2009年8月29日土曜日

だから、わたしは進もうと思う

その方とは、実は一度もお会いした事がないのです。昔の職場に、私が退社したあとお勤めになられた編集者の方でした。私が昔のボス宛に、一方的に送っていたアメリカ生活のレポートをずっと読んでおられたそうで、ある日突然メールが送られてきました。

「良い文章を書くから続けて下さい。応援しています」

そして幾つか物書きのお仕事を紹介していただき、まあ実現したものの、そうでないもののありましたが、私の人生を少し方向付けて下さった、大変奇特なお方でした。

ある日、我が家にかなり大きな小包が届きました。そこには彼が選んだ文庫が20冊弱。経済モノ、社会問題、歴史小説、恋愛小説、そしてSM小説まで、なんの脈絡も感じられない不思議なセレクトでした。そしてどの本も、私が書店で手にするタイプのものではありませんでした。

「日本語に飢えていませんか? 気にしないで下さい。仕事がら安く手に入りますから」

すぐに読んだのはアメリカ社会の恥部を描いたノンフィクション。こちらは勉強になりました。へたくそなSM小説は大笑いをしながら読み、日本語を勉強している友人にあげました。

何度かメールを交換し、一度電話でお話しただけで、そのあとその方は消えてしまわれました。日本に一時帰国した時にも、タイミングが合わずお会いできませんでした。退職をされイギリスに行ったらしいというのが、最後の情報です。その後お便りもほとんどありません。

数冊読んだものの、しばらく彼の選書には触れていませんでした。NYへの引越の支度をしながら、ふと目に留まった一冊。橋本紡の『流れ星が消えないうちに』。この作家も作品についても全く無知のまま、たまには淡い恋愛小説もいいかしらと、ソファに持ち込み一気に読み上げました。そう、一気に読める程度の非常に読みやすい、まあありがちな展開の、ソフトタッチのライトノベル。しょうもないほどロマンチックなタイトルそのままに、切なさいっぱいの、甘酸っぱい恋愛ものでした。

で、不覚にも号泣しました。普段でしたら、時間の無駄だと途中で読むのを辞めてしまうような内容だったにもかかわらず。自分で選んで読んだのですから、「つけこまれた」というのはおかしな表現ですが、でも強気を装う痛んだ心に、するりと入られてしまった感がありました。同じ陳腐な表現でも、その読み手側の精神状態で、「くだらない」と一蹴できたり、逆に深く胸に突き刺さったりするものです。ちょっと長いですが、引用させてください。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 たぶん、一度、わたしの心は壊れてしまったのだと思う。
 不幸なんて、いくらでもある。珍しくもなんともない。けれど、ありふれているからといって、平気でやりすごせるかといえば、そんなわけはないのだ。じたばたする。泣きもする。喚きもする。それでもいつか、やがて、ゆっくりと、わたしたちは現実を受け入れていく。そしてそこを土台として、次のなにかを探す。探すという行為自体が、希望になる。
 とにかく、終わりが来るそのときまで、わたしたちは生きていくしかないのだ。
 たとえそれが、同じ場所をぐるぐるまわるだけの行為でしかないとしても、先を恐れて立ち止まっているよりは百倍も……いや一万倍もましだ。
 だから、わたしは進もうと思う。
 恐れながら、泣きながら、進もうと思う。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

文脈は違えど、これほどまでに、いまの私の心境を上手に描いた文章もないでしょう。この本を下さったあなたですが、読んでいたかどうかは分かりません。遠くからの応援メッセージとして、勝手に、そっと、受け止めました。夜道を優しく照らしてくれる街頭。いえ、顔は見せず光の杖で先を示してくれる仙人なのかもしれません。

導いてくれる人というのは、なかなかいないものです。結局人生なんて、自分で自分の道を作って、歩いて行くしかない。でも夜道の街頭になって下さる方はいる。視点を与えて下さる方は貴重です。その思いに、きちんと応えて生きていくことが、唯一の恩返しですね。

8月30日にNYへ引越をし、一人暮らしがスタート。9月1日から仕事も始まります。

2009年8月19日水曜日

Go down the shore !


Go down (to) the beach. とか Go down (to) the shore. とフィラデルフィアの人が言う時、それはお隣のニュージャージー州アトランティックシティかオーシャンシティーのビーチへ泳ぎにいく事を指します。ハイウェイが空いていれば車で一時間ちょっと。大西洋に面した庶民的なリゾート地です。

とびきりパワフルなゲイル姉さんが休暇で帰ってきました。彼女が勤めていた英会話学校の生徒さん3人を引き連れて、彼女プロデュースのオリジナルアメリカツアーを体験させるのだと。

「Masako、私の日本語はまだまだだし、彼女たちも英語初心者なの。だからあなた通訳としてついてきなさいよ。そうしたらあなたもオーシャンシティーで一緒に遊べるし、パパの家にも泊まれるわ。あなた最近つかれているでしょう。休暇が必要よ!」

