2010年2月27日土曜日

そして街は真っ白に





















数日降り続けた雪により、ニューヨークは真っ白になってしまいました。
今朝、玄関のドアを開けたら、まだ大家が雪かきをしていなかったせいで、膝まで雪にズボッ。

ハドソン川を挟んで対岸の街、ニュージャージー州のホーボーケンに住んでいる同僚の家の回りは、3フィートくらい積もったとのこと。腰まで雪に埋もれ、何回も転びながら駅までたどり着いたそうです。

市内の学校は休校。米系の会社に勤めるルームメートの話によると、前回の大雪の時、アメリカ人の同僚たちは、誰に連絡することも無く、あたりまえのように全員会社を休んだそうです。翌日「昨日は雪合戦をして楽しかったわ」ですって。疑うことも無く出社した彼女は、非常に面食らったとのこと。私の会社は日系ですので、全社員誰に言われなくても出社します。真面目だなあ、日本人って。

雪による被害も出ています。セントラルパークでは、雪の重みに耐えかねた太い枝が、折れて真下にいた通行人の頭を直言。即死でした。雪の日は、木の下は歩かない方がいいでしょう。

歩道に積もった雪を、人々は専用シャベルでせっせと路肩に積み上げています。おかげで歩道と車道の間には、高い雪の壁が。建物の前の雪かきを怠り、そのせいで通行人が転んで怪我をしたら、訴えられるそうです。私は借家住まいなので、雪かきをする必要はないのですが、持ち家がある人は大変だと思います。雪かきって腰にくるみたいですし。

2010年2月21日日曜日

グッゲンハイム美術館で語る



グッゲンハイム美術館が好きです。ニューヨークで最も美しい建築だと、私は思っています。見つめているだけでも幸せですが、中に入り包み込まれる感覚に酔いながら、らせん状のスロープをゆっくりと上がっていくと、昇天するかのような深い快楽に身も心もしびれます。

先週末、久しぶりに会いたくなり、吸い寄せらるように足を運びました。
入り口前にはチケット待ちの長い列。しばらく入れないだろうと覚悟して並んでいたら、若い男性が近寄ってきてチケットをくれました。そのまま入り口に行けば入れるからと。半信半疑で列を離れ、受付の人に見せるとすんなりと中へ入れてくれるではありませんか。

驚いたことに中には全く展示物がありませんでした。いや正確に言うならば、脇の小部屋のギャラリーには、常設展と企画展が別世界のように開催されていましたが、スロープ状の坂を登りながら見学する展示スペースには何もなかったのです。

吹き抜けの天井から差し込む光が柔らかい、一階フロアの中央では、非常にスローに愛し合う男女がパフォーマンス中。ゆっくりとゆっくりとお互い抱きしめ合い、キスをして、まさぐりあい。衣服は着用していましたが、いつそのまま脱ぎ始めてもおかしくない愛の営みが繰り広げられていました。

とりあえず上を目指そうとスロープへ向かったところ、小学校低学年くらいの少年が声をかけてきました。
「僕についてきて」
不思議の国のアリスのようだわと思いながら、いいわよとついて行くと突然
「君にとってimprovementってなに?」
と非常に抽象的な質問が飛んでくるではありませんか? そんなこと急に言われても答えられないわと返したのですが、まっすぐな瞳で再び、
「ねえ、improvementってなんなの?」
しかたがないので、
「私はアメリカ人じゃないのよ。日本人なのね。だから私にとって英語が上達したらそれはimprovementかもしれない。それはむしろachievementかしら?」
と答えながら一緒に歩いて行くと、突然20代とおぼしき、哲学的な悩みを瞳にたたえた青年がでてきて、少年とバトンタッチ。少年は「この人とimprovementとachievementについて話した」と告げ、去っていきます。

青年はその後を引き継ぎ話を続けます。
「君は日本人なんだよね。日本というのは、技術におけるachievementはおおいに達成した国だと思う。でも文化についてはどうかな?」
こうなってくると私の英語力では、さらに突然振られた質問ですから、答えようもありません。だいたい何がここで起こっているのかさっぱり分からず、上手く答えられないまま彼の持論を聞きながら一緒に歩き、しばらく進むと今度は初老の女性が登場。そしてバトンタッチ。

さすがに我慢ができなくなり、彼女に聞きました。
「いったいこれは何なの? 何で色んな人が話しかけてくるの?」
彼女は言いました。
「これは美術館で語りながら歩こうという企画なのよ」
…。
そうでしたか。キュレーターか、あるいはボランティアが集まり、何も知らずに訪れた客をつかまえて突如謎かけのような質問をふる、そういう企画なんですね。

