2014年5月3日土曜日

ゴーギャンが憑依

昨日、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催されていた、「Gauguin: Metamorphoses」(ゴーギャン: メタモルフォーゼ展)に行ってきました。

メタモルフォーゼとは「変質」「変容」という意味で、ポール・ゴーギャンの作品を、版画や習作、木製やセラミックの彫刻などをメーンに時系列に並べ、彼の作品のテーマや手法を深く探求するという企画でした。
ゴーギャンが受け入れがたい現実と妄想のはてに創り出した、薄暗い迷宮に迷い込んでいくような感覚にとらわれる、なかなか凄みのある展覧会でした。

ゴーギャンは楽園を求めて南太平洋にあるタヒチ島に渡ったものの、フランス領となっていた島には彼が求めていた美しい世界はなく、貧困や病気に悩まされ、絶望と失意の中で作品を作り続けたことはよく知られています。
暗さを湛えた色彩で描く、タヒチの神々や女性たちの絵や、『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』といった大作については、わたしもそこそこの知識はありました。

しかし各作品の裏にうごめく、彼独特の悪魔性、エロティシズム、島の神話とキリスト教的世界感の融合といったテーマに関しては、この展覧会でより深く知ることとなりました。

ときおり描かれるキツネは「猥褻さ」、および「彼自身」のシンボルであるといった情報は、知るのと知らないのでは、作品の「意味」がまったく違ってきます。

最も強烈だったのは、5歳児くらいの高さはあろうというセラミック製の彫像「Oviri」(オヴィリ)。
これはタヒチの言葉で「savage: 野蛮人」を意味し、女神をかたどっていますが、あくまでゴーギャンが妄想の中で作り上げたもの。タヒチの神話には現れません。

血まみれのオオカミの上に立ち、片手に死んだオオカミの子供を持った女神は、相手を射抜くようであり、うつろでもあるような、気色の悪い大きな目を見開いています。
背筋が凍るような恐怖を覚えました。
ゴーギャンはこれを、彼自身とみなしたそうで、客死したマルキーズ諸島の墓の横に、そのブロンズ像が立っています。

彼が暗闇の中を掘りながら進み、最後まで光を見つけて出ることの出来なかった、狂気じみた人生というトンネルを、短時間で追体験したという感じで、どっと疲れが押し寄せてきました。
これはキュレーターの企画力の勝利だと思います。

「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
ゴーギャンの怨念のように、わたし自身もこのテーマを背負って今後も生きていくのだと、再認識した次第です。

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