。逆効果で全て薄っぺらくなってしまっている。

ひとつ面白かったのは『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルン役で有名になったヴィゴ・モーテンセン(Viggo Mortensen)がちょい役で出ているのを発見したことです。どうも彼のデビュー作だったようです。

2008年6月1日日曜日

ウィリアム・ペンと洗濯バサミと割れたボタン




フィラデルフィアのど真ん中に君臨するシティーホールの頂で街を見下ろすウィリアム・ペンのブロンズ像。
このブロンズ像はモビールで有名なアレクサンダー・カルダーの祖父の作品。カルダー家3代の作品が街のあちこちに見られるという話は以前しましたが、今日はもう1人新たなアーティストをご紹介します。

シティーホールのすぐ西隣、Market St と 15th Stの交差する場所にある地下鉄の駅へと通ずるコンコースの上に、ペン様と負けないくらい存在感のある巨大な洗濯バサミのパブリックアートがあります。
これはClaes Oldenburg(クレス・オルデンバーグ) という1929年にスェーデン・ストックホルムで生まれたアーティストの作品。その名もずばり「Clothespin」(洗濯バサミ)。1976年の作品といいますからもう30年以上もここに立っている訳ですね。

彼はアメリカへ移住後、イエール大学、シカゴ美術研究所に学び、56年ニューヨークに。ポップアート作品やハプニングで知られるようになりました。「ソフト・スカルプチャー」と呼ばれる布や糸などの繊維、ゴムや脂肪などの「柔らかい」可変性ある素材で制作した彫刻や立体作品はダダやシュールレアリズムのオブジェにも見られますが、現代アートではオルデンバーグが始まりとされています。

彼の作品はおしなべて「デカイ」。
巨大な口紅やボタン、はさみ、スコップなどのカラフルでポップなオブジェが大地にぐさっと突き刺さっている光景を世界各国で見ることができます。
東京ビックサイトにも「Saw, Sawing」 というのこぎりの作品があるようです。
http://www.bigsight.jp/english/organizer/guide/artwork.html

洗濯バサミとウィリアム・ペン。
なかなかシュールな光景ですが、30年もたつとしっかり街の名物として定着している感があります。

ペンシルベニア大学構内の「Split Button」(割れたボタン/1981年)と合わせてご紹介します。