2008年11月3日月曜日

舞踏でハロウィンパーティの巻






















人生初のハロウィンパーティへ行ってまいりました。もうあまり宗教的な意味合いはなく、単に仮装して騒ぎましょうというお祭りになっているハロウィン。以前にも紹介した「舞踏ショー」で受付のボランティアをすることになったので、無料で潜入。仮装してくるように言われていたのですが、街で売られている衣装があまりに安っぽく異常に露出度が高いので、自前のヒョウ柄のドレスに猫の耳だけをつけて行く事に。一緒に受付をしたSは黒子の衣装なのに、しっかりとメイクをしていて元々の作りがいいので恐ろしいくらいにきれいでした。そして友人のCは事前予告通りブドウの房を表現したコスチュームを、風船を膨らませて自分で作って着てきました。

会場となったのはあまり治安の良くないノースフィラデルフィアの小さな劇場。今時下北沢でもこんなボロい劇場はないだろうというくらい汚い、廃墟のような場所でした。崩れた壁からは鉄骨や配線、そしてアスベストでしょうという様なものまで表出しており、階段の手すりは壊れ、木製の床はギシギシ言い、ハロウィンにはぴったりの不気味さ(笑)。

50人くらいの観客は各々工夫をこらしたコスチュームを身にまとっていましたが、さすがハロウィンの日にわざわざ「舞踏」を見に来るインテリ(?)さんたち。いわゆるワンダーウーマンや白雪姫、今年はやりというサラ・ペイリンといった衣装の人は1人もいませんでした。

受付を済ませてから忍び足で参加した「舞踏」ショー。局部を隠した以外は男女ともに全裸に白塗りの、どこか懐かしい風景。しかし最後に登場した振付家の桂勘(かつらかん)氏以外はみな地元のダンスシアターのダンサーたちで、その形の良い胸やしまった肉体美に目が釘付けになってしまいました。「水俣病」をテーマにしたショーは、公害により汚染された水から発病した魚、それを食べた猫、鶏、カエル、人へと「狂い踊り」が転移して行く様が表現されていきます。

裸なのに皮膚を覆い尽くした白い塗料によって、呼吸が苦しくなるような感覚が与えられます。淡い光で際立つのは瞳と口内の濡れた暗闇。泥臭さと重苦しさ。粘液質的な気持ち悪さ、それにアメリカらしくカラッとしたユーモアも交えて、海外でのワークショップを重ねて「舞踏」の新境地を探る桂氏の創作意欲がよく伝わってきました。

表現者というのは評価がどうだからとか、社会的な価値があるからという外的要因ではなく、取り憑かれるようにその世界に身をねじ込んで行く。その先の光を求めて行く。そういう風にしか生きられない人々なのではないかしら、とふと思いました。私にとって「舞踏」とは、なかなか感性をぴたっと合わせて愛せる表現形態ではないのですが、ただその異質さをそのままに見つめるというのも、ひと時であれば許容可能なのだと気がつきました。

ショーの後、桂勘氏と話すチャンスがありなかなか興味深かったです。私が知りたかったのははじめに「型」ありきなのか、それとも感情の表出としての舞踏で、ある程度は即興性に任せられているのかということだったのですが、その質問を当を得ていたようで喜んでもらえました。彼に寄ると「舞踏」もその二つに大きく分かれていったそうです。創始者の土方巽はあくまで「型」を重視し、型を極めれば自ずとそこに魂が宿ると考え、そうではなく感情の表出を重んじた人々は大野一雄らを中心に違う道を歩んでいったとのこと。

また自ら舞うことを好む人と、演出家・振付師として空間を作り上げる方を好む人に分かれ、桂勘氏はどちらかという振付師としての自分の立場を重視していて、このように世界各国を回ってワークショップによって出会うダンサーたちの、身体的なポテンシャルにインスピレーションを得ているそうです。今回のショーも振付け指導をしたのはたったの4日間。それであれだけの世界観が表現できるなら大したものだと思いました。

京都出身。舞踏グループの白虎社のメンバーから独立し、タイやインドネシアで長年指導をしたあと、こうして世界を回って表現の可能性を求めて旅をしている。
「表現し続けることは大変ですよね」
と聞いたところにっこりと笑って
「いろんな出会いがあるから楽しいですよ。本当はね、今回なんかも暗く重くしないように笑いの部分も随分取り入れたんですが、フィラデルフィアの観客のみなさんはインテリが多いですね。あまり笑わない。アメリカでも州によって反応が違うんですよ」

最近はサミュエル・ベケットに影響を受けた作品を手がけているとのこと。ううん、見たいような見たくないような(笑)。観客が精神的に疲れる内容になっているに違いない。

そしてそのあとは一気にパーティーモードに突入し、安いビールを片手にギシギシ言う床を踏みしめて夜中まで踊ったのでした。

0 件のコメント: