2009年9月21日月曜日
フジコ・ヘミングというアイドル
恐ろしく冷房の効いたホールで、鏡獅子を彷彿とさせる、モシャモシャ頭に奇抜な色彩とデザインの服を纏った老女が、風邪気味で薬を大量に摂取していると言い訳をしながら、鼻をかみかみ(さらに鼻紙をステージに落とし、蹴飛ばして隠そうと試みていた)披露する、非常に不安定でミスタッチの多い、独特のこぶしを効かせたショパンやリストを鑑賞した。観客9割が日本人で、その演奏の善し悪しとは何ら関係なく、そこに彼女がいるということに深い感動を覚えているようだった。
というのが、正直な感想だった。先週金曜日の18日夜、リンカーンセンターのアリス・タリー・ホールで開催された、フジコ・へミングのピアノリサイタル。『ラ・カンパネッラ』が大ヒットし、またその数奇で苦悩に満ちた半生に、多くの人が胸を打たれた。というのは有名すぎる話。でもたぶん日本人の間で有名というだけなのだろう。
「黒山の人だかり」とは、日本人の髪が黒いから使える表現なのだということを、初めて実感した。ホールを埋め尽くしたニューヨーク在住の日本人、数百人。ロビーでも日本語しか聞こえない。
ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』、ベートーベンの『テンペスト』、ショパンの『夜想曲第1番変ロ短調作品9−1』、『黒鍵のエチュード』『別れの曲』、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』、リストの『ため息』など、超がつくほどメジャーな楽曲の数々。身を乗り出して聞けない自分に気がつく。音に乗って、辛さが伝わってきてしまうのだ。体調が優れない中、無理して弾いているんだなあ、と。
そしてお待ちかねの『ラ・カンバネッラ』。ここでフジコは踏ん張った! 全神経を集中させ、床の鼻紙など気にならなくなるほどの、ぐいっと引き付ける芯の通ったパフォーマンスを見せた。満ち潮のように広がるスタンディングオベーション。花束や手紙を持って駆け寄るファン。涙ぐむ人も。
マイクを持って挨拶する彼女。最初は日本語で、次に英語で話し始めたが、途中からドイツ語に変わってしまい、英語はあまり得意ではないとみた。アンコールに『亡き王女のためのパヴァーヌ』ともう一曲弾いて終了。再びスタンディングオベーション。そして楽屋に走るファンたち。CD売場にも列が。
フジコ・ヘミングはピアニストというより、「アイドル」なのだと思えば全てが納得のいくショーであった。風邪を引いていても来てくれた。渾身の力を振り絞り最後まで頑張ってくれた。異国の地で生きる我々NY在住の日本人に、勇気を与えてくれた。有難うフジコ。あなたがそこにいるというだけで、私は幸せです。
ただそれは多くのアイドルと同じく、あまりにもひいき目に見ないといけない演奏内容であったことは否定できない。世界のクラシックファンを魅了する、綺羅星のごとく輝く名ピアニストたちと、比較する対象ではないということが、私は残念だった。通の方々はとうに知っていたことなのだろうが。
帰りの地下鉄の駅で、楽しげにサックスを吹いていたお兄さんの方がずっとよかった。ゴウッという電車が到着する音にかき消されてしまっていたが。
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