2011年8月29日月曜日

ハリケーン一​過でいろいろ考えた

米国東海岸を大型のハリケーンが襲ったというニュースは耳にされていると思いますが、NYでは大きな被害は出なかったもようです。風が強く、裏庭の桃の木が折れていましたが私もアントニオ君も無事です。大家が留守にしていたため、建物の安全管理はすべてアントニオ君にまかせられており、断水・停電のための準備や、戸締りチェックなど厳重におこなっていただけでなく、いざというときのために100ドル以上の食料や懐中電灯、キャンドルを買い込んだ立派な対応でした。やっぱりね、頼れる男はこうでないと。

一方行政側は、地下鉄を週末全面的にストップさせ、危険地域の住民があらかじめ避難させるなど、マイケル・ブルームバーグ市長ここにあり、といった感じのこちらもおみごとな対応でしたが、ちょっと空振りに終わったような。まあ終わりよければすべてよし。昨年末の大雪のとき、対応が遅れてずいぶん叩かれ、支持率もがた落ちしたので汚名返上を狙ったのでしょう。

地震やら、ハリケーンやら、なんだか不穏な雰囲気を抱えながら、同時多発テロ10周年を迎えます。取材で人ごみの多いところに行かなくてはいけないときは、時折覚悟します。できればNYで死にたくないなあと思いますが。

スペインでの休暇から戻ってきたら、我が家は明らかに定員オーバーした状態で、オランダ人の集団にのっとられていました。賃貸アパートとしてだけでなく、短期収入を狙い、ホステルとして次々に空いているソファーやらベッドを旅行者に貸してしまうヒッピー大家がいけないのです。これではNYにいるのか、インドの安宿にいるのかわかりゃしません。キッチンではつねに5~6人がパーティーを繰り広げており、使ったあと片付けをしない。トイレットペーパーやキッチン用品は使いっぱなしで補充しないなど、長く住んでいるわれわれは堪忍袋の緒が切れそうです。

それにしても、いつも驚かされるのが、オランダ人の英語力の高さ。英語教育のレベルがヨーロッパ一高いので、誰もが流暢に英語を使いこなし、時にはスラングまで飛び出します。注意しようにも、なかなか太刀打ちできない…。 NYはかつてオランダの植民地で「ニューアムステルダム」と呼ばれた時期もありました。その影響かよくオランダ人を見る気がします。うちの大家がオランダに強いコネクションをもっているだけかもしれませんが。

もう一人最近引っ越してきたのがイスラエル人の青年。親戚が経営する香水会社に勤務するため、数カ月前にアメリカに来たということ。四方八方を敵国に囲まれているイスラエル。ハリケーン一過の夕方、バルコニーで涼みながら話しかけたところ、ガザ地区には防空壕がいたるところにあり市民は常に危険と隣り合わせに生きている。最新の弾道弾迎撃ミサイルにはいくらかかっていて、こんなにすごいんだ。エジプトの革命の余波など、語る語る。果てなき宗教戦争と憎悪の歴史の中に生きることを運命付けられているというのは、想像を絶するものがありました。彼らユダヤ教徒にせよ、イスラム教徒にせよ、アイデンティティーなんて考えるものではないのですね。産まれたときから身を縛り、運命を左右するもの。

面白いと思うのがアントニオ君の実家はカトリックで、祖母は毎週日曜日には欠かさず教会に行く熱心な信者ですが、彼も兄弟も友人もみないわゆる反有神論者(Antitheist)。幼いころには洗礼を受けているのですが、もうそんな過去はどうでもよいらしい。アントニオ君はこの言葉が好きで、よく胸を張って自分はAntitheistだといいます。ただ、わざわざ自分は「反有神論者」だといわなくてはならない背景には、根強い宗教観が漂います。

彼に限らず、スペインでは若者の宗教離れは進んでいるようです。と思っていたのですが、私がスペインを訪ねたちょうどその時期、マドリードではワールド・ユース・デー(World Youth Day)と呼ばれる青年カトリック信者の年次集会が行われており、世界各国から集まった数十万人の信者に街は埋め尽くされていました。今回マドリードへは行かなかったのですが、あの混雑振りを見ると正解だったと思います。ローマ教皇ベネディクト16世も参加し、式典の様子はテレビでも流されていました。
カトリックは罪を司祭に「告白」することで許される、というのがよく知られた信仰儀礼ですが、なんと、街のいたるところに簡易告白所が設けられ、道行く人はあちこちで懺悔をしていました。こんな感じです↓
http://www.guardian.co.uk/world/2011/aug/16/vatican-world-youth-women-abortions?INTCMP=SRCH

私は宗教に関する質問が非常に苦手なのですが、海外に住んでいると避けて通れない。日本人は何教か?とよく聞かれるので、そういうときは
「日本では山やら川、田んぼや狐にも神様はいることになっているよ。多神教の神道ってやつね。あんまり信じている人はいないと思うけど。『七五三』っていう子供の成長を祝って神社へいく儀式は神道にのっとったものだね。あと結婚するときはカトリック式だかプロテスタント式だかしらないけど、女性はウエディングドレスを着たいから、教会か教会風の建物で挙げて、死ぬときは仏教式で葬式を挙げて戒名をもらうっていうのが、一般的らしいよ。節操ないけど、そういう流れになっているんだよ」
と、人事のようになさけなく答えています。われながら雑な説明だと思いますが、細かく言い出すとぼろが出る、というか勉強不足でよく分からないのです。仏教や神道について知らないことが多く、うまく説明できず反省することばかりです。さらにこれを一神教を信じている人に言っても、たぶんなんのことやらさっぱり分からないのだろうなあと思います。

いまさらですが、海外に住むということは他者と日々出会い、相手との接点(落としどころ)を探り、また他者からの視点を内在化して自分を見つめなおすことの連続です。はっきりいってめんどくさいです。でもいったん外に出た以上、戻れないのですね。そして対話がうまくいかなければ戦争になります。そもそも戦争はあることが前提なのかもしれません。そりゃこれだけ違う考えの人が小さな星に住んで陣取り合戦をやっているんだもの、平和なんか永遠にこないさ。だいたい「平和」って考え方そのものだって、世界で共通した願いじゃないんだろうし。とぶつぶつ言いたくなります。ぶつぶつ。ぶつぶつ。