2009年4月30日木曜日

2009年4月21日火曜日

But it's only a pipe dream.

4月20日は大麻サブカルチャーにおける特別な日である。カウンター・カルチャー的祝日ともされ、愛好者は集い摂取を楽しむ。4月20日が選ばれた理由は諸説あるが、1971年、カリフォルニアにあるサン・ラファエル高校の学生達が、放課後の4:20PMにパスツールの銅像の前に集まって吸っていたのが由来、というのが有力のようだ。

もちろんのこと大麻はアメリカ国内でも違法である。が、日本におけるそれとは全く扱いが違う。入手はいたって簡単だし、罪の意識も非常に低く、街を歩いていて独特の草っぽい匂いが漂ってくることも少なくない。「違法は違法だけど、大した問題ではない。むしろヘロインやアヘンに比べれば人体への害もほとんどない」という認識が圧倒的だ。罪も摂取そのものより、売人に課せられるものの方が遥かに重い。

メキシコの議会では密売組織を弱体化させるために、大麻を合法化してはどうかという議題が上った。オバマ大統領も先月のオンライン・タウンホールで「経済救済策として大麻を合法かするというのはどうか?」という主旨の発言をしてしまい、窮地に追い込まれた。

注)この箇所に関して「『経済救済策として大麻を合法かするというのはどうか?』というアイデアは、市民がオバマに尋ねたものであり、オバマは苦笑しつつも『良いアイデアではない』として却下したはずだ」とのご指摘がありました。読解不足をお詫びします。

そして先ほどNPR(National Public Radio)の放送を聞いていたところ、「もし大麻が合法化したらどうなるのか?」という仮説によるシナリオが描かれていて興味深かった。

大麻が合法化して2年の月日が過ぎ去った。アルコールと同じように21歳以上(アメリカの最低飲酒年齢は21歳)がライセンスを持った診療所からグラム単位で購入可能。課税対象商品となっている。幸せになった人も多いが…。と始まる。

著名なバラード歌手で、大麻通で知られるウィリー・ネルソン(76歳)は「賛否両論だね」と言う。「ムショにぶち込まれるこたあなくなったけど、おかげで古くからの売人仲間は仕事にあぶれちまってよ」

テキサス州オースティン。大麻合法化により、「オート・ウィリー」のようにかつては違法だった大麻用品販売店は取引が急増。マネジャーのダグ・ブラウンは、喫煙効果を和らげる円錐型の装置を指差し「これは高いよ。575ドルだ。入手困難でね」と言う。また彼は新規顧客に老人が多いことにも気がついている。「より富裕層、より楽しい人たちさ。大麻未経験だったけど合法化によって試してみようと決意したんだね」。

というように「架空の」事例が延々と続く。かつては密売組織が牛耳っていた大麻売買を、国家をあげて輸出戦略として売り出したメキシコ。だが合法化したとはいえ、コカインやヘロインといった違法薬物を密売する業者が後を絶たないという現状のリポートなど、なかなか真に迫っている。

NPRは最後にこう結んでいる。
「現時点では、合法化が大麻狂を発生させるか、単に人々にくつろいだ気分をもたらすかといった話題は、興味深い室内ゲームである。ただ、はかない希望に過ぎないが」(But it's only a pipe dream.)

番組ホームページのリスナーアンケートの調査によると、集計件数7,227件のうち、大麻合法化に賛成:91%、反対:4パーセント、賛成だが医療目的に限る:4%。

2009年4月19日日曜日

外来種の襲撃

「アメリカザリガニ」とアメリカ人の友人の前で言ったら「そんなもん知らん」と。
「ええっ、ザリガニ(crawfish)の赤いのだよ」
「ザリガニは知っているし、小さい時によく捕まえて遊んだけど赤いものなんかみたことないよ」

調べるとアメリカザリガニ(Procambarus clarkii)はミシシッピ川流域を中心とした北アメリカ南東部が原産。日本には1927年、ウシガエルの餌として持ち込まれたそうです。ウシガエルの養殖池から逃げ出した個体が持ち前の適応力で生き残り、1960年頃には九州まで分布域を広げたというからすごい。別名は「red swampcrayfish」「 Louisiana crawfish」などと言うようで、ペンシルベニア州にはあまり縁のない生き物だと言うことが判明しました。

