2011年9月29日木曜日

都会の鯨

意味という香りのする、時という名の魚の群は、美しい鱗を瞬かせながら冷酷なまでにす早く、わたしの肉体を通過し泳ぎ去る。

脳にかけた網を駆使して、「本当においしい」魚のみを引きずり戻そうとするが、例え無事手中に収めたとしても、咀嚼する間もなく、次なる魚群が押し寄せる。

慢性的な飢餓と胃もたれ。

魚群をかき分け水面に顔を出せば、かりそめの休息が待っている。

しかし所詮は鯨の潮吹き。再び暗く恐ろしいまでに滋養に満ちた海に戻る運命。

2011年8月29日月曜日

ハリケーン一​過でいろいろ考えた

米国東海岸を大型のハリケーンが襲ったというニュースは耳にされていると思いますが、NYでは大きな被害は出なかったもようです。風が強く、裏庭の桃の木が折れていましたが私もアントニオ君も無事です。大家が留守にしていたため、建物の安全管理はすべてアントニオ君にまかせられており、断水・停電のための準備や、戸締りチェックなど厳重におこなっていただけでなく、いざというときのために100ドル以上の食料や懐中電灯、キャンドルを買い込んだ立派な対応でした。やっぱりね、頼れる男はこうでないと。

一方行政側は、地下鉄を週末全面的にストップさせ、危険地域の住民があらかじめ避難させるなど、マイケル・ブルームバーグ市長ここにあり、といった感じのこちらもおみごとな対応でしたが、ちょっと空振りに終わったような。まあ終わりよければすべてよし。昨年末の大雪のとき、対応が遅れてずいぶん叩かれ、支持率もがた落ちしたので汚名返上を狙ったのでしょう。

地震やら、ハリケーンやら、なんだか不穏な雰囲気を抱えながら、同時多発テロ10周年を迎えます。取材で人ごみの多いところに行かなくてはいけないときは、時折覚悟します。できればNYで死にたくないなあと思いますが。

スペインでの休暇から戻ってきたら、我が家は明らかに定員オーバーした状態で、オランダ人の集団にのっとられていました。賃貸アパートとしてだけでなく、短期収入を狙い、ホステルとして次々に空いているソファーやらベッドを旅行者に貸してしまうヒッピー大家がいけないのです。これではNYにいるのか、インドの安宿にいるのかわかりゃしません。キッチンではつねに5~6人がパーティーを繰り広げており、使ったあと片付けをしない。トイレットペーパーやキッチン用品は使いっぱなしで補充しないなど、長く住んでいるわれわれは堪忍袋の緒が切れそうです。

それにしても、いつも驚かされるのが、オランダ人の英語力の高さ。英語教育のレベルがヨーロッパ一高いので、誰もが流暢に英語を使いこなし、時にはスラングまで飛び出します。注意しようにも、なかなか太刀打ちできない…。 NYはかつてオランダの植民地で「ニューアムステルダム」と呼ばれた時期もありました。その影響かよくオランダ人を見る気がします。うちの大家がオランダに強いコネクションをもっているだけかもしれませんが。

もう一人最近引っ越してきたのがイスラエル人の青年。親戚が経営する香水会社に勤務するため、数カ月前にアメリカに来たということ。四方八方を敵国に囲まれているイスラエル。ハリケーン一過の夕方、バルコニーで涼みながら話しかけたところ、ガザ地区には防空壕がいたるところにあり市民は常に危険と隣り合わせに生きている。最新の弾道弾迎撃ミサイルにはいくらかかっていて、こんなにすごいんだ。エジプトの革命の余波など、語る語る。果てなき宗教戦争と憎悪の歴史の中に生きることを運命付けられているというのは、想像を絶するものがありました。彼らユダヤ教徒にせよ、イスラム教徒にせよ、アイデンティティーなんて考えるものではないのですね。産まれたときから身を縛り、運命を左右するもの。

面白いと思うのがアントニオ君の実家はカトリックで、祖母は毎週日曜日には欠かさず教会に行く熱心な信者ですが、彼も兄弟も友人もみないわゆる反有神論者(Antitheist)。幼いころには洗礼を受けているのですが、もうそんな過去はどうでもよいらしい。アントニオ君はこの言葉が好きで、よく胸を張って自分はAntitheistだといいます。ただ、わざわざ自分は「反有神論者」だといわなくてはならない背景には、根強い宗教観が漂います。

