2008年12月30日火曜日

サンフランシスコ2日目【前編】



















サンフランシスコ2日目。青空が広がり絶好の観光日和。サンフランシスコ名物のケーブルカーで坂の街をガタゴトと移動。坂を越えるとそこは港だった。

フィッシャーマンズ・ワーフを散策。昨日は霧にかすんでいたゴールデンゲートブリッジもすっきりと見えます。朱色の雄々しい姿は澄んだ青空によく似合う。奇妙なうなり声に驚き近づくと野生のアシカの大群が。微笑ましいんだか喧しいんだか。

以前フィラデルフィアで仕事をご一緒にしたサンフランシスコ在住の日本人女性Hさんと落ち合い、港を望むレストランでランチ。大企業から転職され、ハワイに本拠地のある、日本企業の海外イベントや学会等のマネージメントをする会社に勤務。
「メインの顧客はマルチです」
「えっ、マルチってなんですか?」
「マルチ商法ですよ。売り上げトップの人を海外でのパーティーに招待するとかあるでしょう」
色々勉強になります。お子さんの教育上ハワイではあまりにものんびりし過ぎていると、サンフランシスコに移住し、ハワイと本土を行き来する日々とのこと。格好いい、働くお母さんです。

彼女の車に乗り込み、ツインピークスへ。サンフランシスコの中央部に位置する、その名の通り276mと277mの双子の丘。景勝地として知られ、頂から見下ろしたサンフランシスコの町並みは絶景でした。ちなみにデビット・リンチ監督のテレビドラマ&映画『ツインピークス』とは関係ありません。

再会を約束して彼女とお別れをしたのは、1960年代のヒッピーの発祥地で今もその面影を色濃く残す街、ヘイト・アシュベリー(Haight Ashbury)。Haight ストリートとAshbury ストリートの交差するこの一角は、ロックやパンク系の店、古着屋などが軒を連ね、ハートマークやピースマーク、極彩色の花柄模様などが渾然一体となって、香が立ちこめるようにこの街のイメージを記憶に焼き付け
てきます。日本でいうと下北沢に近い雰囲気かしら。

水タバコ専門店に入ったところ、見慣れないカラフルなくねくねしたガラス細工を発見。後から友人に教えてもらい知りました。これらはマリファナを吸うための器具なんですって。いちおう違法ですが、もう当たり前のように店頭で売られている。さすがヒッピーの街。

とは言え、ヒッピーのムーブメントは遠い昔に過ぎ去り、「反戦・平和・自由」をスローガンに、ビートルズを聞いてドラッグによる高揚感に恍惚とできた日々はもう戻ってこないでしょう。世界を覆う悲しみは一時の雰囲気では変えられない。観光地として独特の雰囲気を表面的に楽しめば楽しむほど、その一方で現実が浮き彫りになる。かつてヒッピーだった人々はいま何をしているのでしょう?そのままそのライフスタイルを貫いている人もいれば、現実社会との狭間で方向転換を余儀なくされた人もいるに違いありません。

それは我々の親の世代の学生運動の時代とも被り、ムーブメントと革命の違いを考えさせられました。ヒッピーは世界を変えられたのか?学生運動はどうだったのか?くすぶり続けるフラストレーションは、まだ彼らを支配しているのでしょうか?

「Haight Ashbury」のロゴの入ったマグネットを買い、帰宅後冷蔵庫に貼ってみました。何の重みもないクールなマグネットを。

2008年12月27日土曜日

サンフランシスコ1日目

12/12-12/15でサンフランシスコへ遊びに行っておりました。同じ国とはいえ、東海岸のフィラデルフィアから西海岸のサンフランシスコへは、飛行機で6時間。成田から香港へ行く方が近い!!時差も3時間あるし、たどり着くだけで疲れてしまいました。そして国内線のサービスの悪いこと。機内食も飲み物もそのつど購入しないといけないし、日本の航空会社だと、笑顔のフライトアテンダントがピンセットで配ってくれるおしぼりが懐かしい。

サンフランシスコはお天気が変わりやすく、雨が多いので有名ですが、初日は一日雨模様。おかげでゴールデンゲートブリッジの魅力も8割減。アル・カポネが収容されていたことでも知られる監獄島アルカトラズ島も霧にかすんでおり、どことなく風景が母親の実家のある高松からみた瀬戸内海のようで、正直期待が大きかった分落胆も激しかった。落胆のもう一つの要因はアジア系の観光客の多さ。韓国人観光客がバスで乗り付け、記念写真をパチパチとっている様子は、一昔前の日本人のそれのよう。青い空のサンフランシスコの美しい町並みに出会えるのは、2日目以降となってしまいました。







フィラデルフィアとの大きな違いは、観光客のみならずアジア系とヒスパニック系の人口の高さ。チャイナタウンも比べ物にならないほど大きいし、ほんの数ブロックですがジャパンタウンなるものも存在します。逆に黒人が少ない。フィラデルフィアは人口の半分強が黒人ですからね。

夜になり久しぶりに和食を食べようとジャパンタウンに繰りだしました。闇夜にそびえ立つ名物?のコンクリート製の五重塔は、どことなく新興宗教のモニュメントみたい・・・。町自体も元気がなく荒廃した感が拭えず、第一働いている人のほとんどが韓国人。もはや日本人移住者がコミュニティを作って、地に根を張り生きていく時代は終わったのだなあと、時の流れを感じずにはいられませんでした。





ネットで見つけて予約をいれておいた小料理屋では着物姿のおかみさんに案内され、千枚漬け、松前漬け、揚げ出し豆腐など懐かしい味覚に1年ぶりに出会いホッ。フィラデルフィアでは多分ほとんど手に入らないイモ焼酎で乾杯。お客さんも全員日本人。漏れ聞こえてくる談笑が、まるで小劇場の芝居のように不思議な違和感をもって届いてきました。久しくこういう風景に触れていなかったなあと、フィラデルフィアでは感じなかった望郷の念にかられます。

なぜか侘しさばかり感じてしまったサンフランシスコ1日目でしたが、旅とは期待を裏切られるもの。それもまた味わいがあってよかったとしましょう。

2008年12月25日木曜日

Merry Christmas from Philadelphia













「Happy Holidays!!」の挨拶が街中を覆う素敵な季節になりました。日本では恋人たちのクリスマスというイメージですが、アメリカでは家族のためのクリスマス。一般的に家族そろって夕食を食べたり、プレゼントを交換する日です。そして宗教的な基盤がしっかりした行事なので、クリスマスセールなど商業色が強くなってもまだその祭りの意味合いを、納得のいく形で見つめることができます。

街頭のイルミネーションは、正直言って表参道辺りの方がばっちりフルメイクという感じです。ただフィラデルフィアは古都の町並みが残り、観光用とは言え馬車が走っていたりするので、趣がありますね。海外でクリスマスを過ごせるのは、クリスチャンでない私でも温かい気持ちで幸せになれるひとときです。

センターシティにあるデパート、Macy'sの3階で開催中の「Dickens Village」のショーへ行ってまいりました。ここのMacy'sは世界一大きなパイプオルガンを有する、荘厳な新古典主義様式の歴史ある建物(元はデパート王のWanamaker's building)です。クリスマスシーズンには電飾のイルミネーションのショーが有名ですが、今回見学をしてきたディケンズの「クリスマスキャロル」のストーリーを再現した人形ショーもなかなかのものでした。物語の街を歩いているような感覚にさせられるディテールにこだわった展示。等身大のリアルな人形たちが首を振ったり、ダンスをしたり、叫んだり、カタカタと動き、お化け屋敷のようでちょっと不気味でしたけれど、お話自体も守銭奴のスクルージに、死の恐怖を味わわせてまで、キリスト教的博愛と美徳を説く道徳訓話ですから、それはそれで雰囲気がでていて良いのかもしれません。

イメージを伝える手段として踊りだったり、芝居だったり、映画だったり、色々な表現方法を考えてきた人間ですが、こうした動く人形を使った展示というのはあまり日本には馴染みがないかもしれませんね。

ところがです。これはまだほとんど知られていないことですが、明治から昭和初期に三代にわたって皇族や財界人らに愛された人形師「永徳斎」(えいとくさい)一族というのがいたのですね。 その中でも三代永徳斎(山本保次郎)は、フィラデルフィアに1907年から1927年の20年もの長期に渡り滞在し、今はなき「フィラデルフィア商業博物館」に勤務。展示用生人形や模型の製作に従事したという歴史があります。まだ美術館にCGによる解説や、展示用ロボットがなかった時代、ジオラマや人形モデルを利用した展示は今以上に効果的だったのでしょう。詳細につくられた等身大人形で日本、中国、フィリピン等の世界諸国の生産労働や風俗を表現。残念ながら彼のフィラデルフィア滞在中の作品は、テンプル大学に小型のものが3体残っているだけで、写真でのみその功績を見る事ができます。

彼の研究を続けておられる、作家の圓佛須美子(えんぶつすみこ)さんの講演会に参加させていただいたのは11月20日(木)のこと。残念ながら観客は10人程度しかいませんでしたが、流暢な英語での講演と写真スライドに吸い寄せられました。いいお仕事をされているなあと思ったのと同時に、人形を使った展示の魅力がよく分からなかった記憶があります。それがこうしてMacy'sの人形たちを見ているうちに、アメリカの文化にこの表現形態が根付いている事実。そしてそこに日本の匠の技が出会い一時代を作った歴史を、どどどどと打ち寄せる波のように体感することができました。

英語での解説ですが、フィラデルフィア日米協会のホームページに「永徳齋」の講演会についての情報が載っています、ご興味があればご覧ください。
http://jasgp.org/component/option,com_events/Itemid,176/task,view_detail/agid,407/year,2008/month,11/day,20/

何かが分かったと感じられる瞬間はいいですね。Macy'sのクリスマス電飾イルミネーションとパイプオルガンの調べをYoutubeにアップしたのでご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=DSiIv7ufWlU&feature=channel

2008年12月23日火曜日

働けど、働けど…

外から日本を見ると、今まで何とも思わなかった光景が異常に見えてきます。同時に画一的な視点でしかみていなかったアメリカ像が変わってくるのも興味深い体験です。

一週間くらい前、CNNのニュースで日本の過酷な労働状況について取り上げていました。正確な数値は覚えていませんが確か、25%のビジネスパーソンが午後9時前には帰宅しない。1/3の父親が子供の起きている顔を見ないというデータに愕然としてしまいました。不況下で死にものぐるいで働かないと家族を養えないという現状もありますが、やはりこれは異常です。取り上げられていたエンジニアの男性は、早朝家族が起きる前に出勤し、深夜にくたびれた顔で帰宅。専業主婦の妻は幼い子供の面倒を見る毎日。

私も東京にいた時は連日終電で帰宅でした。夕食を食べていないこともしょっちゅう。で、ストレスを家に持ち帰りたくないため近所のバーへ寄り、ベッドに転がり込むのは深夜2時以降。終電の中は疲弊しきった人々が紡ぎだす「無関心」か、酔っぱらいどうしの「小競り合い」果ては「大げんか」。嫌だなあと思いつつも、生きていくためにはどうしようもないと諦めの境地でした。

こういった話をアメリカ人の友人に話すと口を揃えて「異常だ」と。彼らは離婚率も高いですが、家族を大切にする気持ちは非常に強い。主人の職場(生物学の研究室)も5時くらいになるとみんなさっさと帰ってしまい、夜遅くまで残っていたり、休日まで出勤して働くのは日本人か韓国人のみとのこと。また既婚者が仕事後に一杯飲みにいくという習慣もあまりないようです。むしろ家に帰って子供の顔を見たいと。日本の父親たちは子供の顔を見たくないのでしょうか?

