ニューヨークの地下鉄はクレイジーだ。
本格的に寒くなる前の集中工事とはいえ、ダイヤだけでなく、その路線を走る電車を突然変えたり、前触れもなく各駅停車から急行にしたり、さらにマンハッタンのど真ん中で終点にしてしまい、車内放送を聞き漏らした客を乗せ、もと来た方向へ戻って行くのには、本当に、本当に、怒りを通り越して卒倒しそうになる。
今夜もいつも利用するR列車はとうに終わっているので、6番列車で51番駅まで行き、長い地下道を歩いて53番駅でクイーンズ方面行きのE列車に乗り、帰宅する予定だった。これまた地獄まで行くのではという、長いエスカレーターを降りて目にしたものは、クイーンズ方面行きのプラットホームに張られたロープ。小さな張り紙によると、工事のためE列車はこの駅には止まらない。クイーンズ方面へ行きたい人は、マンハッタン方向に2駅、ロックフェラーセンターまで戻り、そこで逆方向行きに乗り換えろとのこと。
横を「今から仕事だぜい。ヘイ、元気かい」と、深夜の工事に取りかかる黒人の肉体労働者たちが、口笛を吹き吹きハイファイブをしながら通り過ぎていく。
もう諦めてタクシーに乗ろうかとも思ったが、財布には5ドルしかない。これでは強盗に襲われても、襲った方が哀れというものだ。 同じ罠にかかったと思われる客達が、「shit」とつぶやくのが聞こえる。そりゃ言いたくもなるわ。待つこと10分強。ようやく逆方向の電車が現れた。
さらにようやく、正規の方向のE列車に乗り腰を下ろし、深いため息をついて顔をあげると、正面に座ったインド人の少年がつぶらな瞳で私を見つめていた。そして小さな声で言った。
「Hi」
午前0時半。いったいこんな時間になぜ、こんなに年端もいかない子どもが地下鉄に乗っているのだろう。彼は、半開きの口から見える乱杭歯が汚い、貧しそうな父親と、でっぷりとした肉体を真っ赤なカーディガンで包んだ疲労感の漂う面持ちの母親、そして乳母車でぐずる乳児と一緒だった。母親の同じく真っ赤なマフラーについたボンボンを握りしめ、床につかない足をブラブラさせながら、彼1人キラキラとした瞳で真っすぐ前を見つめていた。それは、家族が背負う重苦しい雰囲気と全く交差しない、夜空に1つだけまたたく星のような美しさだった。仕事中ずっとにらめっこをしていた、子ども服の作り方の本に登場する、媚びた笑みの子どもモデルたちが温室育ちの花だとしたら、彼は月の光をうけて輝く野生の百合のようだった。
お互い目をそらすことができなくなり、時がとまったように見つめ合い、そして彼はもう一回言った。
「Hi」
私も聞こえるか聞こえないかの、小さな声で返した。
「Hi」
きっと私たちは恋に落ちたのだと思う。陳腐で、アホらしい表現かもしれないが、でもそこには確かに言葉にならない胸のうずきが沸き起こり、全身を支配して官能にまで導いたのだ。
列車が最寄り駅に止まり、降りなくてはいけないのが辛かった。もっと見つめていたかった。君を。立ち上がった私を見て、彼は礼儀正しく別れを告げてくれた。
「Bye」
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