2008年10月4日土曜日

アルゲリッチとデュトワ、フィラ管に降臨


瞳が濡れっぱなしだった。歯を食いしばって溢れるのをこらえると、後から後から湧いてくる涙のおかげで眼球が溺れているような感覚に捕われる。そのまま堤防が決壊してドボンと球ごと膝の上にこぼれ落ちるのではないかという恐怖にひたすら耐えた。

それはすっかり白髪になってしまったアルゲリッチが、心持ち足を引きずりながら舞台に現れた瞬間から。ピアノに片手を置き深々と腰から曲げてお辞儀をした彼女。正面を向いた顔は目もくらむばかりに神々しく、幼いころCDのジャケットで見つめ続けたあの美しさ以上。もう何十年もやっているであろうままにふわりと座り、肩の後ろに髪をはねのけ、デュトワを一瞥し、そしてもう弾き始めていた。弾いているというよりは鍵盤の上で呼吸をし生きている。

曲目はプロコフィエフのピアノコンチェルト1番と、ショスタコービッチのピアノコンチェルト1番の2曲。多分どちらも意識して聞くのは初めて。

オケのみのパートではメロディーに体を揺らし、髪を何回もはねのけ、誰を見るというのでもない眼差しを客席に投げ、そしてまるでティーカップに手をのばすかのような自然さで鍵盤に戻る。

音楽として聞くのでなく、彼女の体の一部に取り込まれるような抗し難い快楽に堕ちた。批評などという虚構の客観性の許されない魔力。美しい魔女がかけた罠になすすべもなく嵌っていく。

気がつくと立ち上がって他の観衆と共に割れんばかりの拍手を送っていた。ブラボーの嵐。席を立ち前ににじり寄っていく人々。アルゲリッチを抱き寄せ額に頬に、そして見つめて唇にまでキスを降らせるデュトワ。この元夫婦の偉大なピアニストとマエストロの間には、常人には想像もつかない揺るぎない愛情があるのだろう。その姿にまた瞳が潤む。

アルゲリッチが下がり、気を取り直してムソルグスキーの「展覧会の絵」(ラヴェルによる管弦楽への編曲)を聞く。はずだったが子供の頃親に何度もリクエストしてLP版で聞いた記憶が蘇り、再び興奮状態に。全てメロディーを口ずさめるほど好きだった一曲。バイオリンが、チェロが、ホルンが、ティンパニがこう演奏していたのか、ここで楽譜を捲っていたのかと、楽士たちの一挙手一投足に釘付けになる。デュトワも元妻が去った後の方がのびのびとタクトを振っているようだ。脳に刷り込まれた風景とは違うが、また別の会場で別の画家の絵を見せてもらった。
よかった。よかったなあと思ってまた立ち上がって拍手を送っていたらとうとう大粒の涙が落ちてしまった。眼球はなんとかこらえたが。

秋も深まりオーケストラのシーズンが始まった。フィラデルフィアに引越してきて一番良かったと思うのはこういった名演が目と鼻の先の劇場で格安で見られる事。幸せだ。

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