2009年7月24日金曜日

本日の客

寿司カウンターで1人22オンスのビールを片手に、アングリータコロールをつまむ彼女。こうした一人で来る女性客は少なくない。1人でSUSHIをつまむ姿はなかなか洒落ている、のかもしれない。我がレストランで「本日のスペシャル」として提供されるアングリータコ、ダブルスパイシーツナロール、サングリアロールの巻寿司3品は、当分変更する予定はないようである。

恰幅の良い男性客が入ってきた。醸し出すオーラがやや鬱陶しい。迷わずカウンター席に行き、女性の隣に一つ席を空けて座る。

「今日は一日寿司が食べたかったんだよ。そのビール良いねえ。僕にも彼女と同じビールを。あとサーモンロールとツナロール(鉄火巻き)を。ちなみにこれそれぞれ何個なの? えっ? 6個ずつ! それは多すぎるなあ。食べられないかも」

なんということはない。ペロリと平らげ、追加で天ぷらも注文。このころには初対面であるはずの隣の席の女性ともすっかり打ち解け、自分の皿からタマネギの天ぷらを彼女にプレゼント。彼女もまんざらではない様子で、ビールを飲むペースをダウン。この際もう少し食べてくれないだろうかと彼女に注文を取りにいくが、ビールをゆっくり楽しみたいのと追い払われる。

男性はイタリア人だった。ビールを良く飲み、よく笑い、よく語り、彼女も楽しげに相槌を打っている。しかし寿司バーでの恋は結局燃え上がることはなかった。会話が切れた瞬間に彼女は訴えるような目で会計を促してきた。クレジットカードのサインをさらさらと済ませると「美味しかったわ。あなたと話せて楽しかった」と何事もなかったかのように、足早に去っていった。

肩すかしをくらったイタリア人は淋しさを紛らわすかのように
「スージーは実にナイスな女の子だったよ。そうだろう?」
と我々に同意を求めてくる。かなりの大声で。もちろん我々も笑顔で返す。彼女の名前はスージーだったのね。なかなかチャーミングだったのに。本日の狩猟失敗なり。なのかしら?

そわそわと居心地悪そうにする彼。カウンター脇のテーブルには家族連れが夕食を取っている。ハリーポッターの主人公にそっくりな少年は、カリフォルニアロール12個とご飯を注文。ご飯に醤油をドバドバかけながら、フォークも出してくれと。父親は握り寿司と日本酒、母親はベジタブル照り焼きセットを注文。

「昨日もここに来たのよ」と母親。「フィラデルフィアに来て一番清潔でマナーのいいレストランだわ」
イタリア人は次のターゲットをこの家族に決めたらしい。何を食べているのかいと息子に話しかけ、その後父親と意気投合。自分はイタリア人の俳優だと名乗る。スージーはその言葉にしばし時を許してしまったのかもしれない。

トラベラーズチェックで会計を済ませた家族。旅人だったのだろうか? 彼らも去り、再びイタリア人は居心地が悪そうなそぶりを見せる。存在感をアピールし過ぎて、その後の落ち着きどころを勝手に失っていく男。最後に注文した枝豆を平らげ、やっと店を出ることができた。

「美味しかった。いやあ素晴らしいレストランだったよ」

2009年7月21日火曜日

発音の苦しみ

最近毎日のように発音練習をしているのが「シェリル・クロウ」こと「Sheryl Crow」。ご存知グラミー賞受賞経験も豊富な、アメリカを代表する歌姫の1人です。初めて彼女の名前をネイティブの前で発音した時、全く通じず渡米1年9ケ月にもなるのにと愕然としました。特にSherylの発音の難しさは尋常じゃない。何百回と練習しているのに、まだ満足のいく音が出ません。

ちなみにこれが正しい発音。
http://dictionary.reference.com/browse/Sheryl
(拡声器マークをクリックすると音が出ます)

英語の発音の難しさは舌の位置、唇の使い方、喉・口蓋などどこに力を入れて音を出すかなど、まったく日本語と違う構造にあるからなのですが、さらに音節ことシラブル(syllable)が全く異なる。日本語表記にしてしまうとシェ・リ・ルと母音が3つあり、それと同数の音節を無意識に作ってしまう。しかしSheryl を発音する場合は2つです。もう一つ例を出すと男性の名前の「ブラッド」(Brad)。これも日本語読みをすると音節は3つですが(モーラで数えると4モーラ)、英語では1つ。

