2008年11月29日土曜日

フィラデルフィアから見たサブプライム問題

   2008年10月16日発行 第0517号 論説
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■■■    日本国の研究           
■■■    不安との訣別/再生のカルテ
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 今週のメールマガジンは元猪瀬直樹事務所スタッフであり、渡米1年を迎えた甲斐田雅子氏のレポートをお送りします。

 日本では、サブプライム問題に端を発した金融危機が、あたかもアメリカ全土を覆い尽くしているかのように報道されています。しかし本当にそうなのでしょうか?
 
 甲斐田氏のレポートには、画一的なイメージとは異なるアメリカの姿が描かれていました。

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「フィラデルフィアから見たサブプライム問題」
                       甲斐田雅子

 アメリカ東海岸の街、ペンシルベニア州フィラデルフィアに越してきてちょうど1年になる。国民が民主党のバラク・オバマと共和党のジョン・マケイン両候補の熾烈な大統領選に目を奪われている間に、サブプライムローン問題に端を発したアメリカの金融危機はじわじわとこの国を蝕んでいた。
 
 リーマン・ブラザーズの経営破綻を皮切りに雪崩を打って崩れ落ちたこの国の経済が、株価大暴落を始めどれほどまでに日本および国際社会に影響を与えたのかは、日々の報道でご存知の事だろう。
 
 そしてここフィラデルフィアに焦点を絞ってサブプライムローン問題を見た時に、なかなか興味深い事実が浮かび上がってきた。アメリカという一言でくくるには大きすぎる国の、ある姿をお伝えできればと思う。

■空き家が見当たらない!

 サブプライムローン問題の象徴としてテレビでよく流れる、買い手のつかない庭付き一戸建てがずらりと立ち並ぶという風景がここには見当たらない。

 私が住んでいるのはセンターシティと呼ばれるフィラデルフィアのダウンタウン。治安が悪いと聞いていたのでなるべく安全な場所に居を構えようと探し当てたのは築30年、37階建てのアパートメントビルディング。約80平方メートルの1ベッドルーム(ベッドルーム、リビング、キッチン、バスルーム)で家賃は1500ドル。東京に住む人の感覚からすれば安いのだろうが、アメリカ人の友人たちからは「なんであんなに家賃の高いところに住んでいるの。引越しなさいよ」と呆れられている。実際住んでみると恐れていたほどの治安の悪さで
はない。

 このビルディング、私は不動産屋が賃貸用に所有している部屋を借りているが、多くの居住者はコンドと呼ばれる日本で言うところの分譲マンションを購入している。富裕層のアメリカ人は子育てが終わり引退すると持ち家を手放し、こういったコンドに引越してくる傾向がある。雪かきやゴミ捨てといった面倒な作業から解放され、病院やスーパーマーケットに歩いて行ける距離の都心のコンド。ドアマンが24時間警備。建物内にスポーツジムもあり、大きなテラスで日光浴をすることもできる。老後の生活にはこれ以上とない素晴らしい環境
だ。実際、昨年居住者を対象に開かれたクリスマスパーティーに顔を出したとき、数十人いた参加者のほとんどが高齢者で驚いた。仕事を聞くと「リタイヤしているよ。昔は会社をやっていてね」とか「彼はペンシルベニア大学の経済学の教授だよ」と言うような返事ばかり。

 街を歩くと「APARTMENT FOR RENT」の看板が建物の外壁に吊るしてあるのをいたる所で目にする。コンドやタウンハウスを販売していますという「FOR SALE」の看板も。しかし決してその数が著しく増えたというわけではない。こういった光景は私が引越してきた頃からずっと変わらずである。

 新規のコンド建設も進んでいる。象徴的なものとして、ウィリアム・ペンの銅像が頂に立つ市庁舎のすぐ横で建設中の富裕層を対象にした44階建てのラグジュアリーなコンド「ザ・リッツカールトン」を挙げてみよう。24時間待機のドアマン、コンシェルジュ、ラウンジ、フィットネスクラブ、スパ、ベビーシッター、ハウスキーピングなど一流ホテル並みのサービスを提供。販売予定価格は45万ドルから。最上階の929平方メートルのペントハウスは1200万ドル。

■ ニューヨークからフィラデルフィアへ

 こういったコンドの建設ラッシュを支援したのが「10 YEAR TAX ABATEMENT」という減税プランである。以下はコンプライアンスにより社名を公開できないが、某大手銀行のシニア・クレジット・アナリストのデイビットの話によると、約10年前のフィラデルフィアの街は、現在と全く別の様相を呈していたそうだ。街の中心部での犯罪率も高く、住民の市街への流出が深刻化していた。
そこで市が取った対策が上記の10年間の固定資産税免除プランである。1997年にスタートしたこのプランは当初、他の業態からの居住用建物への変換をした物件を対象としていた。その後2000年に新築物件も対象となり、その甲斐あってフィラデルフィアに人々が戻ってきた。センターシティの人口は2000年の7万8000人から2005年には8万8000人へと増加。

