2009年1月25日日曜日
雑誌と人種と平等と
アメリカにきて驚くのは「黒人のみを対象にした雑誌」の多いこと多いこと。もちろん今はオバマブームですから、表紙という表紙をオバマかミッシェル夫人が飾り、「黒人の」生き方、「黒人の」音楽、「黒人の」恋愛、「黒人の」最新ファッション、「黒人の」セックス等、雑誌のモデルもみんな黒人でしっかり意識を分けている。
白人と諸々の権利の「平等」は訴えるという意識と同時に、自らのアイデンティティーをこれでもかと打ち出して、差異化をはかっているのです。
最初はこれに本当に戸惑いを感じました。本気で「平等」を訴えるのであれば、同じ雑誌に白人も黒人もアジア系も全てミックスしたカルチャーを打ち出すのが当然ではないかと思ったのですね。
「平等」と「みんな一緒」という意識の違い。これはまったく違うのですが、今まで考えたことがなかった。多分私はこの「みんな一緒」という思考に支配されていたのだと思います。小学校の校則に反抗して以来、かなり抵抗して生きてきたつもりだったのですが(笑)
「平等」とは権利における平等であり、またその個々人の「違い」が差別なく受け入れられる「平等性」なのですね。違いとは肌の違い、人種の違い、文化の違い、宗教の違い、性の違い、性的指向の違い、等々。もちろん日本国憲法14条でも「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とはうたっていますが、日常生活において人種的に平等や不平等を意識しないといけないという状況は、あまりないですよね。
「みんな一緒」で周囲と波長を合わせて、その中で「とても小さなこだわり」をアピールするのが日本人らしさだなと思います。特にファッションの世界では。「自分らしさ」を尊重するように見せかけて、実際のところ見た目はさほど違いがない。日本へ遊びに行ったことのあるアメリカ人の友人らから、よくこのようなことを言われます。
「どうして日本人の女性はみんな雑誌からでてきたような格好をしていて、あんなに綺麗なのか?アメリカ人の女の子ももう少し気を使って欲しいよ。でも日本人はみんな見た目がそっくりだよね。あと昔から日本のビジネスマンは黒っぽいスーツにネクタイで、ファッションに変化がないよね」
まあ黒人は肉体的にも、髪質も、顔の作りも西洋系とは違うわけですから、雑誌等で黒人向けのファッションやヘアスタイルの特集を組むことは、その巨大なマーケットに合わせてサービスを提供するという、ビジネスの戦略としては間違っていない。
でも不思議なことに「黒人」の色もさまざまで、歌手のビヨンセや、元スーパーモデルで今は看板番組をいくつも持っているテレビ司会者タイラ・バンクスのように、黒というより明るい茶色に近い肌の色の方がモテるようですけどね。あと黒人の男性は白人の女性が好きな傾向があって、アジア系の女性が異常に好きという人もいると聞きます。だから黒人の女性は白人や他の人種を憎むという傾向もあるみたい。白人の女性も黒人の巨大なイチモツが好きだという人もいるし、黒人向けの雑誌だけど結局購入しているのは白人という噂も。
まあお下品は話は置いておいて、黒人向けの雑誌の市場や、雑誌数、販売部数、読者層。その歴史なども紐解いていくのも面白いだろうなあと思います。
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