新しい単語を覚える時はなるべく、スペルを確認しながら耳と目の両方でインプットするようにしています。なぜならイメージのなかで「Sheの発音は口をこう使い、その次にRが先にきて、Lは最後」と形作り、それに沿って発音しないと、意味とスペルと発音の回路が作れないからです。いくつかパターンができてくれば、次に似たようなアルファベットの組み合わせを見た時に、たぶんこんな感じで発音すれば通じるかしらと予測ができるから。

さらにこの「Sheryl」を我が意を得たとばかりに「シェロー」と言ってしまうとそれはそれで間違い。「ローとかオーなんて言っていないでしょう」と指摘されてしまいます。もっと喉の奥からこもったうなり声を出すイメージ。

まったく異なる楽器に自身を作り替えている最中なのだと思います。今までポンポンと叩けば音が出る木琴だったところを、オーボエやクラリネットといった木管楽器にトランスフォームしているような。

語学学習はスポーツと一緒だといつも思います。生まれつき俊足であるとか、瞬発力があるという恵まれた肉体の持ち主でなくても、筋肉の構造を理解し、それを強化するトレーニングをすることにより、鍛えられていきますよね。ただそこに私のネイティブ言語である「日本語」が邪魔をしてくるのです。日本語は無意識にでも話せてしまう。だからそのクセを無意識に英語にも持ち込んでしまうのですね。ですからそこを意識的に頭と口を動かさないと通じない。もちろん生まれもっての語学センスというのは大きく、運動神経が良い、悪いに匹敵するもので、私はとことんこのセンスがないのねえと思っていますが。昔っから音痴だったし…。

面白かったのが「worldという単語は発音できる?」と聞かれた時。聞いてきた彼は、カードにかかれた単語を一人一人読み上げる練習を幼稚園児だったころやらされ、苦手な「world」を引いてしまい上手く発音できず恥ずかしかったとのこと。日本語では知らない漢字が読めないということはありますが、振り仮名さえあれば誰でも音読することは可能。英語では「w・o・r・l・d」とスペルが分かったところで、その読みは訓練して刷りこんでいかないと、子供でも1回見ただけで発音できるものではない。確かにこれも良くみてみると「w」「r」「l」と発音の難しいアルファベットの組み合わせです。ただ私はこの単語で会話中につまずいた事はないので、たぶん通じる音が出せているのでしょう。

たった英語一つでこんなに苦しむのに、多言語を軽々と操る人はどういう作りになっているのでしょう。引き出しがいっぱいある方は本当に羨ましい。

2009年7月20日月曜日

国へ帰る人

同僚のインドネシア人の寿司シェフが1人、母国へ帰っていきました。観光ビザで入国し、そのまま数年間違法に居座って仕事をしていたので、これで帰ると当分はアメリカに入国できません。ガールフレンドが待っているそうです。帰ったら何をするのと聞いたところニヤッと笑い

「当分はリラックスしたいね」

「寿司シェフとしてレストランで働けそう?」

「どうかなあ。インドネシアにも寿司シェフはいっぱいいるからねえ」

週6日馬車馬のように働き、カウンター越しにいつも「疲れた。眠い」と日本語で私に愚痴っていた彼。アメリカに来た理由はただ一つ

「金」

だそうです。インドネシアでは稼げないから。日本にも数ヶ月語学留学をしたそうで、ちょっとなら話せました。日本に行って、アメリカに来て、夢を追って生きてきたのでしょう。今の彼の胸にあるのが、挫折感だけでなければ良いのですが。

「アメリカの生活はつまらない。はやく国に帰りたい」
とよくこぼしていました。一日だけの休日は寝て、テレビゲームをやっておしまい。彼を含め、ほとんどのインドネシア人たちは終バスでサウス・フィリーへ帰っていきます。きっとそこにインドネシア人コミュニティーがあるのでしょう。情報がまわり、仕事の斡旋もあるのかもしれません。彼の後釜として働き始めた新米のシェフも、またインドネシア人でした。

