2009年1月27日火曜日

社交界デビュー


社交界という大富豪のみが参加できる、この上もなく豪華で排他的な世界があるということを思い知らされてきました。

土曜日の夜、アカデミー・オブ・ミュージック(Academy of Music)で、年に一度のフィラデルフィアオーケストラの里帰り公演があるから、良かったらとチケットをいただきました。そう、いまはフィラオケの本拠地はKimmel Centerというガラス張りのモダンな建築内にありますが、かつては1857年に建てられたアメリカで一番古いオペラハウス、Academy of Musicで演奏会が行われていたのです。

年にたった一度だけの開催されるかつての劇場でのコンサート。しかし意味合いはそれ以上で、この日フィラデルフィアの富裕層達が集い、彼らの子供達を社交界デビューさせる1大イベントなのですね。コンサートの後は近くのホテルへ移動して、舞踏会。全て込みで一番高いチケットは2500ドル!!これはほぼAcademy of Musicへの寄付ですね。富裕層は文化や芸術へのサポートを惜しまない。またそれが義務でありステータスであるという、まあねえ。誰もがそう生きられたらいいですよね、と肩をすくめたくなるような生活を実際送っている人々の世界。

「1階席は皆ドレスアップして来るけど、まあ3階席なので学生さんもいるでしょうし、気楽な格好で行っても大丈夫」
という言葉を信じて、それでも一応こぎれいな黒のワンピースを着て行った私。はい、劇場に着いた瞬間に大きな勘違いをしていたことに気がつきました。

ほぼ全員、正装で来ていました…。
穴があったら入りたいとは、このことです。

女性は肩から背中をあらわにした、裾を引きずったロングドレスに毛皮のコートをまとい、彼女たちをエスコートする男性陣は燕尾服。リムジンで乗り付ける人もいて、なにかの映画祭の式典にでも迷い込んだような感じ。煌めく宝石、たちこめる香水、そして観客を見下ろし燦然と輝く、約23,000のクリスタルを使用したというシャンデリア。

この燕尾服とタキシードの違い。私今回初めて知ったのですが、タキシードの方が略式なんですね。黒い蝶ネクタイをすることからブラック・タイとも言われ、アメリカでは高校時代の最後にプロム(Prom)と呼ばれるダンスパーティーがあることから、ブラック・タイを持っている人は結構います。ブラック・タイがドレスコードのパーティーもちょくちょくあります。ただ燕尾服ことホワイト・タイ(その名の通り蝶ネクタイが白い)となると、王室や政府の公式の晩餐会でもないかぎり、なかなか見ませんよね。

帰宅後調べたところ、コンサート後の舞踏会にまで参加する人のドレスコードは、男性はホワイト・タイ、女性は床に届く丈の夜会服。コンサートだけ鑑賞する人はビジネススーツかビジネスカジュアルでとありました。

久しぶりのエッシェンバッハの指揮。つかつかと彼が舞台に登場した時、楽団員は全員起立して待っていました。そして国歌の演奏。と分かった瞬間に、客席も一斉に立ち上がり胸に手を当て歌い上げます。劇場は感動の嵐に(苦笑)。
私はもちろんアメリカ国民ではないのですが、こういう場面では一応敬意を払って立つことにしています。国歌や国旗への揺るがぬ忠誠心は、アメリカは子供の頃から徹底して教育しているのでしょうが、ちょっと恐ろしいものがあるます。もう「君が代」を歌う、歌わない云々というような議論とレベルの違う、精神的なユナイトぶりを見せつけてくれます。

ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲、ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調」、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」の最終楽章。と、ここまでは格調高いヨーロッパ的な世界が繰り広げられていましたが、後半はどんどんとエンターテイメント化してきて、フレッド・ウィラード(Fred Willard たぶん有名なコメディアン)のおどけた司会による、歌って踊れるコーラス隊のパフォーマンスが会場を一気にお平な雰囲気にしてしまいました。

そして後半はギターを抱えて歌うジェームス・タイラーとオケの共演。ジェームス・タイラー(James Taylor)というのも、まったく知らなかったのですが、グラミー賞受賞やロックの殿堂入りをしており、日本語のウィキペティアでも解説があるくらいなので、相当有名なシンガーソングライターみたいです。ご存知の方いらっしゃいますか?

