昨日は終日、フィラデルフィア日米協会主催の「フィラデルフィアージャパン健康科学ダイアローグ」のボランティアとして働きました。米国の製薬会社がメインのスポンサーとなった学会で、テーマは『ワクチンー新たなる進路』。「ワクチン」は英語で言うと「Vaccine」。発音は「ヴァクシーン」(爆進??)となるので、最初に聞いた時はかなり驚きました。それも「ヴァ」にかなりのアクセントを置くので。
午前7時に会場集合。学会の受付・案内。質疑応答タイムにはマイクを持って走り回り、さっぱり分からないまま「ヴァクシーン」について耳を傾ける。日本からもゲストスピーカーが3人。パネル発表の方等も入れると20人くらいいらっしゃいました。大学の研究室や製薬会社、厚生省、インディペンデントの研究者から、ジャーナリストまで。
全てお開きになったあと、参加者やスタッフらで打ち上げパーティーへ。そこに後から登場したのがアレックス。彼は感染症や癌に効果のあるワクチンを開発するバイオ会社の創設者兼CEO。ルチアーノ・パヴァロッティを思わせる風貌と恰幅の良さ。ヨーロッパ系の訛のある英語でユーモアたっぷりに話す彼は、学会中から異彩を放っており、他の研究者が一目を置いているのも伝わってきます。門外漢の私にとって学会は時として意識が飛びそうなほど退屈な時間でしたが、彼の発表の時だけ(内容が分からないにも関わらず)まるでコメディーを見ているような面白さでした。どうやったら人の興味を引き付けられるか、よく分かっているのですね。
パーティーで話すうちに意気投合。見ているだけで吹き出してしまいそうなウインク猛攻撃にあい、そして
「まだ君と話したい。家まで送るからどこかのバーへ行こう。それが無理なら明日の昼にニューヨークで会議があるのだが、その時間を遅らせるから一緒に朝ご飯でも食べたい」と誘われ、一晩明けると面倒なのでそのまま我が家の正面のバーで、なんとも健全なことに2人ともホットティーを飲みながら語り合いました。
そして、ひょうきんな表情に隠された彼の人生は凄まじいものがありました。ソ連出身のユダヤ人。15歳から分子科学に興味を持ち研究室で働く。大学も卒業。だが彼は当時のソ連を覆っていたコミュニズムを心から憎んでおり、とうとうソ連崩壊のその年に24歳でパリへ逃げ出す。しかし生きていくあてはなにもなくホームレスに。冷たいベンチで夜を過ごす日々。
「そこで『ピーン』と来たんだよ。俺は高い教育を受けてここまで生きてきたが、今の俺はそこにいる他のホームレスと何も変わらじゃないか!」
その後ユダヤ人のとある組織に拾われイスラエルへ。
「そこで温かいシャワーを浴びて、きれいなシーツの敷かれたベッドに寝たときが、人生で一番幸せだったんだよ。そのあと俺は会社を作り成功していくけれど、あのときの幸せは今よりもずっとずっと大きかったんだ。もうホームレスに戻らなくって良いんだってね。幸せなんてお金を設けることじゃないんだよ。俺にとって、本当の幸せを感じられたのはその一瞬だけだった。温かいシャワーと、きれいなシーツのベッド」
そしてその後アメリカに渡り、ハーバード大学で学び、ボストンでバイオベンチャーを起業。デンマークの大学のライフサイエンス学の教授でもあり、ビジネス本を執筆する作家でもある。今の国籍はアメリカ人。
彼の人生から始まった会話はその後多方面に広がり、お互いの家族の話、ジャン・ジャック・ルソーからミース・ファンデルローエ。ウィリアム・ペンからユダヤ教、日米の文化や国民性の比較、アメリカと「自由」について、大統領選、そして昨今の不況、と気がついたら午前1時になってしまい、そこで終了することにしました。「明日車でニューヨークシティへ行くけど、一緒に行くかい」と誘われましたが、さすがにそれはお断りして、また連絡を取り合いましょうと約束。君に会えて良かったと非常に紳士的に握手をして帰っていきました。
もう少し彼がハンサムでお互い独身だったら恋にでも落ちたのでしょうが、でも逆にそうじゃなかったから面白い会話ができた。フィラデルフィアの小さなバーで、ティーバッグを放り込んだだけのホットティーを啜った夜は、たぶん一生忘れないでしょう。
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