2009年3月27日金曜日

背中のタトゥー


昨晩は日本とのコネクションを深めようと、シティバンクが開催したソーシャルネットワーキングレセプションに、フィラデルフィア日米協会のスタッフとして参加し、桜祭りのPRをしてきました。

閉店後の某支店で開催されたパーティーにはKIRINからのビールの提供、近所の日本食レストランからの寿司のケータリングと、なかなか豪華。ワインや日本酒もありました。日本とのビジネスを展開していたり、希望をしている方々、また日本文化に興味を持つ方など、50人くらい集まったかしら。和気あいあいとした楽しい会となりました。

デコレーション用に折り鶴を幾つか作ったところ大人気。一枚の紙から立体が折りあがる様子は"Amazing!!"だそうで、私は折り紙は苦手で鶴くらいしかできないのですが、臨時折り紙教室状態になってしまい、うさんくさい講師を務めてきました(笑)。

さらにさらに、皆さん酔いが回ってすっかり盛り上がってきたところ、シティバンクの顧客だというスウェーデン人の女性に

「私、以前に酔った勢いで背中に漢字のタトゥーを入れちゃったんだけど、意味が分からないのよ。ずっと知りたかったんだけど、ちょっと見て教えて頂戴」
とセーターをぐいっと持ち上げて見させられたのは、白い肌に黒字で彫られた

「歓勢魂愛」

うーん。それは中国語なのか?漢詩の一部なのか?そのコンビネーションでどういう意味になるかはよく分からないけど、一つ一つの漢字の意味なら、と

welcome/momentum/soul/love

と教えてあげました。自分では見えないというので漢字も書いてあげたところ大感激され、長年の謎が解けたと(笑)。いいのかなあこんな説明で。

アメリカにいる人のタトゥー率はかなり高く、入れることにあまり躊躇しないようですが、それにしても酔った勢いで意味の分からない漢字を体に彫ってしまうって…。

「歓勢魂愛」
まっ、素敵な漢字のコンビネーションよ!と大いに褒めてあげましたが。

2009年3月23日月曜日

フィラデルフィア偉人伝② 人形師、山本保次郎



1907年から1927年の20年もの長期に渡りフィラデルフィアに滞在し、今はなき「フィラデルフィア商業博物館」に勤務した人形師がいた。山本保次郎(1865-1941)。明治から昭和初期の三代にわたって、皇族や財界人らに愛された人形師「永徳斎」(えいとくさい)一族の第三代目となった人物だ。

彼は1904年、セントルイス万国博覧会にて日本の茶業組合の展示コーナーの陳列装飾担当者として39歳にして来米。間口二間、奥行二間の御殿風の部屋の中に、茶の湯の式に望む等身大の美人人形二体を配するという大掛かりなものであった。この万博会場で、のちにフィラデルフィア商業博物館の設立者となる、ペンシルベニア大学生物学教授ウィルソン博士と出会ったと思われる。

万博終了後、一旦は帰国したものの1907年に再来米。フィラデルフィア商業博物館の展示用生人形や模型の製作に従事した。まだCGによる解説や、展示用ロボットがなかった時代、ジオラマや人形モデルを利用した展示は今以上に効果的であったであろう。詳細につくられた等身大人形で世界諸国の生産労働や風俗を表現。

彼のフィラデルフィア滞在中の作品は、テンプル大学に小型のものが3体残っているだけで、その足跡は謎に包まれたままある。しかしそれらの作品から、彼が伝統的な愛玩用の日本人形の枠を超えて、より写実性を追求し、大胆な表現形態を模索したことが見て取れる。帰国の翌年、二代目であった兄が亡くなり、保次郎は三代永徳斎を継ぐのである。


※これは「週刊NY生活」NO.246、『フィラデルフィア偉人伝』シリーズに筆者が寄稿した原稿の転載になります

2009年3月20日金曜日

鼓童










フィラデルフィア桜祭りのメインイベントの一つでもある、和太鼓芸能集団『鼓童』の4年ぶりの公演が3月17日(火)の夜、同市内のキンメルセンター・ヴェライゾンホールでおこなわれ、会場を埋め尽くした約2400人の観客を魅了しました。

