2009年9月14日月曜日

コインランドリーにて



小さい方が1.5ドルなのは分かった。大きい方は値段が書いていない。果たしてどちらを使うべきか。

2週間分の洗濯物とバスタオル類を抱えて途方に暮れる。初めてではないが、いまいち使い方が分からない。そんなことも知らずに、よくまあ一人暮らしを始めたものだと呆れながら、説明書きを数回読んでみる。だいたいのところは理解できたものの自信がない。

日曜日の午後8時過ぎ。コインランドリーはヒスパクニック系の隣人でごったがえしていた。まわりを見て一番優しそうな若者に声をかける。

「使い方がよく分からないの」
「大きい方は3ドル。でもその量なら小さい方でオーケーだよ。ここにコインを入れて、洗剤はこの注ぎ口から2回に分けていれるのさ。クウォーターしか使えないんだ。ああ、ドアはもっとちゃんと閉めないと」

と横に来て丁寧に教えてくれた。

何人分の、そして何日分の洗濯物だろう? 一番大きな4ドルの洗濯機2つと、小さい方1つまでも使って次々と服、タオル、シーツ、そして枕まで放り込んでいく、太り肉の女性を見つめる。ドレッドヘアに安物のピアスとネックレスを着けた、むっちりとした子供たちがまわりを跳ね回ったり、クウォーターを手のひらに隠しておどけたりして、母親をいらつかせている。洗剤の匂いが溢れ、通り一帯を生暖かく浸していく。生活の匂いは落ち着く。生きている人を見るのも、知らない言語と笑い声が満ちた空間に身を置くのもいいものだ。

パイプ椅子に腰を下ろし、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』を開く。既に内部崩壊を起こし、見ないフリを決め込んで現状維持をしていた関係が、停電とろうそくの光によってもたらされた一瞬の偽りの安らぎののち、言葉の棘によって激しく砕け散っていく。「何故」という疑問が浮かぶ余地のない辛さ。それは、そうなるしかなかったから。というのは経験者だから分かる悲しみ。この作者は何を見て生きてきたのだろう。秀逸で緻密な文体と、根底を流れる温かい柔らかさが、染みた。染みて肉体を超えて夜空に広がり、風景までも変えていく。

終わりがくるのは見えていたのに。逆にどうして続けることができてしまうのだろう。人というものは。既得権益にまみれ腐敗した経済はどこかで終焉を迎える。痛みを伴う改革は、本当に痛い。

次の作品が読めなくなり、ひたすら、ぐるぐると回る、洗濯物と乾燥機とシーリングファンを見つめる。ぐるぐる。ぐるぐる。私の人生はどこかで終わる。終わるから、いいのかもしれない。誰も私の事を口にしなくなるというのは、最大の救いなのではないか? 

乾燥機の値段は1クウォーター。出てきた洗濯物はまだ湿っていた。


写真は9/10の夜、退社時に見たワールドトレードセンター跡地にそびえ立つ2本の光の柱。

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