彼に限らず、スペインでは若者の宗教離れは進んでいるようです。と思っていたのですが、私がスペインを訪ねたちょうどその時期、マドリードではワールド・ユース・デー(World Youth Day)と呼ばれる青年カトリック信者の年次集会が行われており、世界各国から集まった数十万人の信者に街は埋め尽くされていました。今回マドリードへは行かなかったのですが、あの混雑振りを見ると正解だったと思います。ローマ教皇ベネディクト16世も参加し、式典の様子はテレビでも流されていました。
カトリックは罪を司祭に「告白」することで許される、というのがよく知られた信仰儀礼ですが、なんと、街のいたるところに簡易告白所が設けられ、道行く人はあちこちで懺悔をしていました。こんな感じです↓
http://www.guardian.co.uk/world/2011/aug/16/vatican-world-youth-women-abortions?INTCMP=SRCH

私は宗教に関する質問が非常に苦手なのですが、海外に住んでいると避けて通れない。日本人は何教か?とよく聞かれるので、そういうときは
「日本では山やら川、田んぼや狐にも神様はいることになっているよ。多神教の神道ってやつね。あんまり信じている人はいないと思うけど。『七五三』っていう子供の成長を祝って神社へいく儀式は神道にのっとったものだね。あと結婚するときはカトリック式だかプロテスタント式だかしらないけど、女性はウエディングドレスを着たいから、教会か教会風の建物で挙げて、死ぬときは仏教式で葬式を挙げて戒名をもらうっていうのが、一般的らしいよ。節操ないけど、そういう流れになっているんだよ」
と、人事のようになさけなく答えています。われながら雑な説明だと思いますが、細かく言い出すとぼろが出る、というか勉強不足でよく分からないのです。仏教や神道について知らないことが多く、うまく説明できず反省することばかりです。さらにこれを一神教を信じている人に言っても、たぶんなんのことやらさっぱり分からないのだろうなあと思います。

いまさらですが、海外に住むということは他者と日々出会い、相手との接点(落としどころ)を探り、また他者からの視点を内在化して自分を見つめなおすことの連続です。はっきりいってめんどくさいです。でもいったん外に出た以上、戻れないのですね。そして対話がうまくいかなければ戦争になります。そもそも戦争はあることが前提なのかもしれません。そりゃこれだけ違う考えの人が小さな星に住んで陣取り合戦をやっているんだもの、平和なんか永遠にこないさ。だいたい「平和」って考え方そのものだって、世界で共通した願いじゃないんだろうし。とぶつぶつ言いたくなります。ぶつぶつ。ぶつぶつ。

2011年6月14日火曜日

橋を渡る

クイーンズからブルックリンへ引っ越し、日々の生活に何よりも大きな影響を与えたのが、マンハッタンブリッジの存在だ。通勤に使う地下鉄Qライン、Bライン共にこの橋の上を渡る。以前使っていた地下鉄Rラインは、イーストリバーの下を通っていたので、マンハッタンの職場近くの駅からクイーンズのアパートまで、一度たりとも日の光を見ることがなかった。

朝、手元の本に陽光が落ちて眩しさに顔を上げると、電車はすでに橋を渡りはじめている。乗客の頬や瞳にも安堵と明るさが宿る。毎朝のことだが心が和む瞬間だ。隣のブルックリンブリッジの向こうに、今日も自由の女神がお目見えする。私の座高がちょうどいいのかもしれないが、座っていると自由の女神がちょこんとブルックリンブリッジの上に乗り、まるで橋を嫌々後退しながらマンハッタンに通勤するかのようで、おかしい。

夜は逆だ。摩天楼の輝きをバックに、漆黒の川を渡り、家路につく。自由の女神が十分に見える明るさのときはもちろん、彼女もいそいそとブルックリンブリッジを渡り、ブルックリンへ入っていく。彼女も私も実はブルックリンっ子。マンハッタンはお勤めする場所、ぬくもりのある我が家はブルックリンにあるのだ。

電車が橋を渡り始め、携帯電話の電波が入るようになると同時に、毎晩同じテキストメッセージを家で待つ恋人に打つ。

I'm crossing the bridge!

