2009年7月10日金曜日

砂の女

その昔、そう高校生くらいの時だったかしら、父の書斎から引っ張りだして読んだフリをしたきりでした。安部公房の「砂の女」。

ただページを最初から最後までめくったという事実が欲しかっただけなのかもしれません。「不条理」とは何ぞやと格好つけてみても、条理すら知らない小娘に分かる訳がなく、蜃気楼のようにぼんやりとあらすじは浮かぶものの、結局何も分からなかったのですね。一度読んで、棚にしまって、それきりでしたわ。

「テシガハラ・ヒロシの映画が好きなんだ。特に『Woman in the Dunes』が」
「Woman in the Dunes?」
「日本語で『スナノオンナ』って言うんでしょう」
とあなたに言われるまで、「スナノオンナ」こと「砂の女」が、テシガハラ・ヒロシこと「勅使河原宏」という監督により映画化されていたことを知りませんでした。いえ、それどころかこの小説を思い出す事すらなかったのです。

「君と一緒にその映画を観たい」
とあなたに言われ、「いいよ」と生返事をしたまま約束を数ヶ月反故にしていたのですが、ついに昨日、観てしまいました。そう観てしまったのです。あなたと一緒に。その恐ろしさを知らないまま。

武満徹の闇を切り裂くような旋律。
モノクロ画面で接写される砂、女の肌、砂、虫、砂、男の背中、砂、髪、砂、水、そして砂、砂、砂。

こんなにざらりとした質感のある映画は初めてでした。今のわたしに心というものがあるのであれば、心の表面はこうなっているのかもしれない。心のひだに入り込んだ砂が、ぎしぎしと溢れ出し砂丘をつくる。そして蟻地獄のように、今度はその中に感情が引きずり込まれ蠢き、もがき、結局のところ安住してしまう。

決して鍵カッコつきの「不条理」の標本なんかではなく、それは、そのまま我々人間の生々しいまでもの這うような生き様なのではないか、と気がついた時には、もう遅かった。

わたしも、そこにいたのです。
そう、その砂の中に。

岸田今日子さんの半開きの唇が脳裏に焼き付いて離れません。ホラー映画よりも怖い。それは外的な恐怖ではなく、この肉体に巣食い、魂を支配する地獄だからではないでしょうか。

なぜあなたはこの作品を愛するのでしょう。
私はその砂の中にあなたを見なかった。
私自身を俯瞰する視点はくれたけれども。

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