2015年12月16日水曜日

他人の死とその受け止め方について(異文化理解の苦しみ)

夫がニューヨーク市立大学ブルックリン校でのポスドク時代にお世話になった、ベネズエラ人の教授が亡くなった。癌から何度となく復活した人だったが、急に体調を崩し、そこからは早かった。母国では非常に有能な科学者として知られていたが、政治的事情で去ることを余儀なくされ、彼を受け入れたアメリカで息を引き取った。

何度かお目にかかったことがあるが、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。夫も彼と会うとスペイン語になってしまうので、さらに化学者同士の専門的な話ばかり、会話についていけず、ひたすら退屈だったという記憶の方が大きい。本日はブルックリンでお別れの会。仕事が忙しくて、というのもあるが、そもそも行く必要性を感じず私は不参加。

深夜、泣きはらした目で戻ってきた夫に、教授の未亡人と娘を囲んでクリスマスイブはスペイン人同士で集まるから参加しろと言われ、「あなたは行けばいいが、私は行く必要ないと思う」と拒否したため大げんかに。

最近、だんだんとスペイン人の集まりに参加するのがおっくうになってきている。スペイン語ができないし、英語で会話しても正直共通の話題が見つからない。笑いのツボも分からない。だったら家にこもって、焼酎を傾けながらカズオ・イシグロの小説でも読んでいたいというのが本音だ。海外に住み、国際結婚をしているとは思えないほど、グローバル化と真っ向から反対する姿勢だが、正直この傾向がだんだんと強くなっている。ようは、毎日毎日、こなさなくてはいけない、異文化コミュニケーションが面倒くさいのだ。

幸か不幸か、私は葬式というものに生まれてこのかた行ったことがない。人の死ではじめて涙にかきくれたのは、ピアニストのグレン・グールド。以来、尊敬するアーティストやシリア難民の子供の死、非業の死を遂げたジャーナリストなどに対しては号泣するくせに、身近な人の死を悲しいと感じた記憶がほぼ無いに等しい。

近しい人を亡くした悲しみというのは非常にパーソナルなもので、その死を受け止め、消化できるまでひたすら向き合い、時が癒すのを待つしかない、のではないだろうか?その時間は誰かと共有できるものではないし、できればさっさと忘れて過去を断ち切る方が、その後の人生をポジティブなものにするはず。他人と手を取り合い、共に時間を過ごすことで、悲しみを分かち合うということに、どうも胡散臭さを感じてならない。「分かるよ。その悲しみ」と寄り添うこと自体偽善だし、欺瞞だとすら感じる。というのが、葬式バージンのひねくれ者の机上の空論。

この考えに夫は猛反対。彼は大好きだった祖父母の死を少年の頃から受け止め、乗り越えてきたベテラン。悲しみの底にいる人には寄り添ってサポートするのが当然。それが理解できないなんて人でなしだ。愛情というものが枯渇している。そもそも今日はお別れの会にお前も行くべきだった。オレを愛しているのであれば、オレの悲しみも理解し支えるべし。そもそもオレが死んだらお前はどうするんだ?悲しまないのかと。彼の生い立ち、そのエモーショナルな国民性を考えると、しごくもっともな意見だとは思う。

そう言えばシティーホールで結婚するときも、
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
的なことを言われ、「I do」と言っちゃったし。今更ながら恐ろしい契約をしてしまったものだ。

夫が亡くなったら、もちろん一定期間悲しむが、その後、非常に現実的になるのだろう。と計算高い妻は思う(さすがに本人には言えないが)。葬儀にいくらかかるのか、貯金で足りるのか、彼の両親にはどう伝えるのか、遺体はスペインに送るべきか、その後の私の人生はどうなるのか。保険金はどう受け取るのか。新たに私の人生を支えてくれる、稼ぎのいい将来有望な男性を見つけることができるのだろうか、何歳まで私は女としての商品価値があるのだろう、いやいやそんなことは望めないから仕事を続けなければ。などなど。

そうは言いつつも、本質的には邪悪な態度を取り続けられないので(取り続けるとそれはそれで罪悪感で苦しめられるし)、クリスマスイブにはしぶしぶそのスペイン人の会に参加することになるのだろう。行ったら行ったら発見があって、悲しみがいい感じで憑依してきて、手に手を取り合って適宜泣いたりハグしたりできちゃうのも知っている。

でもどこかで、邪悪な悪魔が耳元でささやくだろう。
それって、本意じゃないんだよね。いいんだよ、その計算高さが君を作っているのだから。

って。

2015年8月22日土曜日

スペインレポート1/ピレネー山脈を歩く



ご無沙汰しております。お元気でしょうか?