 さらにフィラデルフィアの立地の良さもその要因に挙げられる。ニューヨークからアムトラックで1時間半。完全に通勤の射程圏内に入るこの街に、住宅バブルに沸き住宅価格が高騰するニューヨークを離れ、多くのビジネスパーソンが引越してきた。特にブルックリンやクイーンズ地域からの転居者が多く、今年2月12日付けの「週刊ニューヨーク・オブザーバー紙」のウェブサイト記事によると、2001年以来8334人のニューヨーカーがフィラデルフィアに越してきたとのこと。

 住宅バブルがピークを超えじわりと価格が下がってきた2007年末でも(家の形態が多少異なるので単純比較はできないが)フィラデルフィアの平均住宅価格は13万7500ドル。対するニューヨークはマンハッタンが85万ドル、クイーンズは46万ドル、ブルックリンは45万ドル、コンドの平均価格が66万5000ドルとその差は明らかだ。手に職を持った美容師など、ニューヨークでの仕事を辞めフィラデルフィアに引越してきてこの地で再就職する人も出てきた。

 この現象は街の中心部だけではない。フィラデルフィア美術館の周辺や、街の東を流れるデラウェア川に沿ってコンドの新設も進んだ。さらに川を北上したノーザン・リバティーエリアはかつて荒れた地域であったが今は整備され、古い町並みの美しいダウンタウンとは対照的に、日本でいうと品川あたりのウォーターフロントの風景に似ている。

■高騰も下落も見せない住宅価格

 そもそもサブプライム問題とは、優良顧客(プライム)向けではない、ローンの延滞履歴があるといった信用力の低い低所得者(サブ層)を対象にした住宅ローンからスタートした。最初の10年間などの指定期間は金利のみを支払うタイプの「インタレスト・オンリー・モーゲージ」や、当初の返済額が本来の利息部分よりも小さく、その差額が元本に加算されていく「ネガティブ・アモチゼーション・ローン」(返済額を上げない限り、年々元本が膨らんでいく)など巧妙に作られたローンの仕組みに引っかかってしまった購入者が、返済で
きなくなり不良債権化する。そしてローンを販売した銀行がまとめて証券会社に売却したものを、さらに証券化して投資家に販売していたので、住宅バブルがはじけた後、住宅の担保価値が低下したため現在のような金融危機にまで発展したのである。

 サブプライム問題には地域差と人種の差が大きい。影響が大きかったのはカリフォルニア、フロリダ、テキサス。2002年のCNNの調査によるとローン対象者となった低所得者層のうち黒人が白人の2.4倍、ヒスパニック系が1.4倍。メキシコに国境を接している、あるいはカリブ海をからの移民の多いこういった地域が大打撃を被った。

 全国的に住宅バブルが加速する中でもフィラデルフィアそしてペンシルベニア州の住宅価格はさほど高騰していない。1975年を100としたときの2006年の住宅指標はカリフォルニア州が1380と、ニューヨーク州が820と激しい上昇を示している中、ペンシルベニア州は556と2002年のニューヨーク州の価格をようやく追い越した程度である。前述のデイビットが、フィラデルフィアの経済はニューヨークの6か月遅れと言っていたがまさにその通り。さらに興味深いのがバブルがはじけたあとも価格が著しくは下がっていないということだ。フィラデルフィア連邦準備銀行が8月27日に発表した2008年第2四半期の住宅価格指標でも、第1四半期と比較して0.4パーセント下げているものの、前年度の同時期と比べると1.4パーセントで若干の上昇。全国平均がマイナス1.7パーセントと下落しているなか上昇とは驚きだ。
 
 だからアメリカは大きい、大きすぎる国であり、日本のニュース報道は一面的で、一色に染まりすぎていると思う。

■ 不況の余波

 ただ、不況の気配はじわじわと市民の生活に感じられるようになってきた。老後の年金資金を株や401Kで運用していた人々からは悲鳴が聞こえる。個人消費が落ち込み次々と店舗をたたむカーディーラーのニュース。デラウェア川沿いのコンドも今後は売れなくなるだろうという悲観的な予測が流れている。ウェルズ・ファーゴが買収するという話で決着がつきそうなワコビアは、ここ一帯で最大手の銀行だ。地元プロバスケットボールチームの「フィラデルフィア・セブンティシクサーズ」と、プロアイスホッケーチームの「フィラデルフィア・
フライヤーズ」の本拠地として知られる屋内競技場「ワコビア・センター」の名前もそろそろ変わるに違いない。

 アメリカはこれからハロウィン、サンクスギビングデーを経てクリスマスシーズンに突入する。1年で一番財布のひもが緩むと言われるこの時期だが、消費者心理も冷え込んできており今年はあまり期待できない。小売店の倒産、失業者の増加など本格的な不況の嵐が吹き荒れるのは年が明けてからになるだろう。

 今後ともフィラデルフィアから定点観測を続けリポートをお送りしていきたい。


☆上記の記事は作家の猪瀬直樹が毎週発行しているメールマガジンから、2008年10月16日号として配信されたものの転載です。彼のメールマガジンの配信を希望されるかたはこちらから。
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