韓国のテレビドラマにでも出てきそうな、口元がちょっとだらしないけど、目元が涼しげな優しい若者でした。一ケ月ちょっとの付き合いでした。もう二度と会う事もないのでしょう。

2009年7月16日木曜日

声優、再び

「日本語訛のある英語の声優を募集していて、急な話ですが明日空いていますか?」

と依頼が飛び込んだのは、事前に登録してあった通訳や翻訳、語学教師派遣を扱う会社から。すぐにスクリプトがメールで送られてきて、練習する暇もないまま電話でオーディション。オーディションと言っても、他にライバルがいたとは思えず、5分後に合格通知の電話。なかなかネイティブのように話せないというコンプレックスがこんなところで役に立つとは。それに報酬もなかなかのもので、私が週2回1ケ月間日本食レストランで働くよりも高い!

そして本日午前11時。我が家から徒歩10分ながら、今までのぞいた事もなかった汚い路地の地下にあるスタジオに集まったのは、フランス人、オーストラリア人、インド人、メキシコ人、アメリカはジョージア州出身、そして日本人の私。求められていたのは日本語訛だけでなく「多様性」だったようで、(ジョージア州出身の人はアメリカ南部のアクセント)、実は某大手製薬会社のCMのナレーション録音でした。

まずは先に収録したCMのビデオを全員で鑑賞。不景気のイメージ、競技場でアスリートが倒れるショット、山の頂にクライマーが到達するシーン、製薬工場での製造ラインの映像、笑顔の病人や顧客、活き活きと働く人々、といった流れ。

渡されたスクリプトは全員同じ。要は、この不景気の中、我々の供給戦略は一時つまずきを見せたが、今後は問題を解決しさらなるチャレンジをし続ける。再建を誓い、更なる顧客ニーズに答える姿をアピールしようというものでした。

個別にガラス張りの防音室に呼ばれ、ヘッドホンをし、ミュージックビデオなどで見る丸い網が張ってあるマイクの前に立ち、録音スタート。

That's the business we're in. That's how we manufacture success.
We're committed to delivering on time. All the time. Every time.
The world expects it. And together we will deliver what we promise.

(一部抜粋)

なんのこっちゃという感じもしましたが、錆び付いていた、かつて大学時代演劇サークルにいた日々と思い出しながら、情感たっぷりに下手な英語を読み上げたところクライアントは大満足。私の収録は10分程度で終了。

待機していた時間の方が長く、他の5人と雑談をしながらコーヒーを飲み、2時間半くらいだらだらしてしまいました。他の”声優”たちもなかなかの個性派ぞろいで、ソプラノ歌手、会社経営者、通訳、ファイナンシャルプランナー、IT関係と実に様々。そして皆英語が上手い(オーストラリア人とジョージア州出身は当たり前ですが)。こんなに外国人でありながら、アメリカという地で逞しく生きている人がいるのだから、私ももっともっと頑張らんとアカンねえと、久しぶりに気合いが入りました。

「多様性」を訛のある言葉で表現する。「多様性」をアピールすることで、親近感を持ってもらう戦略に出る。アメリカならではの発想ですね。顔はいっさい出ませんし、どの部分が使われるのか全く分かりませんが、オンエアが楽しみです。多分、日本で流れることはないと思いますが。

2009年7月10日金曜日

砂の女

その昔、そう高校生くらいの時だったかしら、父の書斎から引っ張りだして読んだフリをしたきりでした。安部公房の「砂の女」。

ただページを最初から最後までめくったという事実が欲しかっただけなのかもしれません。「不条理」とは何ぞやと格好つけてみても、条理すら知らない小娘に分かる訳がなく、蜃気楼のようにぼんやりとあらすじは浮かぶものの、結局何も分からなかったのですね。一度読んで、棚にしまって、それきりでしたわ。

「テシガハラ・ヒロシの映画が好きなんだ。特に『Woman in the Dunes』が」
「Woman in the Dunes?」
「日本語で『スナノオンナ』って言うんでしょう」
とあなたに言われるまで、「スナノオンナ」こと「砂の女」が、テシガハラ・ヒロシこと「勅使河原宏」という監督により映画化されていたことを知りませんでした。いえ、それどころかこの小説を思い出す事すらなかったのです。

