その方とは、実は一度もお会いした事がないのです。昔の職場に、私が退社したあとお勤めになられた編集者の方でした。私が昔のボス宛に、一方的に送っていたアメリカ生活のレポートをずっと読んでおられたそうで、ある日突然メールが送られてきました。
「良い文章を書くから続けて下さい。応援しています」
そして幾つか物書きのお仕事を紹介していただき、まあ実現したものの、そうでないもののありましたが、私の人生を少し方向付けて下さった、大変奇特なお方でした。
ある日、我が家にかなり大きな小包が届きました。そこには彼が選んだ文庫が20冊弱。経済モノ、社会問題、歴史小説、恋愛小説、そしてSM小説まで、なんの脈絡も感じられない不思議なセレクトでした。そしてどの本も、私が書店で手にするタイプのものではありませんでした。
「日本語に飢えていませんか? 気にしないで下さい。仕事がら安く手に入りますから」
すぐに読んだのはアメリカ社会の恥部を描いたノンフィクション。こちらは勉強になりました。へたくそなSM小説は大笑いをしながら読み、日本語を勉強している友人にあげました。
何度かメールを交換し、一度電話でお話しただけで、そのあとその方は消えてしまわれました。日本に一時帰国した時にも、タイミングが合わずお会いできませんでした。退職をされイギリスに行ったらしいというのが、最後の情報です。その後お便りもほとんどありません。
数冊読んだものの、しばらく彼の選書には触れていませんでした。NYへの引越の支度をしながら、ふと目に留まった一冊。橋本紡の『流れ星が消えないうちに』。この作家も作品についても全く無知のまま、たまには淡い恋愛小説もいいかしらと、ソファに持ち込み一気に読み上げました。そう、一気に読める程度の非常に読みやすい、まあありがちな展開の、ソフトタッチのライトノベル。しょうもないほどロマンチックなタイトルそのままに、切なさいっぱいの、甘酸っぱい恋愛ものでした。
で、不覚にも号泣しました。普段でしたら、時間の無駄だと途中で読むのを辞めてしまうような内容だったにもかかわらず。自分で選んで読んだのですから、「つけこまれた」というのはおかしな表現ですが、でも強気を装う痛んだ心に、するりと入られてしまった感がありました。同じ陳腐な表現でも、その読み手側の精神状態で、「くだらない」と一蹴できたり、逆に深く胸に突き刺さったりするものです。ちょっと長いですが、引用させてください。
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たぶん、一度、わたしの心は壊れてしまったのだと思う。
不幸なんて、いくらでもある。珍しくもなんともない。けれど、ありふれているからといって、平気でやりすごせるかといえば、そんなわけはないのだ。じたばたする。泣きもする。喚きもする。それでもいつか、やがて、ゆっくりと、わたしたちは現実を受け入れていく。そしてそこを土台として、次のなにかを探す。探すという行為自体が、希望になる。
とにかく、終わりが来るそのときまで、わたしたちは生きていくしかないのだ。
たとえそれが、同じ場所をぐるぐるまわるだけの行為でしかないとしても、先を恐れて立ち止まっているよりは百倍も……いや一万倍もましだ。
だから、わたしは進もうと思う。
恐れながら、泣きながら、進もうと思う。
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文脈は違えど、これほどまでに、いまの私の心境を上手に描いた文章もないでしょう。この本を下さったあなたですが、読んでいたかどうかは分かりません。遠くからの応援メッセージとして、勝手に、そっと、受け止めました。夜道を優しく照らしてくれる街頭。いえ、顔は見せず光の杖で先を示してくれる仙人なのかもしれません。
導いてくれる人というのは、なかなかいないものです。結局人生なんて、自分で自分の道を作って、歩いて行くしかない。でも夜道の街頭になって下さる方はいる。視点を与えて下さる方は貴重です。その思いに、きちんと応えて生きていくことが、唯一の恩返しですね。
8月30日にNYへ引越をし、一人暮らしがスタート。9月1日から仕事も始まります。
1 件のコメント:
Thank you so much for your message. I am not sure how to deal with this blog from now on. I might just change the name or build up totally new one.
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