2009年5月26日火曜日

太陽の匂い、土の光





植えっぱなしでは木は健全に育ちません。「フィラデルフィア桜祭り」を通じて植樹を重ねた桜の木々は枝葉を伸ばし、そろそろ床屋さんに行かないと。

すでに日差しが眩しくなってきた土曜日の朝、フェアマントパークで行われた桜メインテナンスのイベントに参加したのは、ボランティアの方を含め20人強。大ベテランのT教授の指導のもと、落とすべき枝の指導が行われます。T教授、決して庭師のプロではありません。ペンシルベニア大学の経済学の教授です。癌との闘病中でかなりお痩せになっており、お目にかかれただけでも胸がいっぱいになります。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺がありますが、これは剪定してはいけないという意味ではなく、桜の木は年数を重ねると樹形が大きく枝が張ってくるので、状況に応じて枝おろしをした方が良いようです。ただ切り口から水が入って腐りやすいので要注意。しっかりと幹に沿って枝を落としていきます。

剪定が済むと今度は根覆い。大型トラックで根覆い用の土が登場。普段はビジネススタイルの男性たちがノースリーブやTシャツ姿でよじ上り、シャベルでリヤカーに土を投げ落としていきます。生身の肉体は、想像以上に逞しく鍛え上げられており、汗でキラキラ光って眩しい。そのリヤカーの土をえいしょ、えいしょと木の根もとまで運びます。

根覆いとは、木の根もとを土で覆うことによって侵食を防ぎ、雑草の成長を抑え、土壌の温度を根が育つのに丁度いい位の低い温度に保つのが目的。ただ樹皮が土で覆われてしまうとそこから腐る可能性があるので、火山口のように盛り上げた土の頂上を凹ませその中心に幹が来るようにするのです。

空気を含みフカフカした土はとても優しいぬくもり。両手で触れると大地の恵みを感じます。ミミズや虫たちが慌てふためき飛び出してくるのもご愛嬌。

全身汗だくで土と戯れ、へとへとになった後に食べる弁当は最高に美味しい。ペットボトルの水も甘い甘い。充実感に満ちた笑顔を、こざっぱりとした桜たちが涼しげに見つめています。

もちろん翌日は筋肉痛。ずっと両手を上げて高枝を剪定していたので、肩から背中にかけてかなり痛みます。サンブロックや帽子で予防はしていたのですが、やっぱり少し日にも焼けました。でも純粋にとても幸せな時間でしたよ。そしてこうしたボランティアに進んで参加してくれる人たちに感謝!

2009年5月25日月曜日

豚インフル狂乱について

今日は早朝から、日本から観光にいらした方々をお世話するお仕事をさせていただきました。皆様とお話して、日本で報道される豚インフルエンザに関する情報は、私もインターネット等で追ってはいたのですが、そのなんというか狂乱ぶりに驚かされました。本当にマスクが売り切れになっているなんて…。ツアー参加者も土壇場でキャンセルが相次ぎ、当初計画していた約半数の参加者しかいなかったとのこと。観光業界は商売あがったりですね。

政府がとった「水際作戦」は功をなさず、結局関西を中心に広がってしまったようですが、それって結局根拠のないまま精神的に煽られたたけで、何の意味もなかったということですよね。だいたいインフルエンザには潜伏期間があるのでしょうから、帰国時の症状だけで判断するのは片手落ちというもの。いったいどのくらいその「水際作戦」とやらにお金をかけたのか?疑いをかけられたばかりに隔離された人は訴えてよいのか?口を酸っぱくして言われる「うがい」「手洗い」「マスク着用」は本当に効果があるのか?疑問が次々と上がってきます。

例えが適切ではないかもしれませんが、鎖国をしたところで隠れクリスチャンが草の根運動で広がっていったのと同じような感覚を得ました。

2009年5月23日土曜日

ニューヨークはしんどい

某勉強会に参加するため、ニューヨークへ行ってきました。バスで片道2時間強、事前にインターネットでチケットを購入し往復24ドル。

少しずつ、少しずつ、今私がここでできる事を形にしていっている最中なのだと思います。ただニューヨークへ行くと疲れます。東京での生活を思い出すのですね。溢れる情報量に圧倒され、人ごみとクラクションの喧噪にもまれ、勝者と敗者の差が歴然としている様にショックを覚え、焦燥感と緊張で精神的にもみくちゃにされます。

