2009年6月28日日曜日

日本食レストランで働くの巻

諸々の事情はさておき、週2回フィラデルフィア市内の某「日本食レストラン」でウェイトレスのアルバイトを始めました。

面接は10分。名前と電話番号を聞かれ、仕事の経験を聞かれただけ。英語が上手だから大丈夫とインドネシア人に太鼓判を押され、即採用。翌々日から働き始めました。

この日本食レストラン、オーナーは韓国人、私以外の従業員は全てインドネシア人です。聞くところによるとほとんどの日本食レストランが、こういったシステムなのだとか。フィラデルフィアは韓国人経営の店が多いですが、他の街へ行くと中国人か台湾人というケースの方が多いらしい。薄給でも文句を言わず働くのは、観光ビザで入国し、とうに滞在資格が切れている彼らのようなアジア系の不法移民なのですね。

日本食は健康ブームもあってそこそこ人気なのですが、実際に日本人が働いている事は、ニューヨークのような大都市ならいざしらず、フィラデルフィアでは数人ではないでしょうか? いちおう日本食を前面に出している以上、アジア系の顔で従業員を揃えるのが常識のようで、西洋系、黒人、メキシカンが働いていることはほぼありません。

インドネシア訛の英語に悪戦苦闘し、ベテランのインドネシア人ウェイトレスに「また、あんた味噌汁にスプーンをつけ忘れたでしょう!」と叱られ、「ハマチはイエローテイル、鯛はレッドスナッパー」と呪文のように唱えながら働いております。

このレストランの場合チップはサービスをしたテーブルごとではなく、その日のトータルを勤務歴や経験に合わせた割合で分配。ちなみに私の初日給は6時間働いて$23でした。その次は$28。一番賑わう金曜日の夜だと$60くらいまではいきますが、平均すると$40前後でしょうか。毎回現金とっ払い。時給自体は2ドルちょっとなので数ヶ月分まとめてあげるよとのこと。

うーん、我々労働者階級は搾取されておるぞと、マルクスの「資本論」でも読みたくなる日々です。ただ、初の英語しか通じない職場。自意識や、変なプライドや、迷いを全て断ち切り、人生再出発です。

2009年6月5日金曜日

日本人の心

日本人は何かと「心」を大切にします。特に「和の心」とか「侘び寂び」と言うと、茶の湯、茶室、懐石料理、うつろいゆく四季折々の風景など、総括できない何か独特の世界が想像されます。文学を通して、また単純化されたコマーシャリズムの戦略に乗って、なんとなくそのイメージは掴めているつもりでも、その「心」の神髄を知っているのかと聞かれると、少なくとも私は胸を張っては頷けません。

先日散歩中に、小径に面したささやかなガーデンの前を通りました。ツタが這ったアーチの下に、アンティーク調のラウンドテーブルや椅子が置かれ、アフタヌーンティーでも嗜みたくなる素敵な空間。でもちょっと庭木の枝葉や雑草が元気に伸びすぎて、「うっそうとしている」の一歩手前の感じ。

「もう少し手入れをしたほうが良いわね」と連れのアメリカ人に言ったところ、千利休と秀吉の話を知っているかと聞かれました。

「千利休が秀吉を茶会に呼んだ時、弟子が庭を落ち葉一つなくきれいに掃除してしまったんだ。それをみた利休が慌てて落ち葉を撒いて元に戻したんだよ」

このエピソードが詳細に渡り史実に即したものなのかどうかは、私には分かりません。ただその瞬間、雷にでも打たれたような衝撃が体を駆け巡りました。このセリフ、言う側と聞く側が明らかに逆転している。そしてこのタイミングでそのエピソードがさらりと言えるあなた、まだ23歳なのに…。

彼が大学でイースト・アジア研究を専攻し、日本文化に造詣が深いことは知っていましたが、その神髄を生ける肉体として受け止め、言葉に溶かして己の生きる空間を作っていく。簡単に言ってしまうと、私よりずっと日本人らしかったのです。恐れ入りました。

ちなみに彼の愛読書は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』と、岡倉 天心(覚三)が英語で書いた『The Book of Tea』(茶の本)と、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』だそうです。