2008年11月8日土曜日

空港にて

フィラデルフィアではいま、ASN(The American Society of Nephrology :米国腎臓学会)という大きな学会が開催されています。世界各国から集まった関係者が首から学会のネームタグを下げ、同じ学会マークの入ったショルダーバッグを持って街を歩いているのをよく目にします。もともとアカデミックな街ですが、さらにその雰囲気が高まり人口も一度に増えて、なんだかわくわくしてきます。

日本からも約500名のドクターたちが到着。こういうときに重宝するのが現地在住の日本人。ということで私にもお声がかかり、お小遣い稼ぎに奔走。ここ数日様々なお仕事が入っているのですが、一昨日は日本からお越しになった17名のグループを空港からホテルまでお連れする任務を引き受け、まあ無難にこなしてまいりました。ただ久しぶりに日本語の敬語を使うと舌が回らなくなっているのに気がつきヒヤヒヤ。あと先に英語の単語が出てくるのに日本語でどういうのか分からない場合もあり、このまま行くと日本語も英語もアヤシい人になってしまうと、ちょっと危機感が。

空港でお客様をお待ちしていたときの話。突然、黒人の係員の男性に
「あんた日本語話せるの?」
と話しかけられ、できるよと答えたところ
「あそこを歩いている男性が困っているから助けてあげて!」
と。
「どの人よ?」
「いやもう随分先まで行っちゃったけどあのシルバーの鞄を下げている人さ」
まわりのお客さんもあの人だよと教えてくれ、よく分からないままダッシュ。追いついて
「あの、日本人の方ですか?なにかお困りと聞いたのですが」
と非常に唐突な質問をしてしまいました。結局ご友人のご到着の便を待つのをやめて先にセンターシティまで行こうとしている同学会の関係者の方であることが分かり、電車内での切符の買い方がお分かりにならなかっただけだったので、簡単にご説明して終わり。戻ったところ例の黒人のおじさんに「会えたかい?」と聞かれたので両手で大きく「マル」。「Thank you!」「No problem at all!」

まだ飛行機が到着しないので、ベンチに腰掛けて待つ事に。大きなカートを脚で支えながら、隣に座っていたでっぷりとした白人の初老の男性と世間話。
「誰を待っているの?」
「奥さんだよ。フィリピン人でね、国に帰っちゃって2ケ月も帰ってこなかったんだ。信じられるかい。2ケ月だよ。あんたの旦那が2ケ月も帰ってこなかったらどう思う?」
「いや、別にお金さえ置いていってくれたら気にしないよ。毎日遊んで暮らすわ」
「そんなもんかねえ。これから車でデラウェア州の家まで連れて帰るんだ」
「デラウェア州と言えば、ジョー・バイデンじゃない。オバマ勝ったね」
「ああ、そうだね」

(露骨に嫌な顔をしたので、この人は共和党支持者だろうと踏んでこれ以上深入りしない事に。やはり太った白人男性は共和党支持者が多いのだろうか?)

「あんたは誰を待っているのさ」
「日本から17名。ASNの学会関係者の方が来るから、ホテルまでお連れするのよ」
「そうかい。俺も昔海軍で日本にいたんだよ。三沢基地とか横須賀とか行ったねえ。3年くらいいたよ」
「どのくらい前の話なの?」
「そこで子供が生まれたから約21年前かな。それから日本も変わったんだろうね。あれっきり行っていないよ」

(遠い目をする彼。日本語はほとんど覚えていないとのこと。そして唐突に)

「やっぱりお辞儀(bow)するんだろう。あんたお客さんに会ったら」
そうか。日本人のイメージというのは挨拶時にペコペコお辞儀をするというものなのか。

そしてお客様ご到着。私がお辞儀をしながらご案内しているのを、「ほら」という顔で観察している彼。その彼の元にも同じ便で到着したフィリピン人妻登場。明らかに彼より若かい。再婚かな?むっちりとした、あまり育ちのよくなさそうな不満げな顔の女性でした。

空港からホテルまでバスで送迎したドライバーはカンボジア人の男性。初めて一緒に仕事をしたのですが、彼のカンボジア訛の英語が非常に聞き取りづらく、28年もアメリカにいるというのにこんなにも抜けないものかしらと驚きました。非常に親切で協力的なドライバーだったので仕事はスムーズに終了。

そしてそのあとボスから聞きました。彼はカンボジアでは兵士で何人も人を殺してきたのだと。それが嫌でアメリカに逃げてきた。
「彼は優秀でね。うちのワン オブ ザ ベスト ドライバーの1人だよ。ハハハ…。でも心の中にはそういう闇があるんだよ」

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