特に仕事で行くと、たどり着き目的を果たして、食費を浮かせるために屋台でサンドイッチを買いロックフェラーセンターのベンチで食べ、地下鉄が苦手なのでなるべく歩き、少しでも時間があれば紀伊國屋へ寄り『ルポ 貧困大国アメリカ』と三浦しをんのエッセーを数冊買い、ですぐにバスに乗ってとんぼ返り。観光で来ている方が羨ましい。

フィラデルフィアでのゆったりとした生活に慣れてしまうと、もうこういった生活には戻れないなあとつくづく思います。ここだと流されるように生きてしまい、短期的に自分に課すゴールがどんどん高く、どんどん到達不可能になり、苦しむことが目に見えます。忙しさのあまり苦しみはところてんのように押し出され、悩むより「忘れる」能力が身に付いてしまった東京生活。思い出す事はまれですが、ニューヨークへ行くと蘇ってくる。

パワーをもらう前に、しんどいと思ってしまうのは、年のせいとは言わず、人生の転換期に差し掛かっているのだと前向きに捉えたいですね。

とはいえ、やはり往復4時間バスに揺られるのは疲れます。翌日、腰から背中、肩まで筋肉痛が。あいたた…。

2009年5月18日月曜日

やっと…



最近やっとリサイクルの意識がこの国でも高まってきたようです。写真のような分別回収ボックスが、今までのなんでも放り込んでOKだった、オスカー・ザ・グラウチでも住んでいそうなゴミ箱に代わり、街角に登場しました。
とはいえ、街の中心部や大学のキャンパス周辺くらいなもので、まだまだ治安の悪いエリアでは、廃屋となった落書きだらけの工場跡地やゴミの山と一緒に人々が暮らしていますが。
瓶やペットボトルのカバーまで剥がして捨てるような精神には、とうてい至らなそう。

2009年5月16日土曜日

フィリーズ観戦





















これでフィラデルフィア・フィリーズの試合を観戦したのは3回目。対戦相手はロサンゼルス・ドジャース。昔、野茂選手がいたところですね。

いつもまとめてチケットを取ってくれる友人がいて、今回は総勢20名くらいの大グループに。バックネット裏の一番後ろの、一番高い場所にある席。球場全体を見下ろせ、遥かかなたのフィラデルフィアの摩天楼まで見え、なかなか気持ちがいいものですが、ただ寒かった。地上10階かそれ以上の高さになるのではないかしら。風が吹きさらしでがたがた震えながら、なんで9イニングもあるのだと、途中めげそうになりました。長いよ…。7時過ぎに始まり終わったの11時過ぎだよ…。

日本のプロ野球事情はよく分からないのですが、こちらでは基本的に地元民は地元チームを応援しています。もちろん球場を埋め尽くしたファンはフィリーズのチームカラーの赤一色。フィリーズが攻勢になると、総立ちになり渾身の限りをつくして応援。逆に牽制球が投げられたりすると、球場中からブーイングの嵐。本当にブー、ブー言っています。

ホットドッグ1ドルdayでしたので、屈強なオトコどもは何個食べられるか競争、していたのでしょうが、我々のグループは実は毎回ホットドッグ1ドルdayにしか来ないので、もう珍しくもなくなってしまいました。私は2個も食べれば十分です。ビールは7ドルくらい。ビールの方を安くして欲しい。ベジタリアンの友人はベジホットドッグもちゃんと1ドルだったと感動していました。ベジタリアン結構いますからね、アメリカには。

近くでファン同士の喧嘩がおっぱじまり、ホットドッグを投げつけ合っていました。やれやれ、まったく。短気な人も多いですからねえ、アメリカには。

ちょっと素敵だったのは、球場でプロポーズした男性がいたこと。事前に予約しておいたのですね。スコアボードのビジョンに名前が載り、結婚行進曲が流れ、プロポーズを生中継。しっかり指輪を渡すシーンを見せてもらいました。球場中から祝福の声があがり、完璧なサプライズだったようで、彼女のリアクションがよかったです。映画みたいでした。

結果はフィリーズの勝利。球場は満足感に包まれ、帰途につく人々の顔には笑顔が。電飾のリバティーベルがキラキラと揺れて終了。今シーズンは日本人選手がいないのが残念ですが、やはり地元ですから応援しておきましょうか。フィリーズ。今年も優勝してくれるかな?