逆にジャパニーズ◯◯という外来種はあるのかと聞いたところ、口を揃えて教えてくれたのが「Japanese Beetle」(マメコガネ)。

ウィキペディアの引用によると、

1916年にアメリカ合衆国のニュージャージー州・リバートン(Riverton)で発見された。これらはアメリカで甲虫類の検疫が始まった1912年以前に、日本から輸出されたアヤメの球根に幼虫が紛れて移入したものと考えられている。以後、マメコガネは天敵の少ない北アメリカで一気に分布を広げ、重大な農業害虫となってしまい、太平洋戦争時には「日本憎し」の宣伝材料にマメコガネも使われたほどであったといわれる。日本発の外来種であることから、現地では"Japanese beetle"(ジャパニーズ・ビートル)と呼ばれて嫌われている。

だそうです。おやまあ。知りませんでした。USDA(United States Department of Agriculture /農務省)のHPにも害虫として載っていました。
http://www.aphis.usda.gov/plant_health/plant_pest_info/jb/index.shtml

「子供の頃大量発生して、2ケ月くらい大変だったんだ。外を歩くと顔や体中にぶつかってきて最悪だったよ。パールハーバーの再来かと思ったよ」
とまあこのくらいの冗談は聞き流さないと(笑)。

Japanese Beetle専用のトラップが庭に仕掛けてあり、朝になると虫がわんさかかかっていたとか。 トラップはこんな感じです。
http://www.youtube.com/watch?v=HJ5NZm_ws7Q&feature=related

アメリカはちょっと郊外に行くと、こういった広い芝生付きの一軒家が並んでいます。ホームセンターに行くと芝刈り機や、ガーデニングキット、BBQセットが売られており、郊外生活者の日常が垣間みられます。

2009年4月15日水曜日

自炊生活 in Philadelphia




私は料理が大好き。なんだかんだ言って、自分で作ったものが一番美味しいんですよね。今日の夕食の3品。

『ホワイトアスパラガスのサラダ』
春の風味ホワイトアスパラガス。八百屋で大量に手に入ったので、ピーラーでしっかり皮を向き、レモン汁、砂糖、塩を少々加えた水で煮て一晩寝かせておきました。シャキシャキした食感がたまりません。醤油をたらしたマヨネーズをゆで汁で溶き、アスパラガスとゆで卵を和え、粉末パプリカをまぶせばこじゃれたオードブルに。

『ごぼうと牛肉の煮物』
ごぼうは英語では "burdock"。でもアメリカ人でもこの単語は知らない人が多い。韓国系スーパーかチャイナタウンで仕入れます。薄切り肉は日本の家庭料理には欠かせませんが、アメリカのスーパーでは売っていません。こちらも韓国系スーパーで大量購入。小分けにして冷凍庫で保存し、少しずつ使っています。
下茹でしたごぼうと牛肉を酒と醤油と砂糖で煮込む。ごぼう独特の歯ごたえと香りがたまらなくウマい。木の芽でも散らせば完璧ですが、そんな洒落たものはさすがに手に入りません。七味唐辛子でもけっこういけます。

『鮭の照り焼き』
フィラデルフィアでは鮮魚には恵まれないので、必ず火を通します。こちらは生姜の絞り汁、醤油、日本酒に一晩浸してフライパンで焼きました。生姜の力は絶大です。臭みが飛んで品のある仕上がりに。

こうした食事を毎日取ればアメリカでも肥満知らず。健全な魂は正しい食生活に宿る。と思いませんか?

2009年4月13日月曜日

赤恥


先日の桜サンデー(Sakura Sunday)でのこと。大盛況のお土産物屋のヘルプに入り、扇子や唐傘といった日本グッズを売りさばいていたところ、初老のきつーい顔のおばさまが登場。

「私は著名なライターで某誌でコラムを書いているんだけど、この桜祭りの情報は事前に全然送られてこなかったわ。ちょっとおかしいんじゃない。どういうことかしら」

を息巻く。この忙しい時にそんなこと言われてもなあと、「すみませんねえ。今後は送るように言っておきますよ」と適当に誤ってすませようとしていたら、『Phila-Nipponica フィラデルフィアと日本を結ぶ歴史的絆』というフィラデルフィア日米協会が発行している冊子を発見されてしまった。これ、なかなか優れた本で英語と日本語の両方で書かれており、内容も充実しているのだが、なんと彼女はそれをタダでよこせと。

