2014年11月1日土曜日

悪魔、ハロウィーン、マラソン、犬

昔愛した人に年月を経て会うと、大抵の場合、相手が私より老け込んでいたり、あまり幸せそうではないことが多い。

不謹慎を承知でガッツポーズ。

「あなたのパワーは全て私が吸い取ってレベルクリアして、より高いレベルの男へ移ったのよ」と高らかに笑う。

例え相手から去られたり、お互い泣く泣く別れた人に対しても、そう思える図々しさよ…。

いやむしろ、そういう相手だからこそ、烈火のごとき復讐心に燃えるのかもしれない。

己の心根の悪さに嫌悪感を抱く。「それでも相手が元気でいてくれたら、それはそれで嬉しいものだ」と、言い聞かせてみるも、今更遅い、取り繕い。

許されざる悪魔的な部分を、心の中の小さな檻に飼っており、それが時折、鎌首をもたげるのを感じながら、こいつと付き合って生きていくのしかないのだと思う。それが己を蝕むガンのようなものであり、同時に原動力だということも承知の上で。

世の中、ハロウィーンのどんちゃん騒ぎ。ヒヨコの着ぐるみが、アタッシュケースを持ってウォールストリートを闊歩し、頭の両側からナイフが飛び出した(ジャミロクワイに見えなくもない)若者がカフェでコーヒーをすすっていた。

そして日曜日はニューヨーク・シティ・マラソン。

私は午後11時近くまで残業。からの、落ち込んだ後輩を飲みに誘って、アイリッシュパブでおごり、まあ最終的には自分で解決していくのだろうと楽観視することに。からの、終電に飛び乗り、小雨が降る中、足早に帰宅してキムチチャーハンをビールで流し込む。週末も仕事、仕事、仕事。また楽しからずや。

そういえば、初めてューヨーク・シティ・マラソンを知ったのは、村上龍の同名の小説を含む短編集だった。思春期の当時、その強烈さが胸に焼き付いたような気もするが、内容はうろ覚え。もう何年、彼の本を読んでいないことだろう。そしてニューヨークに来て5年くらいになるが、一度もこの目でランナーを見た事がない。

今読んでいるのはワシントンD.C.を舞台にした、推理小説で知られる作家、ジョージ・P・ペレケーノスの『ドラマ・シティ』。この人の本はいい。街の息づかい、空間のひずみ、都市の抱える腐敗臭が、おかしなツイストをかけず、ストレートに伝わってくるようで。翻訳者がいいのかもしれないが。

濡れた犬の鼻に触れたくなった。元気かな吾郎。

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