コンサートの翌日、オケのピアニストの方にお会いして色々お話をうかがったところ

「最近コンサートのレベルが下がってきてポップスを取り入れたりして、観客に媚を売るようなプログラミングで、がっかりなんですよ。かつてはもっともっと格式が高くて、ホロヴィッツも弾きにきたくらいなんですのよ」
とのこと。念のために彼女にジェームス・タイラーってご存知でしたか?とうかがったところ、ぴしゃりと

「知りません!」

なにはともあれ、不況不況というものの、アメリカには日本人の想像を超えるような大富豪がいるものだと思い知らさせた夜でした。貧富の差が日本の比になりませんね、これは。ブッシュ前大統領の政策で、彼らは税制上美味しい思いばかりしてきました。さらに相続税が低いから、いった金持ちになると、子孫代々半永久的にずーーーーーっと金持ち。

フィラデルフィアの郊外、メインラインと呼ばれる一帯は超高級住宅街です。マンションと呼ばれる大邸宅(日本のマンションとは意味合いが違います。日本のマンションはこっちではアパートメントです)が、うっそうとした森の中に点在。正門から車でしばらくいかないと玄関にたどりつけないような、城のような豪邸は、一般人は見ることができません。資金集めのため、フィラデルフィアオーケストラのメンバーが、かれらの個人宅に呼ばれて演奏することもあるようです。パトロンと楽士の関係ですね。

なんと羨ましい生活。と憧れている以上、絶対に庶民から抜け出せない。努力とかそういう問題ではなく、もうどうすることもできない身分の差ですよね。うっかり興味を持って忍び込んだら、映画『アイズ ワイド シャット』(Eyes Wide Shut)のようにひどい目に遭うんだろうなあ。

2009年1月25日日曜日

雑誌と人種と平等と


アメリカにきて驚くのは「黒人のみを対象にした雑誌」の多いこと多いこと。もちろん今はオバマブームですから、表紙という表紙をオバマかミッシェル夫人が飾り、「黒人の」生き方、「黒人の」音楽、「黒人の」恋愛、「黒人の」最新ファッション、「黒人の」セックス等、雑誌のモデルもみんな黒人でしっかり意識を分けている。

白人と諸々の権利の「平等」は訴えるという意識と同時に、自らのアイデンティティーをこれでもかと打ち出して、差異化をはかっているのです。

最初はこれに本当に戸惑いを感じました。本気で「平等」を訴えるのであれば、同じ雑誌に白人も黒人もアジア系も全てミックスしたカルチャーを打ち出すのが当然ではないかと思ったのですね。

「平等」と「みんな一緒」という意識の違い。これはまったく違うのですが、今まで考えたことがなかった。多分私はこの「みんな一緒」という思考に支配されていたのだと思います。小学校の校則に反抗して以来、かなり抵抗して生きてきたつもりだったのですが(笑)

「平等」とは権利における平等であり、またその個々人の「違い」が差別なく受け入れられる「平等性」なのですね。違いとは肌の違い、人種の違い、文化の違い、宗教の違い、性の違い、性的指向の違い、等々。もちろん日本国憲法14条でも「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とはうたっていますが、日常生活において人種的に平等や不平等を意識しないといけないという状況は、あまりないですよね。

「みんな一緒」で周囲と波長を合わせて、その中で「とても小さなこだわり」をアピールするのが日本人らしさだなと思います。特にファッションの世界では。「自分らしさ」を尊重するように見せかけて、実際のところ見た目はさほど違いがない。日本へ遊びに行ったことのあるアメリカ人の友人らから、よくこのようなことを言われます。

「どうして日本人の女性はみんな雑誌からでてきたような格好をしていて、あんなに綺麗なのか?アメリカ人の女の子ももう少し気を使って欲しいよ。でも日本人はみんな見た目がそっくりだよね。あと昔から日本のビジネスマンは黒っぽいスーツにネクタイで、ファッションに変化がないよね」

