2011年5月22日日曜日

キッチン事件簿1

我が家のキッチンでは常に事件が起きている。違う国から来た人同士が、同じ屋根の下に住んでいるのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが、それを通り越して何やら、この場所は事件を引き起こそうと企む「気」のようなものがとぐろを巻いているように思えてならない。そしてその渦の中心には大抵、あのスペイン人がいる。

アントニオ君がオムレツを作る時だけに利用し、大切に隠しておいた、超硬質セラミックコーティングフライパンを、何者かが勝手に使用、底にフォークで深い引っ掻き傷を残して放置した。怒る狂うアントニオ氏。料理のことを全く分かっていないアホがこういうことをするんだ。あるいは誰かが悪意を持って、僕がかくしておいたフライパンを引っ張り出してわざと傷つけたにちがいない。1回こうなると使い物にならないんだ!

英語とスペイン語で罵ること数10分。いやもっとだろう。私が帰宅する前から怒っていたのだから。最終的に、ルームメートに一斉メールをして犯人を探すと吠えたが、まあまあとなだめる私。

人それぞれ価値観は違うんだからさ、みんながみんなフライパンの価値を分かるとは限らないよ。だいたい君がキッチンの片隅に自分のスペースを作り、そこにフライパンを隠していたということを知る人自体少ないんじゃないかい。こんな小さな家で犯人探しをしても仕方がないから、メールを送るにしても文体に気をつけて、君がどんなにそれを大切にしていたかを書き、同情を集める方が賢明だとおもうよ。

数日後、アントニオ氏は私の忠告をふまえ、内側に怒りをはらみながらも、比較的落ち着いた文体で事件について一斉メール。「別に犯人探しをしたいわけじゃないんだ。ただ、どうか君が無神経にしたことが他の誰かを傷つけるということを分かって欲しい」

いい文章だ。しかしルームメートらからの反応はない。そんなデリケートな文面では伝わらないのか。今度は私が怒りに駆られる番。無視ってことはないだろう。コラア!!激情的なスペイン人が、今日もまたうるさいことを言っているぜくらいにしか感じていないのなら、思い知るがよい。ひたひたと打ち寄せる夜の波のような罪悪感を覚えさせてやろうじゃないか。

「おお、アントニオ。なんて悲しいニュースなんでしょう。あなたにとってそのフライパンが宝物だったのを知っています。あなたがその光り輝くフライパンで料理をしている時、実に幸せな表情をしていました。でももう二度と、その笑顔を見ることはできないのね」

映画やドラマの回想シーンなら、我がアントニオ氏がフライパンを片手に「アハハハハ」と笑いながら、キッチンをダンスしている風景だ。画面はソフトフォーカス、音声はエコーがかかっている。自分の安っぽい妄想のワナにかかりもう少しで泣きそうになりながら、一斉メール返信。さすがにこれはこたえたと見え、一番アントニオと仲のよいカナダ人のバリー君(大学職員、元国連勤務)がキッチンまできて
「ごめん、僕がフライパンを使ったわけじゃないけど、そんな大切なものとは知らなかったよ」
となぐさめてくれ、大家のヴァネッサも
「それは高級なフライパンね。今後は一目のつかないところにきちんと保管して置かないとダメよ」
と急いでメールを返してきた。

しかし、結局犯人は名乗り出ず。執念深いアントニオ氏は、その当時キッチンラックに残っていた食器から推察し、きっとヤツに違いと私に何度も密告しにきたが、明確な証拠と自白がない以上、犯人扱いはできないと却下。おかしな噂を流さないように監視しながら、秩序の安定を図った。

そして昨日、例のフライパンがまた使われ、ぞんざいにラックに置かれていた。アントニオ氏の頭からゆらゆらと陽炎が上がるのが見える。またヤツに違いない。そんなに気になるなら、ナイスリーに聞いてみたらいいじゃない。最近このフライパン使った?ってさ。フライパンを片手に彼の部屋ににじり寄るアントニオ氏。結局不在で、目的は果たせず、戻ってきた。

で、今回フライパンを使ったのは前出のカナダ人、バリー君であることが後に判明。アントニオ氏以外にあっさりとしとした表情で
「バリーはいいんだよ使っても。彼は使い方を分かっていて傷つけたりしないからさ」

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