家に父親が不在だから子供が母親とベッタリになって、それが日本の男性にマザコンが多い原因じゃないの?となかなか鋭い指摘を受けてしまいました。精神的に脆弱な男性が多いのもそのせいかも。

結婚しているカップルの1/3がセックスレスというのも恐ろしい話ですよね。だったら離婚すればいいのにとよく言われます。でもそうもいかない。特に子供がいたら片親だと色々困難もあるでしょうと言ったら、幸せじゃない(セックスをしない=愛し合っていない、幸せじゃないという理屈)両親の元に育つくらいだったら、片親でもハッピーな方が子供にとっていいと思う、ですって。

ううむ。そうなのかなあ。そうなのかもしれないと最近思うようになってきました。現状維持というのが日本人は好きなのかもしれませんね。歪みが生じている関係を、見ないように維持してそのまま崩壊へと突き進んでゆく。個人間でも会社内でも、国の舵取りでも。変化を嫌う。いままでそれでやってきたから今更改革をすることにエネルギーを使いたくない。個人間では織り重ねた感情の綾が、社会や政治ではしがらみや既得権益が。

そして今日もくたびれ果てたビジネスパーソンたちが、終電で臭い息を吐きながら口をあけて寝ているに違いありません。もうその世界には戻れないなあと思うこのごろです。

2008年12月9日火曜日

フィラデルフィアから見たオバマの勝利

 2008年11月27日発行 第0523号 論説
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■■■    日本国の研究           
■■■    不安との訣別/再生のカルテ
■■■                    編集長 猪瀬直樹
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 今週のメールマガジンは元猪瀬直樹事務所スタッフであり、フィラデルフィア在住、甲斐田雅子さんのレポートをお送りします。

 今月4日に投票が行われた米大統領選挙は、民主党候補のオバマ上院議員が共和党候補のマケイン上院議員に勝利し、米国初の黒人大統領が誕生することとなりました。

 1930年代以来の金融危機がオバマ氏勝利の決定打となったとも伝えられていますが、果して実際はいったいどんな人びとが、どんな思いをもってオバマ氏に投票したのでしょうか。

 雅子さんのレポートにはオバマ氏に投票した人々の生の声がつづられていました。熱狂する人びとの一方で、冷静に選挙戦をみつめる人もいる。ぜひ一読を。

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「フィラデルフィアから見たオバマの勝利」

                          甲斐田雅子


 アメリカ大統領選は民主党候補のバラク・オバマ(47歳)の勝利で終わった。狂喜する民衆の映像は日本でも流れたことだろう。黒人初の年若き大統領。昨今の金融危機をどう乗り切るのか、今後の日米関係はどうなるのか、などドラマティックに報道されたに違いない。

 長い長い選挙戦だった。連日報道されるオバマ、マケイン両候補の一挙手一投足。テレビコマーシャルによるネガティブキャンペーンの嵐。街角でもキャンペーン担当者に捕まり「選挙人登録は済ませたのか」と聞かれるなど(私には選挙権がない)かなりうんざりしていたので、正直なところ平穏な日々が戻ってきてホッとしている。メジャーリーグでのフィラデルフィア・フィリーズの28年ぶりの優勝、そしてこのオバマの勝利と、暴徒化した市民が深夜まで奇声を上げクラクションを鳴り響かせる日々が続いたので……。

 ただオバマの勝利とはいえ、その票差は53パーセント対47パーセントとアメリカ国民の約半数がマケインに票を投じていたことになる。ここペンシルベニア州では54.7パーセント対44.3パーセントでオバマが勝った。もともと東海岸は民主党が強いことで有名なので予想通りではあったのだが、私の住むフィラデルフィアの結果には目を疑った。なんと83パーセントもの有権者がオバマに票を投じていたのだ! 

 確かに街角でマケインのキャンペーンは一度として見る事がなかったし、オバマ支持を表明するTシャツやバッジを誇らしげに身につけた市民が闊歩し、皆口々に彼を褒めたたえていた。もはや政策云々ではなく、心情的理由が第一優先されているとしか思えない。選挙というよりは宗教に近いものすら感じた。

 だが、果たしてそうなのだろうか? 選挙権のないガイコクジンである私が冷ややかな目で見つめているだけでは何も分かった事にはならない。大手メディアの報道も日頃から偏りを感じている。なぜ83パーセントものフィラデルフィア市民がオバマに投票したのか。いったい何が彼らをそこまで駆り立てたのか。そこでささやかなアンケート調査を実施してみた。私に統計の知識はない。この調査結果はあくまで多少恣意的なチョイスによる街の声のサンプルとして受け止めていただきたい。