返信はなく、電車はすぐに橋を渡り終え、また地下に入ってしまう。それでもいいのだ。最寄りの駅につくと、あのキラキラ光る黒い瞳が、改札の向こうで私を待っている。キスの嵐と激しい抱擁が済むと、「またこんなに重い荷物を持って」といいながら、私のバッグを受け取り、二人で肩を並べて家まで歩く。「ご飯何にしようね」と言いながら。

こっちの世界とあっちの世界をつなぐ橋。橋を渡り終えられることに毎日感謝する。きっと私が家にいる間、自由の女神も掲げた右手のたいまつをおろし、彼女自身の自由を満喫しているに違いない、そう想像するのもまた、楽しい。

2011年5月25日水曜日

最後の審判の3日後


終末論を説くカルト集団というのはいつの世にも存在するのでしょうが、最近NYでは5月21日が「最後の審判の日」(Judgement Day)として、市民を不安に陥れようと活動するキリスト教系団体の動きが目立ちました。

地下鉄駅構内でビラを配るくらいまではまあ勝手にすればという感じですが、衝撃的だったのが地下鉄の車内広告に堂々と登場していたこと。巨大な赤字を抱えるMTA(メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティー)ですが、車内広告を選ぶ基準というものはないのでしょうか?広告料を払ってくれればどんな怪しい団体でも構わないという逼迫した状況なのかもしれませんが、あまりの品性のなさに呆れてしまいました。

広告にはおどろおどろしく、「巨大地震が起きる」とか「神が聖書を通して我々に警告している」などと書かれ、最後の日をカウントダウンする時計のイラストが不気味に描かれています。

そしてその地球最後の日が過ぎて3日後、広告の契約期間はまだ続いていたようで、全く同じ広告が寒々しく地下鉄車両内に残っていました。気に留める人も特にいないようでした。

2011年5月23日月曜日

キッチン事件簿2

先日我が家の冷凍庫にビニール袋に入ったセーターを発見しました。
セーター。セーターですよ。

「腕に負傷した人が、患部の痛みを緩和させるためにセーターを冷やしているのでは?」
「いやいや、冷凍させ繊維の質を変えて、皮膚への刺激を押さえるのだ」
と憶測が例のルームメート一斉メールで飛び交うものの、自分が入れたと告白する人は登場せず、私がそろそろ
「実はセーターは食べられるのかもしれない」
と信じはじめたころ、その真相が判明しました。

カナダ人バーリー君の仕業だったのです。端正なメガネ顔のバーリー君が、穏やかな低い声で説明したところによると

服を食べる害虫の成虫(蛾)が部屋に大量発生してパニック状態になった。
掃除はしたが、すでにセーターに卵がついてしまっているかもしれない。
ふ化する前に卵を殺すにはどうしたらよいか。


そうだ、冷凍するのが一番!!


という結論になったということです。
つまり、虫の卵がついているかもしれないセーターがぶち込まれた冷凍庫に、私のハーゲンダッツのアイスクリームや、冷凍ご飯も保管されているということです。

ええと…、うーん、そうなんだ。やれやれ。
彼はとってもいい人なので、ケンカをしたくないんですよね。こんなことで。バーリー君は今月末に引越すらしいので、そのセーターを忘れずに持っていっていただきたいと心から思います。

ちなみに蛾は「moth」。最初「モス」と言われた時になんのことか分かりませんでした。意味が分かった瞬間に、

ああ、だからゴジラに出てくる蛾の怪獣は「モスラ」なんだ!!!と、目から鱗だか鱗粉だかがバラバラと落ちました。バーリー君有り難う。

2011年5月22日日曜日

キッチン事件簿1

我が家のキッチンでは常に事件が起きている。違う国から来た人同士が、同じ屋根の下に住んでいるのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが、それを通り越して何やら、この場所は事件を引き起こそうと企む「気」のようなものがとぐろを巻いているように思えてならない。そしてその渦の中心には大抵、あのスペイン人がいる。

アントニオ君がオムレツを作る時だけに利用し、大切に隠しておいた、超硬質セラミックコーティングフライパンを、何者かが勝手に使用、底にフォークで深い引っ掻き傷を残して放置した。怒る狂うアントニオ氏。料理のことを全く分かっていないアホがこういうことをするんだ。あるいは誰かが悪意を持って、僕がかくしておいたフライパンを引っ張り出してわざと傷つけたにちがいない。1回こうなると使い物にならないんだ!