「ええと、これ売り物で10ドルなのよ。ちょっとタダでは差し上げられないわ」

と言うのに
「だからコラムで紹介してあげるって言っているでしょう!タダでくれるべきよ。はいこれが私のPRESSカード。ねっ、いいでしょう」と。

もの凄い剣幕に押されながらたじたじと、でも絶対にあげるまいと抵抗していたらそのままの口調で

「ちょっとあなた、気をつけなさい。そこ開いているわよ。危険だわ!」
なんのことやらとっさに分からず、慌ててチェックしてしまいました。


ズボンのチャック…。


爆笑する彼女。はい、違いました。開いていたのは寄付金BOXの蓋で、お札がひらひらしていたのを注意してくれていたのです。ああ恥ずかしい。

おかげで少しトーンダウンしてくれましたが、結局冊子は渡しませんでした。あとから聞いたところ、やっぱり以前からちょっとしつこく問合せをしてくるメンドクサイ方だったそうで、あげなくて正解だったようです。

2009年4月10日金曜日

花の季節




フィラデルフィアにも本格的な春が訪れました。午後5時を過ぎると、レストランやカフェの路上のテーブルでワインを楽しむ人々の姿が見られます。

街のあちこちに植樹された桜(cherry blossom)の木々も今が満開。日本の桜の名所のような迫力ある古木はありませんが、細い幹の若木でもこんなに立派に花をつけてくれるのかと胸がいっぱいになります。太く長く逞しく生きるんだよとエールを送り、そして自分もエネルギーをもらっています。

桜の一足先に、白い可憐な花を一斉につけるのが梨(pear)の木。街路樹として並んでいる通りはまるで、純白の花嫁たちが降り立ったような美しさ。背が高く扇のように細い枝が広がるこの木は、風を受けると花々が波打つようにそよぎます。

ハナミズキ(dogwood)やマグノリア(magnolia)も、鮮紅色の豊かな花冠を艶かしく揺らしています。少女たちが花びらを皿代わりにままごとをするのでしょうか?

レンガ作りの古い町並みに花々の映えること映えること。散りゆく儚さに「しづ心ない」春とは違い、アメリカで見る花は桜を含め、その柔らかさの中に芯のある強さを感じます。見る者の精神状態にもよるのでしょうが。

自然から教えられることは多い。明日もタフに生きようと思うのでした。

2009年4月8日水曜日

Sakura Sunday 2009





4月5日(日)、12周年を迎える「スバル・フィラデルフィア桜祭り」最大のイベント、『Sakura Sunday』(桜サンデー)がフェアマウントパークで開催されました。

フィラデルフィア市長のマイケル・ナッター氏や、日本から駆けつけた桜の女王らによる開会式&植樹式に始まり、メイン会場では日本舞踊や和太鼓の披露から、コスプレ愛好者によるショー、ビジュアル系Jロックバンド『音影』のライブまで多種多様な日本文化が紹介されました。武道セクションでは合気道や居合道。別会場ではお茶会や折り紙、書道、数独の紹介など、盛りだくさん。

晴天に恵まれ、会場となったフェアマウントパークは40000人の人出となり、祭りは大成功。年々規模が大きくなっていくこの祭り。運営本部のフィラデルフィア日米協会のメンバーは、実は私を入れて4人しかいません。本当に多くのボランティアの方に支えられてこの祭りは成功となりました。非営利団体である日米協会は寄付金によって成り立っています。メインスポンサーの「スバル」に始まり、個々の寄付や、メンバーシップの会費でどうにか形になりました。この不況下、ここまでこぎ着けたこと自体奇跡だと思っています。

前日までかたく蕾を閉じていたソメイヨシノも、陽気と熱気に押されるようにほころびを見せてくれました。ピンクの彼岸桜や「white fountain」という名の白いしだれ桜(日本ではあまり見ません)は満開となり、名実ともに「桜祭り」となりました。

私は主催のフィラデルフィア日米協会のスタッフとして、シャトルバスでの集金から、各種メディア対応、お土産物屋の運営、インフォメーションデスクでの対応、そして観客が去ったあとの撤収作業まで、一日中目が回るほど忙しかったです。日焼けもしてしまいました。

そして誰もいなくなった夕暮れのフェアマウントパークの噴水を見つめている時に、安堵感と大きな幸せを感じました。大きなトラブルもなく、お天気に恵まれ、笑顔で楽しむ人々をこんなに見られて、今までの努力が実った充足感が全身満ち溢れました。

今度は個人的にお花見に行きたいな。