オフィスビルの避難訓練というのは日本でもあるのでしょうか?あったとしても地震や火事といった、自然災害の被害に遭った場合の対応なのではないかと思われます。
本日、わたしの勤める会社が入居しているダウンタウンのビルで、「Emergency Action Plan Drill(通称EAP Drill)」なるものが行われました。
「Drill」とはここでは演習とか訓練という意味。要するに、非常事態が起きたときのための訓練ということです。各階ごとに行われ、わたしのいる19階にも順番が回ってきました。
館内放送で「19階に勤務する人は全員、廊下に出るように」という指示があり、同僚たちとゾロゾロ出たら、そこにはみごとな太鼓腹の白人のおじさん(多分警察関係者)が待っていました。こういった訓練は何度も受けてきましたが、その場で担当者の話を聞くというだけで、非常階段を使って地上に出るといった、行動を伴う訓練はしたことがありません。夫の勤める化学会社では、工場もあり、爆発などの危険性もあるため、実際に表に出て避難をする訓練をするそうです。
太鼓腹のおじさんの話がはじまりました。
「ハリケーン襲撃時にはオフィスで待機して、外に出ないこと。非常階段の場所を確認しておくこと」
この当たりはフムフムといった感じ。
「銃を持った犯人がビルに侵入してきた場合」
この手の話を聞くのは初めてだったので、あらためてそういった可能性もあるのだと、身が引きしまる思いがします。そこからの説明はだいたいこんな感じでした。
「いいか、キーワードは『ABC』。このABCで覚えてくれ。Aは「avoid」。銃撃音が聞こえたら騒がないこと。非常アラームを鳴らすなんてもってのほか。人質をとった犯人が興奮して殺しちゃうかもしれないだろう。携帯電話の音を鳴らすのもダメ。音を切ってくれ。とにかく犯人を刺激しないように気をつけよう。次はBの「barrier」。オフィスにこもって、犯人が入ってこないようにドアの内側からバリアを築くんだ。そのとき、いざというとき武器になるものを探しておけ。野球のバット、ゴルフクラブ、消火器なんかが使える。最後はCの「confrontation」。ドアを破って銃を持った犯人が侵入してきたら、消火器の中身を顔に向って噴射するんだ。椅子でもなんでもあるものを使って抵抗しろ」
おじさんの説明はまだまだ続きます。
「やっと警官が来た。しかしここで喜ぶのは早い。『Thank you officers!』などと叫びながら駆け寄っていこうものなら警官に撃たれるぞ。警官だって誰が犯人かまだ分からないんだ。近寄ってくるヤツは問答無用に撃つ可能性だって大いにある。オレだって、突入した瞬間に近寄ってくるヤツがいたら撃っちまう。こっちだってものすごいナーバスな状態なんだ。みんながやるべきこと。それは両手を頭の後ろに回し、静かに警官の指示に従って避難すること。分かったかい。以上。解散」
そうか、消火器は護身用具になるうるのか。ということでさっそく、消火器の位置を確認しました。ただ、そんな非常事態下で、うまく犯人の顔に向けて噴射できるかどうかは自信ありません。使い方もよく分からない。使い方の実地訓練をしてくれた方が役に立ったのに…。
そして警官に撃たれる可能性があるというのは、あながちあり得ない話ではありません。
実際、2012年にエンパイアステートビルの近くで、解雇されたことを逆恨みした男が元同僚を銃殺する事件が起き、その後、犯人も駆けつけた警官により銃殺されたのですが、警官の銃から発射された流れ弾で9人もの市民が負傷し大問題になったのです。幸い9人は命に別状はなかったとのことですが、これで警官への不信感は一気に高まりました。命中率悪過ぎるでしょう。数撃ちゃ当たるみたいな感覚で発砲しないで欲しいものです。一般市民は銃を持ち歩いていないのに、警官は銃を所持して街をウロウロしているわけで、彼らの誤射による死亡事件もありますし、実は一番怖いのは警官なのかもと思うことすらあります。
そしてそんなことより、このビルは老朽化のせいか、エレベーターがすぐに故障するので、そちらの方が銃撃より恐ろしいです。19階まで上がるエレベーターは3基ありますが、最近は毎日どれか1つは故障中。上昇中に停止してしまい、40分ほど閉じ込められた同僚もいました。
このオフィスを去る日まで、いや去った後も、事故や事件のない平穏な日々が続きますように。
2016年2月3日水曜日
2016年1月17日日曜日
魚料理の楽しみ方(ブランジーノ)

日本では簡単に手に入る、イワシ、アジ、ホッケ、ブリ、メバチ、タチウオといった魚は、アメリカの普通のスーパーマーケットではまず手に入りません。ニューヨークにある日系のスーパーマーケットまで行けば、刺身になった魚か、やや目の濁ったイワシやアジの干物、季節によってはサンマくらいは手に入ります。高級寿司レストンへ行けば、さすがニューヨーク、築地市場直送の魚を使った旬のネタもいただけますが、お値段が目玉が飛び出るほど高いので…。アメリカで多分もっとも普及している魚はサーモン、フラウンダー(ヒラメ)、ティラピア、モンクフィッシュ(アンコウ)、ツナ(マグロ、刺身で食べる勇気はない)あたりではないでしょう。鮮度が信用出来ないので、日系スーパーで「刺身用」として売られているもの以外は、基本的に火を通していただくようにしています。そうでなくとも、調理法としてグリルして食べるのが一般的です。