「君と一緒にその映画を観たい」
とあなたに言われ、「いいよ」と生返事をしたまま約束を数ヶ月反故にしていたのですが、ついに昨日、観てしまいました。そう観てしまったのです。あなたと一緒に。その恐ろしさを知らないまま。

武満徹の闇を切り裂くような旋律。
モノクロ画面で接写される砂、女の肌、砂、虫、砂、男の背中、砂、髪、砂、水、そして砂、砂、砂。

こんなにざらりとした質感のある映画は初めてでした。今のわたしに心というものがあるのであれば、心の表面はこうなっているのかもしれない。心のひだに入り込んだ砂が、ぎしぎしと溢れ出し砂丘をつくる。そして蟻地獄のように、今度はその中に感情が引きずり込まれ蠢き、もがき、結局のところ安住してしまう。

決して鍵カッコつきの「不条理」の標本なんかではなく、それは、そのまま我々人間の生々しいまでもの這うような生き様なのではないか、と気がついた時には、もう遅かった。

わたしも、そこにいたのです。
そう、その砂の中に。

岸田今日子さんの半開きの唇が脳裏に焼き付いて離れません。ホラー映画よりも怖い。それは外的な恐怖ではなく、この肉体に巣食い、魂を支配する地獄だからではないでしょうか。

なぜあなたはこの作品を愛するのでしょう。
私はその砂の中にあなたを見なかった。
私自身を俯瞰する視点はくれたけれども。

病院にて、其の三

もう病院について書くのも終わりにしたいのですが、あまりにも想像を絶する日々なので。

もう実名を出しますと、Hahnemann University Hospitalです。ここ数週間私を悩ませているのは。どうしてもそこでしか精密検査を引き受けてくれないというので、嫌々行ってきました。

センターシティーの北の外れ。もう少し行くと治安がどんどんと悪くなる境界線のあたり。癌、耳鼻科、消化器系、高齢者医療、心臓病などなど、広範囲のサービスを提供する巨大病院で、病棟は新しく非常に立派。外見だけはねえ。

受付にたどり着くと、クジャクの羽のような色でまぶたを染めあげた、ニューハーフにしか見えない黒人のオバサンが、退屈そうに長い真っ赤な爪をいじっているではありませんか。彼女は座っているだけで、特に仕事をする気はないようで、背後から同僚が彼女の前の机の資料を取りにきた時には、椅子をずらすそぶりさえ見せません。

ようやく別の牛のような体型の黒人のオバサンが、ゴールドのド派手なアクセサリーをじゃらじゃら揺らしながらのっそりと現れ、私の名前を確認。なんどもこっちがファーストネームで、こっちがファミリーネームだと言うのに、すぐ混乱する。スペルも3回は確認。

そしてベンチで待つように言われ、しばし壁にかかったテレビでCNNのニュースを見つめる。マイケル・ジャクソンのニュースはもういいよ。不安はどんどんと募っていきます。私以外の患者は、全員似たような、安物の服を着た肥満体型の黒人ばかり。病院ですから仕方がないのでしょうが、みな無気力な惚けた顔で空虚を見つめています。

再度受付から呼ばれ、4番のブースに来いと。そこには先ほどのゴールドのアクセサリー、と短髪の白髪で覆われた先輩格の黒人のオバサンが待っており、にっこりと自己紹介。いまから患者登録をするからね、と。これがヒドかった。彼ら、私の個人情報を登録するだけで30分もかかったのです。ものすごーーーいいとろとろと、あーでもない、こーでもない、と言いながら、キーボードを指一本でカチャッ………カチャッ……、カチャッ……あっ間違えたわ、アハハハハ………とやっているのです。

「仕事はてきぱきと」とか「お待たせして申し訳ない」とか、そういった発想がいっさいないのです。そんなに時間がかかるんだったら、こっちが代わりに入力してあげたいと思うくらい。Lazy(怠惰)と言う以外、言葉が見つからない。