私はいま、夫の故郷スペインを旅行中です。ただただ仕事に謀殺されるニューヨークの生活より、はるかに発見の多い豊かな時間を過ごしておりますので、スペインから何回かリポートをお送りします。

数日前にはフランスとの国境境にあるピレネー山脈で、夫の友人らとハイキングをしてきました。2日連続で違うルート。1日目のルートは「Ibones de Ordicuso」(標高2100m)、2日目のルートは「Pico Pazino」(標高2000m)でした。

大自然の豊かな美しさ、カラフルさに圧倒され、ときおり野生のヤギやクマ、イノシシなどの落とし物の臭いが漂うものの、それを込みにしても空気が美味しく、遠くから聞こえるカウベルのガランゴロンという音色が心地よく、頬をなでる風が優しく、この世のものとは思えない幸せと穏やかな心に満たされました。アウトドア派ではないのですが、これをきっかけに山登りに目覚めそうです。

結婚前のことですが、ホームシックにかかった夫が、ワインを飲みながらピレネー山脈の写真を見て「山へ行きたい。山は本当に美しいんだ」涙を流しているのを見たことがあります。また私が仕事のストレスでパニックになっていると、「ほら山の大自然を想像してごらん。些細なストレスなんか忘れちゃう美しさでしょう」と励まされたことも、多々あります。山に対してそこまでの感情をいだいたことのない私は、一体この人は何を言っているのだろうと不謹慎にも笑ってしまったことがあるのですが、一度登ってみると、彼の言わんとするところが多少分かったように感じました。

私にとってこの風景は、山は違えど映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、トラップ一家が徒歩で山を越えて逃亡先のスイスへと向かうシーンを思い出すものでした。頭の中ではエンドレスで「Climb Every Mountain(すべての山に登れ)」が流れていたのですが、夫にとっては「ロード・オブ・ザ・リング」のイメージの方が近いようです。

今回は山ボーイである夫のルーツを一つ一つたどる旅となりました。ちなみに日本では一時期(今もでしょうか?)ファッショナブルなアウトドア服を身につけて山登りをする「山ガール」が流行ったそうですね。実際に見た事がないのですが、ピレネー山脈には多分いなかったと思います。ちなみに私がお世話になったのはユニクロのヒートテック。山って、夏でも寒いのですね。

2015年6月5日金曜日

ターナー島発見

The scenery reminds me J.M.W. Turner's artwork.

あの塔を見給え、閉じた傘と思えばターナーの松に見えないでもないじゃないか。

ここで一句「初夏の暮れ、塔に潮満つ、マンハッタン」。
一応オリジナルは「秋晴や 松に潮こす 四十島」(正岡子規)

2015年6月1日月曜日

マンハッタンを掌に

Come to Jersey City if you want to grab Manhattan in your hands.

マンハッタン定点観測。ビールを飲みながら対岸のジャージーシティーのバーから見とれているうちに、とっぷりと日が暮れてしまいました。

マンハッタンは少し離れて、ハドソン川越しに見る方が綺麗です。掌に収まる、従順なスカイスクレーパーが得られます。

スペインの家庭料理

Tasty dishes are colorful.Chard with béchamel sauce Spanish style, sauteed dandelion greens and jamon iberico as usual.

ジャガイモとチャードを茹で、オリーブオイル、ニンニク、ベーコン、松の実と炒め合わせ、ベシャメルソースをたっぷりかけた、夫が祖母から教えてもらったというサンチェス家に伝わる家庭料理。

近所のファーマーズマーケットで購入したタンポポの若葉は、茹でたあと、ニンニク、唐辛子、オリーブオイルで炒めてみました。苦みがいい感じ。醤油、鰹節あたりと和えてもいけるかも。

そしておなじみハモンイベリコ。そろそろ脚一本食べ終わりそうです。

アロス・カルドソ・コン・ボガバンテ

This is not paella. It is "arroz caldoso con bogavante" or "soupy rice with lobster" cooked by Antonio Sanchez .
今日のランチはパエリア、ではなく「アロス・カルドソ・コン・ボガバンテ」。アロスはrice、カルドソはsoupy、コンはwith、ボガバンテはlobster。
どちらかというと、ロプスターの頭と貝からとったたっぷりのスープで調理した、柔らかめの炊き込みご飯か、おじやに近い感じ。イカ、ムール貝、トマト、サフランなどの他、市販の海水(sea water)を使ったのがミソだとか。
パエリアより優しく、ふんわりとした味と食感でした。夫によると誰に教わったのでもない、オリジナルレシピだそうです。お供はイタリアの白ワイン、ピノグリージオ。夫よ、いつも有り難う。

2015年3月5日木曜日

多様性 および生命体としての街について

お元気ですか?東京は梅や桃の花の季節なのでしょうね?
ニューヨークは2月20日にセントラルパークで-14.4℃が観測され、1950年の-13.8℃の記録を65年ぶりに更新したとのこと。我が家の周りはまだ雪で覆われており、連日スノーブーツで通勤しています。

さて、今回のテーマは「ダイバーシティー」(diversity)について。ニューヨークで非常によく聞く単語の一つで、「多様性」、特に民族・人種・宗教の多様性という意味で使われることが多いです。

