2010年1月25日月曜日

New Museum of Contemporary Art


ローワー・イーストにある、ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アートで開催中の、スイス人アーティスト、ウルス・フィッシャー(Urs Fischer)展を観てきました。

目的は展覧会ではなく、金沢21世紀美術館などを手がけた、妹島和世と西沢立衛による建築ユニット、SANNAが手がけた、美術館そのものにあったのですが、展示もよかったです。

ガランとした、天井の高い箱のような部屋。壁も天井も美しい鈍色に染めあげられたこの部屋の、インスタレーションはたったの二つ。天井からつるされたクロワッサンに蝶がとまっているものと、高温で溶けたかのように、ぐにゃっと潰れた紫色のグランドピアノ。この部屋は実に印象的でした。

他の部屋でも、空間をたっぷり使って展示された巨大なインスタレーションの間を歩きながら、静かに作品との対話を楽しみました。久しぶりだなあこういう時間。

安らぐわけでも癒されるわけでもない。誰もが文句なしに認める「芸術」を再確認しにいくわけでもない。最先端のアート世界を、全身で感じようという意気込みがあるわけでもない。もちろんデートでもない。

静謐な、でも作品たちが饒舌になれる、彼らの解放区・宇宙へと、しばし旅に出ていたのです。ここで何が作者は言いたいのか? 作品のテーマは何か? 歴史的、社会的観点から見て、これを作成した意義とは? といった小理屈で、理解しようとしていない自分に気がつき、成長したのかしらと思いました。 

そういうものはあるかもしれないし、ないのかもしれない。結局対峙する私と君(作品)との間に、温かい血が通いあうかどうかの問題。それだって、こちらの精神状態だったり、置かれている状況だったりによって、まったく異なるし、何も起きないことだってある。

私はともすると、自分の中で結論の出ている物語に対象を引きずり込み、パズルのように、そのピースはめ込み満足する悪い傾向があるのですが(これはとても不幸なことですね)、今回はまあ、疲れていたせいもあるでしょうが、もう少し偶然性に身を委ねることができた。

こうやって、少しずつ、少しずつ、己をがんじがらめに縛る見えない鎖から、解放されていきたいですね。

展覧会の案内ビデオです。

http://www.youtube.com/watch?v=OrKXtegv7BE&feature=player_embedded

2010年1月11日月曜日

持つべきものは友

ニューヨークは寒い日が続きます。歩道と車道の隙間に張った氷は、いっこうに溶ける様子がありません。

こうも寒く、仕事が思うようにいかず、毎晩深夜に凍えながら帰宅し、プライベートでも辛いことが続き、相談できる相手もいないとなると、さすがに凹みます。自分を鼓舞するのにも疲れてきます。

心の隅に大きな穴が開き、つねにそこから冷たい風が吹き込んできて、芯から精神が蝕まれていくのがよく分かります。解消の仕方の分からない不安と、焦り、絶望、底知れぬ淋しさに、心だけでなく、胃までキリキリと痛み始めます。誰かの胸に顔を埋め泣き続け、全ての苦しみから楽になれるのであれば、どんなにいいだろうと思いますが、泣いたところで何ともならないことは、人に言われなくても悲しいほど承知しています。大都会で一人暮らしをする女性、それも海外でとなると、大なり小なりこういった気持ちは誰もが抱くのでしょうね。

情緒を安定させるためには、客観的に自分を見て分析できる視点の確保と、揺るがない自信が必要なのであって、一時の”癒し”や、他人への依存では解消されないと、私は思います。し、そうしようと試みています。

こういった感覚は誰しも一生持ち続けるものなのかもしれません。向き合うことができて良かったのかもしれない。100%満たされるということは生涯ないような気がします。

私自身は現在特定の宗教を持っていませんが、アメリカに来て、何かしらの宗教に入っている日本人在住者が多いことが、だんだんと分かってきました。その理由が最近分かるような気がします。どこかに精神的な拠り所がないと、信教を通して信者の人と繋がっている、あるいは神から見守られているという絶対的な安心感がないと、異邦人として生きていくのは、辛いのかもしれません。

「どんなに富を得ても、地位を得ても、幸せな家族を得ても、人は心の底にいつも解消できない淋しさというのを持っているものよ。それはハートの形をした穴なの」とクリスチャンの友人に真顔で言われました。気圧され、ううむ、そうかもしれないねえと思いました。

まあ、こう弱っていると「つけこまれる」危険性があるので、より用心しないといけないといけないのですが、とは言え心を閉ざすのはよくない。

そろそろ限界だと思った時にヘルプのサインを出して、久しぶりにフィラデルフィアで仲良くなった友人とスカイプで話しました。お互いよき理解者で、今後もこの友情は一生続くだろうと確信できる、数少ない真の友人です。話す前に携帯電話に届いたメッセージに、彼の深い優しさを感じて、目頭が熱くなりました。

「オーケー。後で話そうね。もし時間があったら何かデザートを買っておいで。そうしたら僕たちはスカイプで話しながら、デザートを一緒に食べられるよ。僕はアイスクリームを持っていくからさ」

ダウンを羽織って、駆け足で近所のオーガニックの店へ行き買ってきたのは、シチリア島産のレモン味のシャーベット。爽やかな冷たさに少しだけ、ハートの形をした穴の腫れは引き、熱が下がったように感じました。