プリントアウトした書類を取りにいく動作もゾウガメのごとく、鈍い。気が遠くなりそうでした。時計を見たり、ため息をついたり、朝食抜きで来ているからお腹が空いたわと言って、プレッシャーをかけようしても、全く効果なし。悠然と微笑まれ、逆に気圧されしてしまいます。

なぜこんな仕事ぶりで給料がもらえるのだろう? 責任感なく、だ〜らだ〜らやっているから、私の予約の電話も無視したり、たらい回しにしたり、途中でメンドクサイと思って留守番電話につなげて逃げたりしたんだわと、怒りがグツグツと沸いてきて、頭から蒸気がシュポーっと出て汽笛が鳴りそう。やれるものだったらやってみたかったわ、スチーム係長みたいに。

検査そのものはスムーズに進み問題なかったのですが、(問題があるかどうかは結果の方ですね)それに至るまでの過程がもう…。結局病院に拘束された時間は2時間半。そのほとんどが待ち時間でした。

この日、やっと食事を口にできたのは午後5時半。その足でチャイナタウンのNan Zhou Hand-Drawn Noodle Houseへ直行し、ピーナッツソースの手打ち面3ドル、ワンタンスープ2ドルを、中国語の飛び交う、小汚い食堂でかき込みました。ここは安くて味も確か。オススメです。

2009年7月7日火曜日

病院にて、其の二

精密検査のため訪れたJ病院。今回は万全を期して臨んだつもりでした。はい、英語素人は口を出しますまい。不備がないよう電話予約からしっかりネイティブの友人にまかせ(こういうのを依存といいます)、検査に時間がかかっても良いよう半休をとって付き添ってもらい(こういうのをワガママと言います)、眩しい日差しの下をてくてく、朝食抜きのためクラクラ。不安でドキドキ。

ええ、受付の女性は笑顔で迎えてくれましたとも。服用している薬はないか、最近の体調はどうかなど、笑顔を交えた丁寧な対応にホッ。とする間もなく、別の職員がつかつかと近寄ってきて言うではありませんか。

「あなたの保険プランはうちの病院は受け付けられないの」
「えっ!!予約の段階で確認したよね。大丈夫って言ったじゃない」
「この保険会社自体はいいんだけど、あなたの加入しているプランは特別で、あなたが最初に指定したHという病院以外はだめなの」

なんだとぉぉぉぉぉぉ(怒)

確かに保険加入時に、ホームドクターを決める必要があり、我が家からちょっと歩いたところにあるHを指定しました。そう、例の予約の電話をたらい回しにしたのち、留守番電話に繋がり、そしてメッセージを2件も残したのにかけ直してこなかった、あの病院です。そこで完全なる無視を決め込まれたため、近所のドクターを探して行き、精密検査が必要だから大病院へ行けといわれ、Jまではるばる来たのに、これではまた振り出しじゃない!Hの怨念だ…。でも近所のドクターでは保険が適応されたのに、なぜ大病院で検査となると受け付けてもらえなくなるのかさっぱり分かりません。

いくらごねてもダメなものはダメ。最初から契約をしっかり確認しないこちらが悪いのですが、半休を取ってまで付き添ってくれた友人に申し訳なくて"I'm sorry"を連発。友人は「あなたが悪い訳じゃないよ」と、すぐにH病院に予約の電話をかけてくれましたが、また同じ悪夢が。電話のたらい回し、途中まで予約内容を聞いていたはずの担当者が電話口から消え、数分に渡る保留音の後また別の人がでてくるなど、イライラが募ります。

15分くらいかけて、ようやくH病院の予約が取れましたが、今度はカルテをそちらに再送してもらうため、最初に訪れた病院へまた電話。何で一カ所でこんなことがさっさと済まないのだろう?辛かった諸々の症状は消え、すっかり元気になってきたので、もう精密検査など受けたくないのですが、ここまで来て引き下がる訳にも行かず、逆に疲弊しきってきました。事が全て解決したら、H病院をさっさと担当医から外してしまうつもりです。でもこれがもっと重い病だったらどうするのでしょう?待ちくたびれている間に症状が悪化するに違いありません。