女性4名を含む若手14名のパフォーマーで構成された今回の北米ツアーは、躍動感と軽快さが特徴。大太鼓の連打に圧倒され、小型の締太鼓の合奏が編み出す小波のような繊細な音色に耳を傾け、踊り子や篠笛が盛り上げるお囃子の調べに体を預け、そして最後は割れんばかりのスタンディングオベーションが会場を揺らしたのです。

『鼓童』は1981年、ベルリン芸術祭でデビュー。多様な文化や生き方が響き合う「ひとつの地球」を目指し、「ワン・アース・ツアー」というタイトルで世界各地をめ ぐり、これまでに45ケ国で3100回を越える公演を行っています。北米ツアーは3月27日のワシントンDCで終了。5月からはヨーロッパツアーが始まるそうです。

彼らは古典芸能の伝承者ではなく「パフォーマー」なのだなあと強く感じました。どうしたら海外の観客を引き付けられるか、よおく研究を重ねている。笑いあり、華あり、迫力ありと、飽きさせないように上手に構成されていました。それを「媚び」とか「迎合」だと言ってしまうとあまりにも冷たい。そこで躍動する鍛えられた肉体には嘘は無い。結果やセオリーではなく、進化し続けようとする生き様に”気”とか”エネルギー”をもらう。それが生の舞台を観る醍醐味なのかもしれませんね。

私は昨年同様、懲りずに振袖姿で桜祭りをPR。だから何歳なんだって話ですが(笑)。チラシを配ったり、イベントのPRをしたり、お仕事、お仕事。着物の威力はすごい。ジーンズ姿だったら振り返りもしないような方々から、カメラを向けられ気分はモデル。即席ヤマトナデシコだか、インスタント芸者だか…。
えっ?馬子にも衣装?

2009年3月19日木曜日

いくら緑だからって…


昨日はSaint Patrick's Day(毎年3月17日に行われるアイルランドの守護聖人であるパトリックを祝う祭り)。緑色の物を身につけて祝う日で、「緑の日」とも呼ばれるそうです。 アイルランド系やカトリック教徒以外の者も参加することが多く、北米のニューヨークやボストンなど、アイルランド系移民の多い地域・都市で盛大に祝われるようですが、ここフィラデルフィアでも数日前から街は緑色の衣装や帽子を身につけた人であふれ、アイリッシュバーには人だかりができていました。まあ、楽しく飲む口実ですな。
で、昨日かなりぎょっとするものを見つけました。ご覧の緑色のベーグルに、緑色のクリームチーズ。いくら緑の日だからってこれは…。食べ物につける色ではないでしょう?!
時折アメリカ人のセンスを疑いたくなります。一口だけ齧ってみましたが、まあ味は普通のベーグルとクリームチーズでした。
でも…。
ねえ…。

2009年3月16日月曜日

一時帰国の感想

先日、2週間ほど日本に帰った時に強く感じたのですが、特に東京という大都会を歩いていると、人々が大衆という”無”の中に個を溶かして、意志ではなく”気配”を漂わせて、理解ではなく”察する”という圧力をかけたりかけられたりしながら、暗黙の均衡を全体で保とうとしている。そのバランス感覚たるやすごいもので、これが共産主義国的な教育を施した結果でないとしたら、逆に洗練された感性の文化なのかしらとも思いました。(いや多分ある意味共産主義的な教育を施しているのですが)自己主張するのを美徳とせず、なんらかの型(満員電車の通勤客、会社員、OL、無言の通行人)に自分を当てはめて演じきることにより、1日を無難に回していく。様式美というか型の文化というか。

見た目だけではありません。話し方からも同様の印象を得ました。婦人服売場の販売員はなぜあんな独特の高音で「いらっしゃいませー、こんにちはー、どーぞー。ご覧下さいませー」と語尾を伸ばしてオールリピートをかけてくるのだろう?チェーンのレストランや飲食店でも同じく浴びせされる「笑顔」と「かけ声」。何か言うと「へー、そうなんですねー」という小馬鹿にしたような相槌。この薄っぺらい接待の型に順応することによってマシンとなり、考えることを放棄しているとしか思えない、消費者もそのthe 接待を受けることにより「私は消費者である」という安心感を得ている。
私がここにいられるのは、その役割をもらえたから。