英語とスペイン語で罵ること数10分。いやもっとだろう。私が帰宅する前から怒っていたのだから。最終的に、ルームメートに一斉メールをして犯人を探すと吠えたが、まあまあとなだめる私。

人それぞれ価値観は違うんだからさ、みんながみんなフライパンの価値を分かるとは限らないよ。だいたい君がキッチンの片隅に自分のスペースを作り、そこにフライパンを隠していたということを知る人自体少ないんじゃないかい。こんな小さな家で犯人探しをしても仕方がないから、メールを送るにしても文体に気をつけて、君がどんなにそれを大切にしていたかを書き、同情を集める方が賢明だとおもうよ。

数日後、アントニオ氏は私の忠告をふまえ、内側に怒りをはらみながらも、比較的落ち着いた文体で事件について一斉メール。「別に犯人探しをしたいわけじゃないんだ。ただ、どうか君が無神経にしたことが他の誰かを傷つけるということを分かって欲しい」

いい文章だ。しかしルームメートらからの反応はない。そんなデリケートな文面では伝わらないのか。今度は私が怒りに駆られる番。無視ってことはないだろう。コラア!!激情的なスペイン人が、今日もまたうるさいことを言っているぜくらいにしか感じていないのなら、思い知るがよい。ひたひたと打ち寄せる夜の波のような罪悪感を覚えさせてやろうじゃないか。

「おお、アントニオ。なんて悲しいニュースなんでしょう。あなたにとってそのフライパンが宝物だったのを知っています。あなたがその光り輝くフライパンで料理をしている時、実に幸せな表情をしていました。でももう二度と、その笑顔を見ることはできないのね」

映画やドラマの回想シーンなら、我がアントニオ氏がフライパンを片手に「アハハハハ」と笑いながら、キッチンをダンスしている風景だ。画面はソフトフォーカス、音声はエコーがかかっている。自分の安っぽい妄想のワナにかかりもう少しで泣きそうになりながら、一斉メール返信。さすがにこれはこたえたと見え、一番アントニオと仲のよいカナダ人のバリー君(大学職員、元国連勤務)がキッチンまできて
「ごめん、僕がフライパンを使ったわけじゃないけど、そんな大切なものとは知らなかったよ」
となぐさめてくれ、大家のヴァネッサも
「それは高級なフライパンね。今後は一目のつかないところにきちんと保管して置かないとダメよ」
と急いでメールを返してきた。

しかし、結局犯人は名乗り出ず。執念深いアントニオ氏は、その当時キッチンラックに残っていた食器から推察し、きっとヤツに違いと私に何度も密告しにきたが、明確な証拠と自白がない以上、犯人扱いはできないと却下。おかしな噂を流さないように監視しながら、秩序の安定を図った。

そして昨日、例のフライパンがまた使われ、ぞんざいにラックに置かれていた。アントニオ氏の頭からゆらゆらと陽炎が上がるのが見える。またヤツに違いない。そんなに気になるなら、ナイスリーに聞いてみたらいいじゃない。最近このフライパン使った?ってさ。フライパンを片手に彼の部屋ににじり寄るアントニオ氏。結局不在で、目的は果たせず、戻ってきた。

で、今回フライパンを使ったのは前出のカナダ人、バリー君であることが後に判明。アントニオ氏以外にあっさりとしとした表情で
「バリーはいいんだよ使っても。彼は使い方を分かっていて傷つけたりしないからさ」

青い花の名前



ヤグルマギク。

その名を始めて知ったのは、幼いころに読んだシシリー・メアリー・バーカーの絵本『花の妖精』でした。薄紫の羽を付けた少年が右手で茎を支えながら花の下に立ち、どこか物憂げな表情でこちらも見つめている挿絵に惹き付けられ、彼に会うため何度も何度も同じページを開いて見たものです。

この本に収められた他の花々の記憶はないのですが、なぜかヤグルマギクの名前とイメージだけが脳裏にしっかりと刻み込まれ、「きっとこの花がそうにちがいない」と実際には違うことを薄々知りながらも、アザミの花をヤグルマギクと呼んだりしていました。