 アンケートはいたってシンプルなものだ。1.性別 2.年齢 3.人種 4.どちらの候補に投票したのか? 5.その理由 6.フィラデルフィアでオバマが大勝した理由はなにか 7.逆にマケインが大敗した理由はなにか。5、6、7はあらかじめ一般的に言われていることを元に選択肢を用意しておいた。対象となったのは私の友人や英会話の教師。さらに彼らの知人、家族ら38名。男性22名、女性16名。人種別には白人29名(うちユダヤ系4名)。黒人6名、アジア系アメリカ人3名。今回初めて選挙権を得た18歳の青年から70代後半のシニア世代
まで手を広げたが、一番回答が多かったのは20代から30代の若者たち。

 多少恣意的と先ほど言ったが、まず日本人である私を友人として受け入れてくれている時点で語学学習や、オリエンタル文化、アニメの世界などに興味津々の知的好奇心溢れる若者たちなのだ。あるいは移民に英語を教える講師たち。アメリカ以外の国の人々と共同研究やディスカッションをする科学者たち。彼らをアメリカ人の代表とすることはできないが、全米第6位の大都市フィラデルフィアでは良識ある一般市民の枠に入れてもよいだろう。決して豊かではないが日々の生活には困っていない。投資型年金の受給額に頭を悩ませたり、サ
ブプライムローンで首が回らなくなったりしているわけでもない。その辺りを考慮に入れて以下の結果を見てみよう。

 38人のうちオバマに投票したのは35名。マケインに投票したのは1名。その他2名。マケインに投票したのは70代の白人の男性のみだった。彼とは面識がない。地元でマケインのキャンペーンの指揮を取っていた責任者だと聞いている。

 オバマを選んだ理由。複数回答を可としたので全てに印をつけてくる人もいたが、中でもダントツに多かったのが「これ以上共和党に政権を握らせたくないから」というもの。次いで「マケインの政策に同意できないから」と「ミドルクラスを対象にした減税プランに賛同できるから」が並び、経済不況を立て直すことへの期待はその次となっていた。

 フィラデルフィアでオバマが大勝した理由。そしてマケインが負けた理由。これは面白いほど回答が一致していた。「フィラデルフィア市民は社会的かつ人種的にもオバマに共感を抱いているから」。つまりフィラデルフィアは黒人の街だからということだ。確かに2000年の国勢調査によると、黒人人口の高い街ランキングでフィラデルフィアはニューヨーク、シカゴ、デトロイトに次いで4位に位置する。そして次いで「フィラデルフィアはそもそも民主党が強い地域だから」。

 ただ先ほど触れたようにペンシルベニア州全体の結果は54.7パーセント対44.3パーセントと僅差だ。これは郊外に住む根強い保守派がマケインを支持したからだ。州内の67選挙区のうちオバマが勝利したのは18地域のみ。共和党の党カラーの赤、民主党の青で塗り分けされた地図を一見するとまるでマケインが勝ったかのように真っ赤である。「白人に投票しよう!」という看板を表に出している家もあったと聞く。

 オバマのキャッチコピーは「CHANGE」だった。これは日本でいうところの「構造改革」に近い響きだったに違いない。すとんと国民の胸に落ちた。「古い自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉元首相の顔が浮かぶ。8年間のブッシュ政権への怒りがたまった都市生活者たちや、未だ社会的地位が低い多くの黒人たちのルサンチマンが一気に爆発した結果ともいえよう。

 またもう一つのキャッチコピー「YES WE CAN」も強い言葉だった。日本では誰かの相談に乗り励ましたい時など「頑張って」というが、英語では「You can do it」と言う。「頑張って」がどことなく対象から距離を置いて遠くから応援している印象を与えるのに対し、目を見て「You can do it」と言われると「あなたならできる」と強いパワーをもらったような気になる。「YES WE CAN」が響いたのも言葉に宿る力をオバマが上手に使い、それによって人々が奮い立ったからだろう。