私ごときで務まるような通訳でよければ是非是非と、遠い昔に購入した水着を引っ張りだし、サマードレスにサンダルをつっかけ彼女の車に飛び乗ります。日本からお越しのお客様3名は、それはそれはキュートな20代前半のお嬢さん達でした。そうかあ、こんなに痩せているもんなんだ。こんなに髪の毛を茶色にしているんだ。まつ毛のエクステとか、今時のネイルアートはこんなに凝っているのね。美白はそうよね、しっかり守らないと。写真を取る時は必ずピースサイン。そして何を見ても
「かわいい〜♥」
なかなかフィラデルフィアでは見ない種類の生き物だったので、しばらく人形のように愛らしい彼女たちを観察してしまいました。

ゲイルの両親は6〜7年前に離婚。ビジネスを成功させた父親は恋人とニュージャージーに、母親も恋人とジョージア州に住んでいて、そして今はみんな仲良しという理想的な(?)家庭環境。今回お邪魔した、ゲイルの父親の家は昨年の冬にも行ったのですが、スイミングプールやプールバーがあり、国産車、ヨーロッパの高級車5〜6台に、ハーレーダビッドソンと、まあアメリカンドリームを形にしたらこんな感じなのではという世界。

ゲイルの父親と恋人シェリルはそれぞれ小型のヨットを所有していて、我々は分乗して水面を切り、風に髪を遊ばせながら沖へ沖へ。さあ、このあたりで泳ぎなさいと言われみんな次々に飛び込んでいくのですが、足がつかないところでは泳げない私。ちゃぽんと浸かっただけで、すぐにボートに逃げ戻ってしまいました。大西洋の真ん中。海岸線も見えず、青い空に穏やかな海。この世の楽園といった感じなのですが、でも怖い。ボートの上でのんびりとビールでも飲んでいる方がいいわ。と、惚けた顔で空を眺めていたら、ゲイルが叫びました。

「ドルフィン!! みんなボートに戻って追いかけるのよ!」

そうイルカの大群が少し先でジャンブしていたのです。キラキラと太陽の光を浴びて輝く濡れた丸い背中達。それは言葉にできないくらい美しい光景でした。5回に1回見られれば良い方だそうで、ついていたようです。私達。

その後も理想のアメリカンライフ体験、ショートカットプランはイベント盛りだくさんでした。ゲイルの父親の手によるBBQパーティーの後、夜のボードウォークと遊園地ではしゃぎ回り、翌朝は彼の運転するハーレーダビッドソンに1人1人乗せ近所を一周してくれ、その間残りの面々はシェリルの指導のもとエアガンで、吊るした空き缶の的にシューティング。さらにガレージからどんどん出してくれる、ポルシェやベンツと記念撮影。

こんな映画のようなアメリカンライフを体験したのは、私も初めてでした。日本からきた若者たちのために、あれもこれも用意してもてなしてくれた彼らに心から感謝。こんなに素敵な英会話の先生に巡り会えることは、なかなかないですよね。フィラデルフィアに戻り、市街観光とヴィクトリア・シークレットでのお買い物やディナーにつきあって私はお別れをしました。その翌日みなさんは、ゲイルのガイドのもとニューヨークを観光して日本へ帰ったそうです。

追伸
夜のボードウォークを散策中、アイスクリーム屋の前で一休み。みんなで順番に食べていた時、ゲイルの父親がぼそっとつぶやきました。
「やれやれ、昔はこうして回して楽しむものと言えばマリファナだったのに、いまやアイスクリームだぜ」
ゲイルと私は大爆笑。さすがにここは通訳しませんでした。

2009年8月18日火曜日

飛び込み営業

I am looking for a job.

開店準備中のレストランのドアを開けて入ってきた青年はそう言いました。ごしごしと醤油臭いテーブルを拭いていたわたしは、聞き間違えかと思い振り返ります。ずんぐりとした短身に浅黒い肌、キャップの下からはみ出す真っ黒な髪に四角い顔。まぎれもなくメキシカンです。

I am looking for a job.

彼は再度はっきりとした口調で言いました。リスを思わせるつぶらな黒い瞳と、切羽詰まったセリフにそぐわない柔和な微笑みに、私の戸惑いはいっそう濃くなりました。

こういったメキシカンの移民たちは、キッチンシェフや皿洗いといったあまり人目のつかない現場で働いているのです。最近はフィラデルフィアでもだいぶ見るようになりました。不法移民に違いありませんが、この国を支える安い労働力であることも否定できません。国が激しい摘発をしない背景には、互いに持ちつ持たれつの関係があるからなのではないでしょうか? 彼もアメリカに飛び込んできたものの、仕事の当てがなくこうして飛び込み営業を繰り返しているのかもしれません。

私はなんと返したら良いか分からず、もごもごと「ちょっと待ってね」と言うと、もう1人のウェイトレスDを呼びに奥へ逃げてしまいました。エプロンで手を拭きながら現れたDに、彼は全く同じトーンで

I am looking for a job.