それを象徴するようなニュースがこちら。
ニューヨーク市のビル・デブラシオ市長は3月4日、ブルックリン区の公立学校で会見を開き、公立学校の休日にイスラム教の祭日を2日加えると発表しました。

この休日は今年9月に始まる学年度から適用され、同月24日が、預言者イブラーヒームが息子を神への犠牲として捧げようとしたこと記念するイド・アル=アドハーの祝日で休みとなります。

またラマダーンの終了を祝うイド・アル=フィトルも休みとなるそうですが、来年の夏からスタートするためか、具体的な日付は明らかになっていないようです。市長は「(この決定は)市の多様性に対する敬意の表れ」とコメントしていました。

ニューヨークはイスラム教徒の人口が非常に多く、あるニュース記事によると60万人〜100万人はいるとされており、学校に通う児童の10%がイスラム教徒とのことです。

市長のこういった会見は、いかにもといった場所で開かれることが多いのですが、今回の会見が開かれたブルックリン区の学校は、前回のイド・アル=アドハーの日に全校生徒の36%が休んでいたということ。つまりイスラム教徒が多く住むエリアへ敢えて出向き、「お宅のお子さんは今後、正々堂々と公休日として宗教的祭日を祝うことが出来るのですよ」とアピールしているわけですね。

ニューヨーク市の公立学校の休みって、そもそも何があるのだろうと調べたところ、7月、8月の大型休暇、サンクスギビングデー、メモリアルデーといった国をあげての祝日以外に、ユダヤ暦の新年祭「ローシュ・ハッシャーナー」、ユダヤ教の贖罪の日「ヨム・キプル」(どちらの9月)というのが目に飛び込んできました。さすがユダヤ教徒の多いニューヨーク。

少し脱線しますが、化学者の夫がブルックリン大学で教えていたときも、大学がユダヤ教徒の居住区の近くにあるため、かれらの休みを尊重しなくてはいけなかったそうです。たとえば「いついつまでにレポートを提出して」と伝えると、「せんせー、それユダヤ教の休みとかぶっているんですけどー」というような反応が返ってきて、締め切りの変更を強いられ、ふつふつと怒りが湧いたそうです。政治的力の差を感じます。

公立学校の休みに話を戻しますと、公民権運動の指導者として知られるキング牧師の功績を称える、その名もマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー(1月の第3月曜日)も入っていました。これは外せませんね。

さらにまだ実現はしていませんが、市長が実現に向けて働きかけていると明言しているのが、英語でチャイニーズニューイヤーと呼ばれる、いわゆる旧正月。マンハッタンやクイーンズ区にあるチャイナタウンでは毎年、町をあげて2月の旧正月を祝うため、ニューヨークの風物詩の一つになっていますが、なぜこの日を公立学校の休みにする必要があるのか?
それは、それだけ移民が多い、つまり学校に通う中華系の子供が多く、さらに二世、三世が政治家になったり、事業で成功するなどして、政治的な発言力を持つようになっているからだと推測されます。

まあ、私たち日本人はこの町ではマイノリティーですし、政治的に働きかけて権利を主張する人も特にいませんし、ほとんどの人が選挙権を持っていない(つまり票田にならない)生き物ですので、日本の祝日が公立学校の休日になる日は来ないでしょう。

逆に少子化の深刻化が叫ばれている割には、移民政策をしているようには全く見えない日本政府ですが、いずれはこういった形で、移民として日本に来てくれたアジア諸国やブラジルなどの祭日を、学校や国民、あるいは市町村の休日に取り入れるような柔軟さがでてくるのかなあ、と考えています。そうしないと、国としての未来がないとすら思えるのです。

生物学者で作家の福岡伸一さんは、生命とは何かという問いに対し、「動的平衡」(絶え間なく壊される秩序)というキーワードを使った回答を、鮮やかに展開してくれます。

手元にある彼の著書『生物と無生物のあいだ』と『動的平衡』から要約すると、わたしたち生命体を構成する分子は高速で入れ替わっており、生命体というのは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかなく、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。

生命とは動的平衡にあるシステム。可変的でサスティナブルを特徴とするシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」である。つまり生命現象とは構造ではなく「効果」である。ということです。

この「生命体」をニューヨークという街、あるいはアメリカという国に置き換えても、そっくり同じシステムで説明できるのではないかと最近思うのです。この街、そして国は移民で構成されており、一時、あるいは一時代淀んだら、また入れ替わっていく。その流れのハンドリングをするのが市や連邦政府の役割で、サスティナブルに息づき継続するために、ダイバーシティーを受け入れながら、あれこれ施策を練っているのですね。だからこの国にはダイナミズムが感じられるのかもしれません。

日本という国も「生命体」の一つ。こちらは可変的でサスティナブルかどうか、外からみていると「うーん、どうなんだろう」と思ってしまいます。

学校の休日システムの話から大分膨らみましたが、ニューヨークという怪物のような生命体にを通過する一分子として、周囲に流れゆく分子たちを見ながらちょっと思いを巡らせてみたのでした。