 今回初めて投票権を得た18歳の黒人の青年が興奮したメールを送ってきた。「オバマが次期大統領になった瞬間のインパクトはすごかったよ。これは初の黒人大統領による新たなアメリカの幕開けだね。今やすべての人種の人びとが言うことができる。『私も大統領になれるんだ』って。」

 ただ同じくオバマに投票した30代の黒人男性はもう少し冷静だった。
 
「この選挙は最初から不公平だったよ。だって全てのメディアがオバマを応援していたんだから。どのチャンネルでもオバマがいかに素晴らしいか、彼の政策がこうだということしか放送していなかった。マケインのプランなんて結局よく分からないままだったよ。だから郊外の共和党支持者はテレビなんか見ていなかったんじゃないかな。彼らは最初からマケインに投票するって決めていたんだよ」

 彼は日頃から政治が嫌いだと言っている。政治家はみんな嘘つきだから嫌いだと。しかし投票にはちゃんと足を運んでいた。そして彼が放った以下の言葉は痛みすら感じるものだった。

「1年くらい前に、テレビでなぜテロリストたちは罪のないアメリカ人を殺すのかという特集を見たんだよ。中東のとある大学教授がインタビューを受けていて、彼によるとアメリカ人が彼らのリーダーに投票した以上、もしそのリーダーが間違いを犯したら同じ責任を負わなければならない。それゆえ“無実な”アメリカ人を殺してもオーケーなんだと。その考え方はあまりにも強烈だった。でも投票した人たちが、彼らの選んだ大統領が間違いを犯した時に責任を少しでも感じるかどうかは疑わしいね。僕はオバマに投票した。だからオバマが過ちを犯したら、僕にも小さい責任があると思っているよ」

☆上記の記事は作家の猪瀬直樹が毎週発行しているメールマガジンから、2008年11月27日号として配信されたものの転載です。彼のメールマガジンの配信を希望されるかたはこちらから。
http://inose.gr.jp/mailmaga/index.html

2008年12月1日月曜日

雨のフィラデルフィアより愛をこめて

「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

雨にむせぶフィラデルフィアの空を見つめていたら、ふと思い出しました。与謝野晶子のこの短歌。情熱の女流詩人として知られる彼女らしい、思いのたけをぶつけたセンシュアルな作品。素手で肉体をえぐるのではなく、遠くから放った言葉のやはらかな毒矢でじわじわと魂を蝕む。女は怖いなあと。でも私も女ですから、きっとこの怖さを隠し持っているのでしょう。

これをどう英訳するのかしらと調べていたら、2つ見つけました。

Not even once 
have you touched my soft flesh,
 coursing with hot blood,
 Don't you feel a bit lonesome,
 you -- always preaching your way?

Don't you feel you are preaching in vain about how life should be, without holding my hot and feminine body?

まあどちらも同じようなことを言っているのですが、やはり直接的になってしまい、まどろむような趣が消えてしますね。

分かるような分からないような、察する事ができるようなできないような、そもそも男女の中なんてそんなものです。恋愛という架空の世界を彷徨い、分かり合えるという幻想に一縷の望みをかけもがき苦しむ。こぼれおちていく言葉の球を追いながら。

恋愛に成就はないというのが私の考えです。一瞬のエクスタシーはあるかもしれませんが、味わった後はかえって肉体と精神の火照りに苦しむ。始まった瞬間から終焉にむけてのカウントダウンがはじまる。人生のように。

あまりにも考え方が暗いと友人に笑われました。hapinessというのはそういうものではないよと。愛する人と一生連れ添い、子供を産んで次の世代への希望を残すのが幸せだって。そうかもしれませんね。もしそれができるのであれば。その価値観に疑問を抱かず生きていけるのであれば。

俵万智のチョコレート語訳だとこうなります。

「燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの」

謎めいた響きが消えて、これでは詰問になってしまう。聞きたくても聞いてはいけないのは恋愛の掟。そしてそれを聞いてしまうのが女の弱さ。ローエングリーンの素性を問いつめたエルザのように。

これだったら英訳の方がまだ良いですね。少なくとも私にとっては、辞書を引きながら意味を想像する。翻訳者の戸惑いと苦悩のひだに指を這わせるという遊びの部分が残されているから。