「ああ、今新規では雇っていないんだ。どこの国からきたの?」
「メキシコ」
「そうかあ、本当にゴメンね」
移民という立場では同じインドネシア人のDの対応は、どことなく申し訳なさげな優しさが滲んでいました。
「じゃあいいや。有難う」

青年は特にがっかりした様子も見せず去っていきました。この通りにはまだ何軒か他にもレストランがあるので、あまり遠くまでいかないうちに見つけられますように、と背中に向かって祈っておきました。

2009年8月10日月曜日

ストリートファイト

夜の街をつんざく罵声と金切り声が聞こえたと思った瞬間、ツレが止まった。
「ケンカだ。道を変えよう」
100mほど先の路上で5、6人の黒人の集団が殴り合いながら車道に飛び出してきた。けたたましいクラクションを鳴らしながら、車が避けていく。日曜日の夜。9時過ぎのスプリングガーデンストリート。そのまままっすぐブロードストリートとの交差点に出たかったのだが、踵を返し回り道をしてセンターシティに出る事にした。

「ああいう光景を見たら避けないとダメだよ。ギャングが加勢していつ銃で撃ち合いになるか分からないし、そのまま流れ弾にあって死ぬ可能性だってあるんだから」

センターシティから少し北に外れたこの地域は普段から退廃した雰囲気が漂い、廃屋とゴミと雑草だらけの歩道から、不気味なほどの静けさが冷たい恐怖となり背中を上ってくることはあるのだが、命の危険までも感じた事はなかった。

数ブロック南下し、横道からブロードストリートに出たところ、先ほどのグループが、こちらを目がけて走ってくるではないか。逃げる男、追う男。それをまた追う集団。慌てて車道を横切り反対側について振り返ると、追いつかれた男が地面に引きずり倒され、激しく殴打を受けていた。拳が顔や身体にめり込むドゥフッ、グフッという鈍い音と、組んず解れつのたうち回る二つの黒い肉体。足早に去りつつも、眼をそらす事ができない。

昨夜はフィラデルフィアのワコービアセンターで開催された総合格闘技UFC(Ultimate Fighting Championship)の試合を、友人たちとインターネットテレビで見ていた。熱狂するオトコどもを余所に、現ミドル級王者アンデウソン・シウバがガードを下げ、対戦相手のフォーレスト・グリフィンを散々小馬鹿にしたあげく、計算され尽くしたパンチで顎を捉え、1回KO勝ちしたところで眠りに落ちてしまった私。興行と知って見る殴り合いは例え世界王者であろうと何であろうと全く身が入らないのに、初めて見るストリートファイトは、その生々しさに背筋が凍りつき、しばらく声も出なかった。

巻き込まれることもなく、ケンカの終焉を見る前に射程圏内から逃げ切ることができたが、それでもしばらく極度の緊張と恐怖から解放されるまでは時間がかかった。

そう、いつでも撃たれる可能性があるということを意識の奥底にしまっておかないといけないのだ。きっとここだけでなく、世界中のどこででも。

2009年8月1日土曜日

Spicy World

私が働く寿司レストランではたぶん、決して日本ではお目にかからないRollこと巻寿司がメニューに並んでいる。

Spicy Scallop Roll(スパイシーホタテ貝巻き)
Spicy Tuna Roll(スパイシー鉄火巻き)
Spicy Squid Roll(スパイシーイカ巻き)
Spicy Shrimp Roll(スパイシーエビ巻き)
Spicy Hit Roll(スパイシーヒットロール??)

どうもアメリカ人はスパイシーなものが好きらしい。特にSpicy Tuna Rollは大人気。チリソースとマヨネーズを混ぜたような味の特製ソースを具材にまぶして巻くのだが、時に「これでは足らないわ」と別皿にスパイシーソースを入れて持ってくるように要求されることも。そしてほぼ100%の客が醤油なり、ソースなりにドボンと寿司をつけて、汁を滴らせながら頬張る。それでは具材の味が分からないではないかと思うが、多分魚の生臭さが苦手なのだろう。

スパイシーなものは寿司だけではない。

Spicy Miso Soup (スパイシー味噌汁)
Spicy Seafood Soup (スパイシーシーフードスープ)

なんていうものもある。スパイシー味噌汁は、普通の味噌汁にラー油をドバッと垂らすだけ。一度韓国レストランで食した味噌汁に唐辛子が入っていて驚いた事があるが、同じような感覚。考えてみれば私が働くレストランを始め、フィラデルフィア市内のほとんどの日本食レストランが韓国人経営であるのも、こういった発想にいたる理由なのかもしれない。

寿司と別にご飯を頼む感覚もよく分からないが、よくある風景。ご飯はWhite Rice (白米)、Brown Rice (玄米)、Sushi Rice(寿司飯)の3種から注文できる。寿司飯を茶碗に持ってサーブする度に、可笑しさがこみ上げるのは私だけだろうか? とにかく白米は味がしないと思うようである。せっかく頼んでも醤油をドバドバかけてたり、七味唐辛子パウダーで真っ赤にして食べている人々に、

"How is everything?"
 
と声をかけ

"OH!! It is great!! Awesome!"

とか満面の笑顔で返されると、ちょっと悲しくなる。まあチップを置いていってくれればいいんだけどね。