まあ黒人は肉体的にも、髪質も、顔の作りも西洋系とは違うわけですから、雑誌等で黒人向けのファッションやヘアスタイルの特集を組むことは、その巨大なマーケットに合わせてサービスを提供するという、ビジネスの戦略としては間違っていない。

でも不思議なことに「黒人」の色もさまざまで、歌手のビヨンセや、元スーパーモデルで今は看板番組をいくつも持っているテレビ司会者タイラ・バンクスのように、黒というより明るい茶色に近い肌の色の方がモテるようですけどね。あと黒人の男性は白人の女性が好きな傾向があって、アジア系の女性が異常に好きという人もいると聞きます。だから黒人の女性は白人や他の人種を憎むという傾向もあるみたい。白人の女性も黒人の巨大なイチモツが好きだという人もいるし、黒人向けの雑誌だけど結局購入しているのは白人という噂も。

まあお下品は話は置いておいて、黒人向けの雑誌の市場や、雑誌数、販売部数、読者層。その歴史なども紐解いていくのも面白いだろうなあと思います。

2009年1月13日火曜日

なんということもない不機嫌な日常

不機嫌モード全開のアメリカ人の友人。なにか気に障ることでも言ったかしらとやきもき。その理由が分かったのは数日後のことでした。

彼が高校生の時の話。家族で2週間のバケーションに避暑地で出かけていたときのこと。6歳から仲良くしているという「親友」と当時のガールフレンドら3人が彼の家に押しかけ、"冗談半分で"窓ガラスを破って押し入り中でどんちゃん騒ぎ。アラームがなり警察が駆けつけて大事に。
「表に出ろ」
「いやだね」
と抵抗したので、警察犬をつかって駆り出すわ、銃を構えて脅すわの大騒ぎになってしまい、彼らは逮捕。まだ一週間しかバケーションを楽しんでいなかったのに、家族は急遽帰宅。休暇はめちゃくちゃに。両親は彼を責めたけど、彼にはもちろん何の落ち度もない。ただ「親友」だったので、なるべく彼らの将来に傷がつかないようにはしたものの、逮捕歴は残ってしまった。

で、そのガールフレンドがキレた。自分たちが逮捕されたのは彼のせいだと思い込み、その後ずっと憎み続け、関係はドロドロに。その後その彼女は一緒に押し入った「親友」の男とつきあうようになり、彼にも「あいつのせいで私たちは逮捕された」と吹き込み、共に憎むようになった。という事実を最近別の友人を介して知らされたとのこと。

「彼らは今でも退廃した生活を送っているんだよ。大学も出ていないし、定職にもついていない。元ガールフレンドだってストリッパーさ。たぶん彼らからしたら僕は大学も出て、きちんとした仕事をして雲の上の存在なんだと。それも憎しみの一つかも」

6歳からの友人で、彼の家だって僕の部屋の窓から見えるのに。と淋しそうな瞳をした彼。

彼には高校時代の「親友」の女性が殺された、というおぞましい記憶もあります。19歳のAnna Fowlerは2004年の10月に、「 King of Prussia」という大型ショッピングモールの中にあるモーテルで、ジャマイカ人の男とセックス中に殺害された。目隠しをされ、口輪を食まされた上、喉をかっ切られ、胸まで刺されて…。当時の記事をネット上で探そうとして、
「おかしいなあ。以前はどこのメディアでも大々的に取り上げていたのに、今はナチのホームページにしかないよ」
「ナチの?」
「ああ、New Nationってあるでしょう。これは白人至上主義者たちなんだ。移民たちが、いかにアメリカで犯罪を犯しているかという事ばかり取り上げたホームページさ。人種差別的でしょう」

…………。


「仲が良かったんだよ。彼女の家も遊びに行ったことがあるし、近所なんだ。死んじゃったから殺された理由は分からないけど、もしかしたら彼女がそれを望んだんじゃないかって気もするんだ。どうしてだかは分からないけど」

こちらがそのホームページです。
http://www.newnation.org/NNN-news-invasion.html

2009年1月9日金曜日

言葉は音楽だ!