本日覚えた英語表現。
満塁= Bases are loaded.

2009年5月14日木曜日

Life goes on.

近所で仲良くしていた家族の母親が自殺したんだ。父親も数年前に癌で突然死していて、17歳、22歳、 24歳の子供達は両親とも亡くしちゃったんだ。

父親の死からあの家庭はおかしくなっちゃったんだよ。庭も家も手入れをしなくなって、めちゃくちゃに。母親は性格が変わっちゃってね、ものすごい太って髪もばっさり切って…。父親の死を受け入れられなかったんだと思う。

父親の死は本当に突然で、ちょっと不思議なんだけど、家族は死亡の2、3日前まで彼が癌だということを知らなかったんだ。

少なくとも以前は彼らは幸せな家庭だったんだよ。長男とは僕が5歳から12、13歳まで大の仲良しだった。いつも彼の家で遊んでいて、彼の両親は僕の第2の両親のようなものだったんだ。いつも幸せそうに見えてね。まあ、子供の目線から見えている世界に過ぎなかったんだけど。

父親はちょっと働き過ぎで、ヘビースモーカーで、でもそれ以外何か問題がある家庭とは思えなかったなあ。


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この話は以前「なんということもない不機嫌な日常」というタイトルで書いた人と同一人物です。
http://masakophiladelphia.blogspot.com/2009/01/blog-post_13.html

「あなたの周りには悲しい話が多いわ」と言ったところ、その返事は

”So I know how important it is to appreciate life. There's something positive to be gained from almost every experience...”

Life goes on.

2009年5月12日火曜日

フィリー・チーズステーキ


ニューヨーク在住の友人夫婦が遊びに来たので、みっちり観光におつきあい。フィラデルフィア美術館前では、ロッキーの銅像の前でお決まりの写真撮影。もちろん旦那さんは映画さながら階段を駆け上がってくれました。翌日はオールド・シティエリアを徒歩で散策。インディペンデンス・ホールからリバティー・ベルまで要所は押さえておきました。と、2日もあれば十分に回れる街の規模に感動したようです。

彼らはニューヨークとは言えどロング・アイランドの外れに住んでおり、マンハッタンまでは車で二時間。自然豊かと言えば聞こえが良いですが、蟻やダンゴムシが家に入ってくるのが大変とのこと。それは困るわ…。

名物のフィリー・チーズステーキを所望するので、久しぶりに食べてみました。実に1年数ヶ月ぶり。その名前から想像するものは、厚焼きのステーキにトローリと乗ったチーズという感じですが、実際はホットドッグの中身が炒めた薄切り牛肉とタマネギ、それにとろけるチーズがベターと塗り付けてある「超」高カロリー、「超」不健康そうな代物。久しぶりに口にすると、まあ最初の一口、二口は悪くはないですが、量の多さにゲンなり。胃がもたれました…。1年に1回も食べれば十分です。

あの店は美味しいとか、この店はダメだとか、この食べ方は亜流だとか、まあ友人たちは色々ウンチクをたれますが、私はどれも大差はないと思っています。名物にろくなものはない。さらにアメリカですからねえ。

元フィラデルフィア市長で現ペンシルベニア州知事のレンデル氏のでっぷりしたお腹をさして、とある英語教師が言いました。
「あれはフィラデルフィアにお客さんが来る度に、チーズステーキを振る舞って一緒に食べていたから、あんなになってしまったのよ」
そうなんでしょうなあ。

2009年5月5日火曜日

映画「Tokyo Sonata」を観て

最初から最後まで悲しい映画でした。そして見終わったあと、その悲しみが胸にしこりの様にいつまでも残り、苦しまされた映画でもありました。

アメリカの映画館で、アメリカ人の観客に囲まれ、日本の映画を、英語の字幕付きで見るというのはなかなか不思議なものです。彼らリアクションの大きさと、自身の感覚とのズレに、時折現実に引き戻されるからです。

