サンフランシスコ2日目後編は後ほど書くとして、今日は「英語」について。さすがに一年以上滞在すると我ながら上達したなあと思うと同時に、ああまだまだこれではアカンわと落ち込むことも。ただこのまま継続していけば、30歳を過ぎてから渡米した割には、そこそこのところまではいけるのでは、という自信が持てる流れに乗ってきていることは事実。
英語の国にいるのに、話せるようになるだけの為に語学学校に大枚をはたくのはおかしいという持論のもと、ひたすらタダで話せるようになる道を模索した結果、やはりネイティブの友人を作るのが一番ですね。話す環境を意図的に作る。カフェでくっちゃべってもいいし、家に呼んでパーティーを開いてもいい。「米買いたいんだけどさあ、重いのよね。あと足がないから車に乗せて送ってくれない?」とスーパーまで送り迎えをしてもらったり、正式にランゲージパートナーになりましょうと、日本語を教えるかわりに英語も教えてもらう。 日常会話に支障がなくなってきたら、仕事を始める。お金をいただく自信がなければボランティアから。そのまま人脈も作って、徐々に現金収入への道へ。
こんな2008年でした。そして時折お仕事をいただく、フィラデルフィアで唯一の邦人向けの旅行代理店の忘年会に参加したときのこと。脱サラで渡米し、はやウン十年。アメリカ人の奥様と2人の子供をもうけ、この事業を軌道に乗せたO社長の英語力に逆の意味でビックリしました。カラオケ付きの日本食レストランでウェイターに向かい
「Any sushi? Make mix Roll sushi and Nigiri. About $50. No Sashimi!」
(寿司ある?巻寿司とにぎり寿司の組み合わせで50ドルくらいでなんとかして。刺身はいらないよ)
ものすごい日本語英語の発音で、単語を羅列しただけのオーダー。はい、しっかり通じていました。この勢いでこの人ずっと生きてきたんだなあといたく感心してしまいました。ただ彼はどんなアクセントの英語でもきちんと聞き取れている。聞き取れることが最重要。あとは強い意志があれば、多少文法的にいかがなものでも会話は成立するという生き証人でした。
もう一例。仲良しのKさんはアメリカ人の友人らからも
「彼女は本当に日本人なのか?」
と聞かれるほど素晴らしい英語力。それもアメリカ人しか使わないスラングやら表現をいり混ぜて話すので、私でも聞いていてさっぱり分からないときも。まあ彼女は留学経験もあり、外資系の会社での長い勤務をへて、こちらの大学院を卒業し、さらに就職までした経歴の持ち主なので追いつける訳がないのですが、それでもそのナチュラルさは尋常じゃない。
で、今更ですが聞いてみました。
「どうやってそんなに上手くなったの?」
サラサラロングヘアの頭を傾けて、「うーん」と。
「音楽を聞くとかかな。耳から入ってくるのよね。わたし、聞こえてきたままにそのまま話せるのよ」
そんな容易く言うけどとタジタジ。彼女はR&Bからヒップホップまで相当の音楽通だし、小さい頃からクワイヤー(聖歌隊)で歌っていたから環境的にも、体で覚えるように語学を身につけてきたのでしょう。そしてさらに
「ほら、リズムがないと言葉じゃないから。英語は英語の、イタリア語はイタリア語のリズムがあるでしょう。日本語は平たんだけどさ。そのリズムが英語は大切よ」
「リズムがないと言葉じゃない」。それはまるでデューク・エリントンの『スイングがなければ意味はない(It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing)』と同じくらいカッコいい言葉でした。
追記:NYで発行されている日本語の新聞『週刊NY生活』・新年号に3面に渡り私の記事が掲載されました。明治時代にフィラデルフィアに滞在した日本人偉人伝です。津田梅子、新渡戸稲造、野口英世ら錚々たる人物がこの地で才能を開花させたのですね。
「フィラデルフィア日米協会」のホームページでも取り上げていただいたので、お時間があるときにでもご覧ください。こちらのアドレスから飛び、津田梅子の新聞記事をクリックすると記事の全文がお読みいただけるかと思います。5〜7面に掲載されています。
http://jasgp.org/content/view/706/179/
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