サンフランシスコ2日目後編は後ほど書くとして、今日は「英語」について。さすがに一年以上滞在すると我ながら上達したなあと思うと同時に、ああまだまだこれではアカンわと落ち込むことも。ただこのまま継続していけば、30歳を過ぎてから渡米した割には、そこそこのところまではいけるのでは、という自信が持てる流れに乗ってきていることは事実。

英語の国にいるのに、話せるようになるだけの為に語学学校に大枚をはたくのはおかしいという持論のもと、ひたすらタダで話せるようになる道を模索した結果、やはりネイティブの友人を作るのが一番ですね。話す環境を意図的に作る。カフェでくっちゃべってもいいし、家に呼んでパーティーを開いてもいい。「米買いたいんだけどさあ、重いのよね。あと足がないから車に乗せて送ってくれない?」とスーパーまで送り迎えをしてもらったり、正式にランゲージパートナーになりましょうと、日本語を教えるかわりに英語も教えてもらう。 日常会話に支障がなくなってきたら、仕事を始める。お金をいただく自信がなければボランティアから。そのまま人脈も作って、徐々に現金収入への道へ。

こんな2008年でした。そして時折お仕事をいただく、フィラデルフィアで唯一の邦人向けの旅行代理店の忘年会に参加したときのこと。脱サラで渡米し、はやウン十年。アメリカ人の奥様と2人の子供をもうけ、この事業を軌道に乗せたO社長の英語力に逆の意味でビックリしました。カラオケ付きの日本食レストランでウェイターに向かい

「Any sushi? Make mix Roll sushi and Nigiri. About $50. No Sashimi!」
(寿司ある?巻寿司とにぎり寿司の組み合わせで50ドルくらいでなんとかして。刺身はいらないよ)

ものすごい日本語英語の発音で、単語を羅列しただけのオーダー。はい、しっかり通じていました。この勢いでこの人ずっと生きてきたんだなあといたく感心してしまいました。ただ彼はどんなアクセントの英語でもきちんと聞き取れている。聞き取れることが最重要。あとは強い意志があれば、多少文法的にいかがなものでも会話は成立するという生き証人でした。

もう一例。仲良しのKさんはアメリカ人の友人らからも
「彼女は本当に日本人なのか?」
と聞かれるほど素晴らしい英語力。それもアメリカ人しか使わないスラングやら表現をいり混ぜて話すので、私でも聞いていてさっぱり分からないときも。まあ彼女は留学経験もあり、外資系の会社での長い勤務をへて、こちらの大学院を卒業し、さらに就職までした経歴の持ち主なので追いつける訳がないのですが、それでもそのナチュラルさは尋常じゃない。

で、今更ですが聞いてみました。
「どうやってそんなに上手くなったの?」
サラサラロングヘアの頭を傾けて、「うーん」と。
「音楽を聞くとかかな。耳から入ってくるのよね。わたし、聞こえてきたままにそのまま話せるのよ」

そんな容易く言うけどとタジタジ。彼女はR&Bからヒップホップまで相当の音楽通だし、小さい頃からクワイヤー(聖歌隊)で歌っていたから環境的にも、体で覚えるように語学を身につけてきたのでしょう。そしてさらに

「ほら、リズムがないと言葉じゃないから。英語は英語の、イタリア語はイタリア語のリズムがあるでしょう。日本語は平たんだけどさ。そのリズムが英語は大切よ」

「リズムがないと言葉じゃない」。それはまるでデューク・エリントンの『スイングがなければ意味はない(It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing)』と同じくらいカッコいい言葉でした。


追記:NYで発行されている日本語の新聞『週刊NY生活』・新年号に3面に渡り私の記事が掲載されました。明治時代にフィラデルフィアに滞在した日本人偉人伝です。津田梅子、新渡戸稲造、野口英世ら錚々たる人物がこの地で才能を開花させたのですね。

「フィラデルフィア日米協会」のホームページでも取り上げていただいたので、お時間があるときにでもご覧ください。こちらのアドレスから飛び、津田梅子の新聞記事をクリックすると記事の全文がお読みいただけるかと思います。5〜7面に掲載されています。
http://jasgp.org/content/view/706/179/