2008年9月23日火曜日

新渡戸稲造の足跡を追う





最近フィラデルフィアにゆかりのある日本人たちを取材しています。前回、ブリンマー大学に在籍した津田梅子については触れましたが、なんと新渡戸稲造(1868〜1912)もフィラデルフィアにいたんですよね。あの『武士道』で知られる、樋口一葉の前に5000円札の顔だった新渡戸さんです。

岩手県盛岡市で士族の家に生まれた新渡戸は札幌農学校(現・北海道大学)で学びます。1884年に渡米した彼はジョン・ホプキンス大学に入学し、熱心なクエーカー教徒に改宗します。

さらに彼は同じクエーカー教徒のメアリー・パターソン・エルキントンと国際結婚をしました。その結婚式の会場となったのがここ、フレンズ・ミーティング・ハウス(Arch Street Friends Meeting House)。

当時としてはセンセーショナルな一大事件で、翌日地元の新聞『フィラデルフィア・インクワイアラー』は1面で「東洋人を夫とする:クエーカー教徒のメアリー・パターソン・エルキントンが日本の新渡戸稲造と結婚 〜愛する人のための若き女性の犠牲〜」と見出しをつけて取り上げました。実際メアリーの両親に結婚の了解を取り付けるのは大変だったそうです。

その現場をアポなしに突撃(さらに閉館20分前)したにもかかわらず、2人の職員は実に丁寧に対応してくれました。そして私が日本人だと知ったとたんに

「私、日本語ちょっとできます」

と微笑んだ白髪のNiel氏。戦後3年間、新宿区の戸山ハイツでクエーカーの布教にあたっていたそうです。
「私ともう1人アメリカ人がいて、あと皆日本人だった」
「あなたは牧師ですか?」
「クエーカーには牧師はいないんだ。誰もがその教えを広めることができるのさ」
勉強不足を恥じました。確かに、飾りのない質素な礼拝堂の中で人々が集い、音楽も司会者もいなくひたすら祈ると聞いた事があります。

当時の戸山ハイツは、焼け野原で何もない東京に作られた、陸軍戸山学校跡地の広い土地を利用した集合住宅でした。そんな歴史をここフィラデルフィアでアメリカ人の老人から聞くとは。

「新渡戸稲造ね。一番有名な日本人クエーカーですね」

私以外にも新渡戸稲造の足跡を求めて訪れる人がいるのかもしれません。怪しい日本語で書かれたパンフレットと、フレンズ・ミーティング・ハウス以外の彼ゆかりの場所が載った案内をくれました。またクエーカーに関する本を色々調べてくれ、新渡戸稲造の結婚に触れた箇所を探し出してくれたりと本当に親切。またその章の著者がエリザベス・グレイ・バイニング夫人(現天皇が皇太子時代の家庭教師。クエーカー教徒)だったのも驚きでした。

閉館時間を大幅に過ぎて、老人が眠そうな顔になってきたので今日はここで終了。彼は月曜日だけのボランティアなんだとか。また会いに行き、日本の思い出話を聞きたいものです。

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