2008年7月13日日曜日

「GUILD HOUSE」他















4th Street と Spring Garden Street の交差点に大きなアジア系のスーパーマーケットがあり日本食材も豊富だと勧められたので、我が家からは片道3キロ強はあるのだが思い切って歩いて行ってみた。

Spring Garden Streetはダウンタウンの北のはずれ、中央分離帯を挟んで往復3車線はあるフィラデルフィアにしてはかなり広い通り。平日の昼間は人が少なく、閑散としていた。これ以上北へ行くと毎日銃声が響いている危険な地域へ入ってしまう、その境界。

お勧めのスーパーマーケットは残念ながらハズレ。確かになかなか立派な中華系のスーパーで品揃えも良かったが、当たり前だがメイドインチャイナばかり。最近は中国製は怖くて手が出せない。同じアジア系なら韓国系スーパ—へ行く。まだ信用できる気がするし、だいいち店が臭くない。チャイナタウンを含め、中華食材の店はどうしてああも殺人的な生臭さで満ちているのだろう。気持ちが悪くなり、寿司の巻き簾のみを買い表へ出る。

照りつける太陽が道路に反射して目が痛い。4月でこうなのだから夏はどんなに暑いのだろう。
行きと順路を変え、Spring Garden Streetを西に向かう。ホコリっぽくヒッチハイクでもしたくなる風景。喉が渇く。

先に顔を見せたのはエドガー・アラン・ポーの家。「地球の歩き方」に一行で紹介されていたのを思い出す。看板がなければ気がつかない何と言うこともない家。近づいてみたが水曜日から日曜日までしか入れないとの表示が。路上の案内板によると、彼は妻と義母とこの家に住んでいたそうだ。1843〜1844。たった1年間だが、フィラデルフィアに現存する家はこれ一軒だけとのこと。庭に置かれたカラスのブロンズ像が不気味だった。裏手に回り込んで写真を撮ろうかと思ったが、嫌な予感がしてやめておいた。
変な静けさと、口をあけて威嚇をするようなカラスのブロンズ像、写真を撮る私を通りすがりに振り返って見つめた黒人の眼差しが、去り時だと告げていた。

Spring Garden Streetに戻り西へ向かおうと思った瞬間、興味を引かれる建築物があるのに気がついた。なにか引っかかる。シンメトリーな赤褐色のブロック造り。どこかで見た事のある特徴的なファサード。「GUILD HOUSE」と看板がでている。建物の前では車椅子にのった老人が2人、暇そうにしゃべっていた。建物を見上げるように写真を撮り、道を渡り全体像を撮り、そのまま正面まできて車が途切れるのをファインダー越しに待っているときに、ああ、と思い出した。
これは世界的に有名なポストモダン建築家、ロバート・ヴェンチューリ(Robert Venturi)が手がけ1966年に完成した老人ホームだ。随分前にその存在を教えていただき、ウェブサイトで一回写真を見たきりになっていた建築にこうして偶然出会えるとは。
2月の頭にチェスナットヒルまで見に行った「Vanna Venturi House」(母の家)」を思い出した。完成した時期も近いし、モダニズム建築なんてツマラン!"Less is bore"って鼻息荒く言っていた頃なのだろう。
http://masakophiladelphia.blogspot.com/2008/07/blog-post.html

ちなみに日本では栃木県にある大江戸温泉物語 「湯屋日光霧降」が彼の作品。かつてのメルモンテ日光霧降の建物を大江戸温泉物語株式会社が営業しているとのこと。ううむ、郵政事業の天下り先だったに違いない。

「GUILD HOUSE」を離れセンターシティを目指し南東の方角に舵を切ったとき、また不思議な建築を見つけた。建築と言っていいのだろうか?廃墟となった工場のような。ドラマ「華麗なる一族」で万俵鉄平が専務を務めていた阪神特殊製鋼がこんな感じだったような気がする。
3つの煙突からは一筋の煙もでていない。銃口を上に向けて転がされ、何十年も放置され錆び付いた戦車を思わせる。

推理小説家の家、ポストモダン建築の巨匠の建てた老人ホーム、廃墟となった工場。今日の出合いは全てが偶然。でも偶然にしてはちょっと不思議な取り合わせとなった。

青空が怖いくらいにきれいだった。
光が強いと、影も濃い。


注)この日記は2008年04月16日にmixiに書いたもののアーカイブとしてブログへ転用しました

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