最近、オバマの医療制度改革について調べていたのですが、こう我が身に降り掛かっていると、状況の深刻さと改革に一刻の猶予もないことが痛いほど分かります。私はまだ保険に加入できているから良いようなもので、この国の無保険者はこの8年で690万人増えて4,570万人となっており、うち800万人が児童、8割が勤労者世帯。過去1年間に何らかの形で保障を失った者は6000万人に上っています。日本のような皆保険制度がないため、民間の保険に入るか、加入していたも保険でカバーされる範囲が限定的なため、自己負担分の高額の医療費は家計を圧迫し(GDP比16%。2017年には20%弱に達する)、借金漬けとなるため個人破産の半分以上の原因となっているのです。加えて、医療過誤も多いし、予防と公衆衛生への投資不足も深刻だし、先進国とは言えない状況。いったい前大統領は戦争ばかりして、金持ち優遇税制で彼らに甘い汁を吸わせ、ホント何をしてきたのでしょう。

President Obama is committed to enacting comprehensive health reform this year that lowers costs, guarantees choice of doctors and plans, and assures quality affordable health care for all Americans.

そうだオバマよ、そして議会よ、是非結果を見せてくれ!!

Not only for Americans but also for foreigners like me....

皆保険制度は素晴らしいです。共産主義的だと言われようと、何だろうと素晴らしいシステムです。

2009年7月2日木曜日

病院にて

やっと病院へ行く事ができた。友人たちにおんぶに抱っこで、予約入れから当日の付き添いまで(仕事を抜けてきてくれた2人に深く深く感謝)全部頼み、迷惑をかけっぱなしで反省。そうか、日本を離れると病院へいくことも大冒険になってしまうのねと渡米1年8ケ月も過ぎたころ、また何もできないことに気がつき、がっくり、しょんぼり、ため息、自己嫌悪。

診察前に記入する書類に一時間も費やしてしまい、後からきた人にどんどんと抜かれていく。焦れば焦るほど、書類の文字が踊りだし、もう気分はチャイム5分前の高校の英語の試験。現在の症状から日頃の生活習慣まで、あれこれ答えないといけないのだが、そのなかに「マリファナやコカインを常用しているか?」という質問項目には驚く。さすがアメリカ。あとなぜか「毛」に関する質問も多く「顔に異常なほど毛が生えているか?」というようなものもあり、首を傾げながら「No」にチェック。

何事も初回が大変なのだろうが、診察となるともう緊張でガチガチ。医師の質問にも的確に答えられず、結局前から症状を相談していた友人に診察室まできてもらい、まるで彼の症状を説明しているかのようによどみなく答えてもらうという異常事態に。

血液検査でも注射器を持って現れたでっぷりした黒人の女性看護士を不安な目で見上げてしまう。
「これは決して、決して人種差別ではないのだけれども」
と心の中で繰り返しながら、そのむちむちした不器用そうな指に私の細い血管が拾えるのだろうかと固くなってしまい、結局採血自体は滞りなく済んだのだが、二の腕を圧迫していたゴムチューブが解かれた後も握りしめた拳がしばらく開かなかった。

検査結果は後日報告。さらに大病院で追加の検査を受けなくてはいけないことになってしまったが、でも逆に原因が分からないまま放置しなくてよかったとちょっと安堵。

診察後、付き添ってくれた友人が小怒り気味に
「bipolar disorderって言われたの気がついた?」
どうやら不眠症気味であることや、諸々のストレスで精神的に疲れ気味だという話をしたときに医師に自信たっぷりに告げられたらしい。bipolar disorderとは双極性鬱病。つまりうつ状態のこと。確かに最後に泣いたのはいつかとか聞かれたなあ。
「確かにストレスはあるだろうけど、そんな大それた名前をつけるほどじゃないでしょう?そうやってもっと診察しようとしているんだよ」

いらん。いらん。そんなよけいな病気を見つけないでいただきたい。ドーパミンをコントロールする薬でも処方する気だろう。そんなことでは根本的に問題は解決しないのだよ。医療もビジネス。患者は消費者なのだから賢く医者につきあい、弱気につけ込まれないようにしないと。まったく、病院でも気が休まらない。