私だけでしょうか?
子供ってそういうクセがあるような気がします。どこかで本当は違うということを知っているのに、信じないフリをしながら、夢の世界に生きることができる。あっちとこっちをいったりきたり、できてしまう。

野原を駆け回り、揺れる花の下で妖精と出逢える年も過ぎ、絵本のこともとうに忘れてしまっていたころ、思わぬところで彼と再会しました。晴れ上がった土曜日の午後。病み上がりの痛む胃を押さえながら恋人と出かけたプロスペクトパークのファーマーズマーケットのバケツの中で、この世のものとは思われないほど高貴な美しさをたたえた、サファイヤのようにかがやく青い花が売られていたのです。
しかしまだ見た瞬間は、これがあの花だとは気づかず、ただただその焔が立つような青さに圧倒されていました。

「何か花をプレゼントするから、好きなのを選んでいいよ」
とささやく私の恋人。「女性はいつだって花をプレゼントされると嬉しいものだよね」
とまるで自分が花を贈られるかのようなはにかみっぷりに、こちらが照れくさくなりながら、マーケットを一周。鮮やかなゼラニウムから、可憐な野ユリ、ハーブの苗たちまでもが一斉に私を見つめはじめ、おかしな責任感にまたまた胃が痛くなりながら、でもやっぱり、その気になる青い花束を選びました。

購入時に花の名を聞くと、エプロンを付けた健康そうな血色のよい若い女性が
「コーンフラワー」
と答えました。コーンフラワーですって?
まったくもってミステリアスさに欠ける名前に、ちょっと意表をつかれた形になりました。

まるでターミネーターのように、あらゆる手段をつかって追い払ってもすぐに戻ってきてしまう胃痛と腹痛との戦いに疲れ果て、老婆のような歩みでのろのろと歩みを進めること30分。なんとか家にたどり着き、ガラクタだらけのキッチンの棚から花瓶やガラスのコップを引っ張り出して花を生け、腰掛け、一息ついた時に、花の名前がランプのようにパチンと「ついた」のです。

ヤグルマギク

まさかと思い辞書を引くと、英語名は「Cornflower」でした。
また紫を帯びた淡い青色は「cornflower blue」と呼ばれ、その青色の美しさから、最上級のブルーサファイアの色味のことも指すということです。

ケイト・ミドルトンさんは、故ダイアナ妃も着けたという巨大なサファイヤの婚約指輪をウィリアム王子からもらったそうですね。そんな因縁めいた重い枷のような輪っかより、一束数ドルの青い花束をあげる方が粋だったりしてね。

イギリス人絵本作家の描いた花に憧れた少女が、成長し、人生色々あった後、ニューヨークで暮らすようになり、そこで出会ったスペイン人の恋人から、長年夢見た花をプレゼントされた。ウウム、ロマンチックと胃炎(言えん)でもないと思った次第です。

2011年4月25日月曜日

Flushing Meadows Corona Park






クイーンズ区の奥地にFlushing Meadows Corona Park(フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク)と呼ばれる大きな公園があります。
メジャーリーグベースボールのニューヨークメッツの本拠地、あるいはテニスのUSオープンの開催地として知られるこの大型公園はかつて、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』などにも登場する巨大なコロナゴミ捨て場所として知られていました。その後2回の国際万博(1939年と64年)の会場ともなり、今もなお、39年当時のパビリオンやモニュメントの一部が、時代錯誤と打ち捨てられた未来型ロボットの残骸のように、あるいは忘れられた移動サーカスの回転木馬のように、錆び付き、不気味な存在感を放ちながら立ち尽くしています。改築をしてアートセンターのようにして利用していますが、本気で立て直したわけではなさそうで、その中途半端さがより哀しみを誘います。映画の『メン・イン・ブラック』の撮影に使われた場所と言った方が、思い出す方が多いかもしれませんね。

公園には他にも科学館や美術館などもあり、ざっくりと言えばクイーンズ版「上野の森」みたい。近隣に住む、ヒスパニック系移民の家族の憩いの場となっており、子供たちがスケートボードやらサッカーやらをしながら過ごしていました。
空が怪しくなってきたので地下鉄の駅へ急ぎ、ブルックリン区の最寄り駅に着き地上に出たら、道路が濡れていました。危機一髪でした。