日本国内だけでなく、ニューヨークにある日系の人材派遣企業に転職し、最近研修を受けたばかり友人の話にも衝撃を受けました。その会社のイメージにあった社員を作る為にまずは、見た目、そして所作から教え込んでいくのですね。お酒のつぎ方、大きすぎるイヤリングはダメ、お化粧は程々に、カラフルなバッグは相手先の印象を悪くしたり、汚れるのではと気にされてしまうから、そういった心配を先方にかけないために色は黒にすること。あなたニューヨークにいるのに…。自由とファッションの街にいるのに…。

どうなんでしょうね。こういった研修をフムフムと問題意識を持たずに聞き、受け入れていけるものなのでしょうか?日本にいる日本人の人々は。私はこのバッグのくだりには特に疑問をもってしまいましたが。お洒落なバッグを持っていたら、「素敵ですね!」をそこから話題が盛り上がり、ビジネスも上手くいくのではと思うのですが。なぜそこまで規律を重視し「個」や豊かさを無理矢理消したがるのだろう?

私もかつてセールスの仕事をしていたことがあり、地獄の「マニュアルトーク研修」の劣等生だった記憶がありますから、企業の狙いが分からないわけではありません。

で、そんなことでいいのかな〜と思うのです。型や規範によってオートメーション化された工場で「人材」や、あるいは「消費者」が大量生産され、思考回路まで支配されていく。大きな視点で、おおきな、おーおーきーなー視点で捉えて、考えてみて下さい。果たしてこれで人間として、幸せなのでしょうか?このまま、この国は突き進んで良いのでしょうか?新たな芸術や文化は芽吹くのでしょうか?子供達は幸せに育つのでしょうか?

というようなことを言い出す異分子には変人のレッテルを貼られ、企業や社会にそぐわないということになり、さらに労働者としては、この不況下「特にいりません」と追い払われるのでしょうね。くわばら、くわばら。

ま、ようは私がどう生きるのかが問題なのですが、いままでどう生きてきたか、どう生きてこさせられたかを、どうしてあんなに生きるのが辛かったのかを、母国で他人を鏡に再体験した旅となりました。

ゲイルとの再会


ゲイル姉さんは逞しい。彼女と出会ったのは日本人とアメリカ人(あるいは他の国の人)が週1回フィラデルフィア市内のカフェに集まり、互いの言語を勉強しましょうという勉強会にて。

結婚まで考えていたボーイフレンドの浮気に激怒。彼の顎に強烈なパンチを食らわし一緒に住んでいた家を飛び出した。連日自宅に籠り大失恋に泣き明かし、ピザを食べまくった結果「かなり大きめ」になってしまったが、顔立ちはなかなか愛くるしい。そして、建築家という素晴らしいキャリアも持っている。
友人が日本で英会話の教師をしていたことから、ここいらで心機一転日本へ行き私も英語の教師になろうと。気持ちを切り替えて人生を再スタートするわ。とはいえ、日本に行くのも初めて、日本語も1から勉強。なかなかの決断力である。

彼女とはよく遊んだ。アトランティックシティにある彼女の父親の家に呼んでくれたり、友人もたくさん紹介してくれた。パーティー大好き、姉御肌の気さくな、そしてめっちゃパワフルで、非常に気が強い。でも根はとても優しい、という全てがオーバーサイズ気味のアメリカンガールに、私のフィラデルフィア最初の1年は、振り回されたというか、お世話になったというか。日本へ旅立つ送別会では、巻寿司を作って持っていき押しつぶされそうなビッグなハグをもらった。

そして私の帰国の折に日本で再会しようと約束。アメリカに戻る前日、成田のホテルを取ったことを知った彼女は
「私の家は勝田台よ。成田のホテルなんかキャンセルして私の家に泊まりなさいよ。昼間は学校で教えているからその間はあなたは昼寝してて。夜9時ごろ戻るから夜を徹して飲み歩きましょう。飛行機で寝て帰れば時差ぼけもないし、バッチリじゃない」
と相変わらず強気のオファーを。はいはい。言うことを聞きますよ。

勝田台の駅前で待ち合わせ、驚いた。なんとまあすっきりとしたこと。
「日本食は痩せるわね。毎朝、卵かけご飯を食べているのよ。持ってきた服がブカブカになっちゃたわ。今は日本のLサイズの服が入るのよ」
日本語も随分上達していた。散歩しながらいつもiPodで日本語のプログラムを聞きながら音読しているとのこと。