彼女は「今までどこの国を訪ねたことがある?」と比較的答えやすい質問をしてきます。ドイツ、イタリア、アメリカ、香港くらいかしら。「アジアの国はもっと行ってみたい?」「そうね。でも私は欧米の方が好きかも」「なぜ」「なぜかしら?」

最後に穏やかな微笑みを浮かべて近づいてきたのは、ベン・バーナンキ似の老人。
「1つ素敵な話を聞かせてあげよう。ある村にね一人の女性がいたんだ。彼女はキルト作品を作るのが得意でね。あるとき非常に良い作品ができたから、彼女の回りの人たちが、村から30マイル離れた場所で開催されるフェアに出品することを勧めたんだ。馬車に乗ってね、彼女は30マイルの旅をした。キルトは好評だったよ。でも、彼女にとってそれが一生でたった1回の旅だったんだ。それ以前も、それ以降も彼女は小さな村を1回も出ずに一生を送った。彼女の知っている世界というのは、たった数十人だけだったんだよ。この話を聞いてどう思うかい?」
「どうかしら、私には非常に不幸な話に聞こえるけど。もっと私は他の世界を知りたいし、世界に出て行きたいわ」
「そうだね。そう思う人もいるかもしれない。でも、彼女は本当に幸せだったんだよ」
と、そこまで彼が語ったところで美術館の頂上までたどり着きました。彼は微笑み
「君と話せて楽しかった」
と握手をして去っていきました。狐につままれたような感覚が解け、我に返ると、私以外にも多くの人々が、同じように突然話しかけられ、歩きながら話させられるというこの、一風変わった企画に取り込まれていました。
一定の時間と空間を他者と共有し、話すこと自体が展示。参加することで自分も作品になる、ということなのかもしれません。

スロープを下っていく間は、誰にも話しかけられませんでした。私に話しかけた人たちが他の人と話しているのを脇目に、ゆっくりと滑るように降りてきました。ちょっとネタバレ感があるのが玉に傷ですが、日本の美術館では味わえない面白い時間でした。

ただ私は美術館へは一人で行き、誰にも話しかけられない方が好きですね。私は建築と、作品と、作家と、一対一で向かい合いたい。

雪が積もったセントラルパークに寄り道をしながら、帰途につきました。スキーをしている人がいましたよ。

2010年2月16日火曜日

オフブロードウェイ


「The Accidental Pervert(偶然の倒錯者)」という、まあけったいな芝居をオフブロードウェイの小さな劇場で見てしまいました。

久しぶりに予定がなく、ぽかんと空白になった土曜日の午後。暇だったら遊ぼうと声をかけた女優の友人に、「じゃあ一緒に芝居見ようよ」と誘われたのがこれ。

公演ギリギリになると、破格でチケットをさばくサイトで手に入れたチケットは4.5ドル。ステージと客席が同じフロアの、下北沢の小劇場のような狭い舞台はすぐに満席に。いやあ実にくだらない、抱腹絶倒のコメディー一人芝居でございました。

11歳の少年が、偶然に父親が隠し持っていたポルノビデオコレクションを発見してしまい、それからはセックスの虜になっていくという、しようもないお話。彼が大人になるにつれ、実際の性生活ではビデオの通りにいかないと気づくジレンマや、家政婦相手に妄想を繰り広げたり、敬虔なカソリックの女性に惚れこみ結婚したのはいいが、そこからは子づくりのため、妻の要望に応じて拷問のようにセックスをしなくてはいけなくなったという、半生を追ったもの。最後は「今は娘とこのビデオを観ています」と、セサミストリートが流れて終わる、そんな芝居でした。

40代くらいの、なかなかハンサムな白人男性の役者によるモノローグ。自嘲気味に語り、叫び、舞台上を走り回り、ビデオを見てはティッシュを投げ散らかし、そして時折スライドで挿入される映像は、映画や名画のパロディー。

もちろん十分にお下品だったのですが、でもちっともエロくない。あっけらかんとしているので、げらげら笑った後はさっぱりしたものでした。簡単なシナリオだったおかげで、ほぼストーリーについていけたのも嬉しかった。そして、笑いのセンスがアメリカナイズされてきている自分に気がつき苦笑。最近たまにYoutubeで日本のお笑い芸人のコントを見ても、さっぱり面白さが分からないからなあ。

そしてこの手の男子のお悩みは、ユニバーサルなのかもねと、最後にちょっとかわいそうになりました。カチンコチンに芸術ぶっているのもいいですが、たまにはこういう超がつくB級ものも悪くないです。