「おかしさ」がそのまま「おかしさ」であり、ゆえに「悲しさ」でもある、という演出が散りばめられた作品でしたが、その機微がいったいどれだけ伝わっているのだろうという疑問。話し合いを避け、相手を察する。察するが故になにもしない。察するが故に理不尽とも取れる激昂へと誘われる、といういかにも日本人的な心性は、とうてい普通のアメリカ人には分からないだろう、と気になって仕方がありませんでした。

驚かされたのは、父親が子供を殴り飛ばすシーン。会場から怒りに満ちたどよめきが起き、褒めて伸ばす教育が浸透したお国柄からすると、信じ難い光景だったようです。もちろん子供への虐待がないとは言いませんが、わざわざ日本映画を見に来るような意識の高い、ある程度恵まれた知識層において、ということです。

私の胸で疼き続けた悲しみとは、言葉にしてしまうととても陳腐なのですが、そこに「希望」が持てなかったということです。どん底から立ち上がって生きようとする人間の、固い意志が見えなかった。

現実を直視できない弱さを持った人々が、実に他力本願なままプレート運動に身を任せてしまい、歪に堪えきれなくなり激しい地殻変動を起こす。ショック療法で立ち直ったかのように見えますが、結局のところ自助努力で成し遂げたものではない。天賦のピアノの才能を持った次男をサポートするという形で、淡いハッピーエンドらしきものに帰結するのですが、実に説得力に乏しい。でもこの「説得力」の乏しさこそが逆に、(あえて)日本人的な弱さとしては「説得力がある」と言えなくもないのですが…。ピアノの演奏が役者本人ではないことがバレバレで、急に安っぽいテレビドラマ風になってしまう。深読みすると、そこまで計算に入れた上での演出なのかもしれませんが、そうなるとますます哀れで、ダメな日本人像を突きつけられたまま、消化不良の感覚を「悲しみ」をして持ち続けさせられる。

映画の感想をメールで交換した友人の指摘がなかなか鋭かったので紹介します。

I also thought it was interesting that three of the family members, the mother and the two sons, had their redemption through something with a non-Japanese origin: the one son in Iraq , the other son with European piano music, and the mother through a ride in a Peugeot (French car). The father’s was a little unclear, it seemed like he had been lying there for days because he was covered in leaves. Almost like he was dead and then came back to life.

まあ私の「他力本願だ」という感想と一致したのですが、混沌とした状況を打開するには、意識するにせよしないにせよ、ガイアツに寄らないと無理だということでしょうか?

2009年5月4日月曜日

松風荘・千住博デー




「千住博デー」と名付けられた4月27日、千住氏の障壁画が寄贈された日本建築「松風荘」(しょうふうそう)で、関係者約40名を招待したイベントが開催された。千住氏本人も活動の拠点であるニューヨークから家族と共に駆けつけ、作品の主旨、芸術観、現在進行中のプランなどについて熱く語った。

1953年、ニューヨーク近代美術館の中庭に吉村順三氏の設計で建てられ展示された書院造建築「松風荘」は、その後フィラデルフィアのフェアマウントパークに移築され、1958年同市に寄付された。しかしその後管理が不十分であったため廃屋化が進み、一時期は目も当てられない状態に。建国200周年にあたる1976年、フィラデルフィア市長の依頼により日本の有志が資金を募り、大規模な修理がスタート。1982年に「松風荘友の会」が市から管理を引き継ぐ。そして破壊されてしまった東山魁夷氏の襖絵に代わり、千住博氏の「ウォーターフォールシリーズ」20点が奉納され、2007年5月から一般公開されている。

「アートとはコネクトするもの、ハーモニーだ」と千住氏。「何のアイデアも持たずに松風荘を訪ね、耳を澄ませたところ日本庭園から滝の音がしました。この空間に一番美しいハーモニーを奏でるものを作ろうと思ったのです」。庭園にある木、石、花、全ての色をカラーチャートで出し、それらを混ぜたものが滝の背後の独特なベージュ「松風荘色」となる。保存環境を考慮して動物性の膠ではなく、アクリル絵の具を使用したが、それはアメリカが生み出した技術と日本画の世界の融合でもあった。「日本人、アメリカ人というのではなく、みんな同じ人間だという、ピースメイキングプロセスなんです」という言葉に、一貫するコンセプトが明快に打ち出されている。