そしてすっかり地元に馴染んでいた。行きつけの居酒屋を1人で開拓し、扉を空けると「ゲイルさ〜ん」と声をかけられるまでになっていた。その夜、語り尽くしながら回った居酒屋は記憶の限りで言えば4軒!行ってみたかったけどホステスバーと区別がつかないからついてきてと、共に開発したところも1軒。

「もうすぐパパが遊びにくるの。英会話の教室に連れて行って生徒をびっくりさせるつもり。だって彼すっごく大きいでしょう。その後一緒に沖縄に行くの。石垣島も。だからユウキュウ(有給)を貯めているのよ」

「若い女性の生徒さんたちがニューヨークに行きたいって盛り上がっているんだけど、This is a pen.くらいしかしゃべれないのよ。絶対に無理だわ、と思って空港にうちの弟を迎えに行かせることにしたの。ね、彼ものすごくハンサムで、優しい子でしょう。彼女たちは彼の虜になるわ。そしてそのあとパパが彼らを連れて観光案内をして家にも泊めてあげることになっているの」

姉御肌のところは相変わらず。優しさも、美しさも増して益々輝く彼女に圧倒された。異国の地で生き抜くという意味では私も彼女も一緒。励まし合って、パワーをもらって、日本最後の夜は過ぎていった。

「日本にきて何が一番自分の中で変わったと思う?」
「すこし静かになったかしら。色々と考えるようになったわよ」

飛行機の中で飲みなさいと睡眠薬までもらったが、実際必要なかった。ぐっすり眠って時差ぼけ知らず。

2009年3月13日金曜日

フィラデルフィアに帰ってきました


昨夕、フィラデルフィアに戻ってまいりました。そうここ2週間は日本にいたのです。渡米以来初の帰国でした。「凱旋帰国」でも「強制送還」でもなく、まあ1年5ヶ月ぶりだし、諸々用事もたまってきたのでここいらで1回帰っておくか、といった感じでした。連日ビジネスとプライベートと、両方のアポが入ってしまい、文字通り目が回るほど忙しかったです。

さらに2週間「東横イン」暮らしはしんどかった。いやね、安価な割には適度なサービスが行き届いていて、いいホテルだと思うのですが、2週間も暮らすところではないですね。

まあ久々に母国の地を踏むと面白いもので、日本がとっても不思議な国に見える。またおいおい考えをまとめていけたらなあと思います。ただ食べ物はやはり素晴らしいですね。日本人に生まれて良かったと思うのは、本当に美味いものを食べるた時、舌が喜んで口の中で踊ること。「嬉しいなあ。美味しいなあ」って舌が跳ね回るんですよね。私は決して美食家ではありませんが、この幸せを知っているかいないかで、人生変わるんじゃないかと思ってしまいました。ジャンクフードだけ食べていると不健康なだけでなく、食べる喜びという大きな幸せを知らずに終わっちゃうんだろうなあ。満たされないから大量に摂取して肥満になるんでしょうね。

シカゴ経由でフィラデルフィアに戻ってきました。快晴のシカゴ上空から見下ろす、湖畔の摩天楼の街の美しさに胸を打たれ、ああまたこの国に帰ってきたのだとドキドキしてきました。ところがその後、入国審査の指紋採取で引っかかり、理由も告げられず係員に別室へ連行されてしまいました。なぜだ?!前科はないはずだゾ、と首をかしげてしばらく待たされ、やはり問題はなかったようで、特に何も言われないまま解放されましたが、あまり嬉しいものではありませんね。

そして追い打ちをかけるように、フィラデルフィア行きの便が遅れに遅れ、結局キャンセルに。同じユナイテッドの後の便にチケットを変更しろと言われたものの、すでにウェイティングリストには多くの名前が。満席で次の便にも乗れず、5時間も空港で待つはめに。まっ、おかげで本を一冊読み終わることができました。日本で購入した村上春樹の旅エッセー『辺境・近境』。メキシコ大旅行、ノモンハン、アメリカ大陸横断から、讃岐うどん巡りの旅まで、なかなかディープな旅を楽しみました。

次回は日本に帰るための資金を、他の国への旅行代に回してもいいなあ。