なかなか日本のように美味しい鮮魚(特に青魚)は手に入りませんが(今私が一番食べたいのは「なめろう」です)、工夫すれば魚料理も楽しめます。来米してから知ったのが地中海産のブランジーノ。バターのような、なめらかな食感と一度食したらとりこになる品のあるうま味があり、自宅でも上手に調理すれば絶品料理になるということが分かりました。
写真は、夫がオーブンでローストしたブランジーノ。仕上げに、ガーリック、唐辛子、レッドワインビネガー、オリーブオイルでできた熱々のオーリオソースをジュワーっとかけていただきます。
付け合わせは(こちらも夫の得意料理)茹でたチャードとジャガイモを、手作りベシャメルソースとローストした松の実で和えたもの。仕上がりはお好みでしょうが、わたしはベシャメルソースがどろりと具材と濃厚なカラミを見せる方が好きです。ナツメグを隠し味に使うのがポイントとのこと。お供はスペイン、ガリシア地方のアルバニーニョ種のブドウでできた、すっきりとした味わいの白ワインでした。
朝食と昼食を兼ね備えた食事のことをブランチと言いますが、これは朝食、昼食、夕食を兼ね備えた、いわば「ブランチナー」。つまり遅く起き、食材を買いに走り、ビールを飲み、オリーブをつまみながら調理をし、本格的にワインを開け食べはじめたらもう夕方。一食しか食べる時間がないのです。1日は短いですね。
以前はこの夫が提唱するスペイン的ライフスタイルについて行けず、散々飲まされた後、酔いが冷めると、私は一日だらけていた、何の進歩も見られない一日を過ごしてしまった、何のために一日を過ごしたのであろうか、と激しい罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになり、ポカポカ頭を殴ったり、柱に頭を打ち付けたりする日々が続いたのですが(すでに酔っぱらっての自己嫌悪ですから激しいのです)、最近「人生とは美味しいものを食べ、楽しむものである」という夫の哲学にすっかり洗脳され、一応は体重が増えすぎないように意識をしつつも、ラテン系のお気楽週末の過ごし方が身に付いてしまいました。(仕事が終わらないので明日は自主的に出社して仕事をしますが)。
とはいっても、胃が弱っているときは、お粥が欲しいなあと思いますが…。
2016年1月2日土曜日
年越し大宴会は踊る
Happy New Year.
¡Feliz año nuevo! (フェリス・アニョ・ヌエボ)
明けましておめでとうございます。
大晦日から新年にかけて、いかが過ごされましたか?インターネット上にアップされた写真で見る限り、元日はいいお天気で、青空に映える富士山が各地で拝めたようですね。羨ましいです。お雑煮が食べたい…。
私は夫は、ニュージャージー州ニューアーク市のクラブ・エスパニャ(バーとレストランがついた県人会館のようなところ)で開催された、スペイン移民(主にガリシア地方出身者)とその家族、約250人の老若男女が集う年越し大宴会で年を越しました。
午後7時から午前2時過ぎまで、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って…
と、果てしなく続くと思われる時間の中、年が明けていきました。
スペイン流のハードコアな年越しは、胃弱かつ、リズム感がなく踊るのが大の苦手な私には辛いものがあります。
特にダンス…。音楽と踊りが生活の一部という国の人たちは結構いて、今までに出会ったヨーロピアン、中南米出身者、アフリカンアメリカン、ジューイッシュなどの人たちは、それぞれのルーツのリズムや踊りが子供のころから身に染み付いている人が多かったです。彼らはパーティーのダンスタイムが楽しくて仕方がないようですが、盆踊りすらろくに出来ない私は、このパーティーにつきもののダンスタイムが非常に、非常に苦痛です。
君たちはこの世に踊れない人がいるなんて想像もできないのね。とため息。断れないので無理矢理踊っているふりをしていますが、明らかに一人不格好。ステップもおかしい。手拍子すらズレる。鹿鳴館時代に生まれていれば、もうちょっとましだったのではないかとすら思います。その国の言語なんか話せなくても、彼らと一緒に踊る喜びを共有できれば、すっと懐に入って仲良くなれるはずです。生まれ変わるならダンスの才能がある人になりたいものです。
さてさて、壁の花子の恨み節は置いておいて、今年もこの情熱的な夫との愛を深め、時に激しく喧嘩をしながらも、なんとか手を取り合って生きていきます! よろしくお願いいたします。
¡Feliz año nuevo! (フェリス・アニョ・ヌエボ)
明けましておめでとうございます。
大晦日から新年にかけて、いかが過ごされましたか?インターネット上にアップされた写真で見る限り、元日はいいお天気で、青空に映える富士山が各地で拝めたようですね。羨ましいです。お雑煮が食べたい…。
私は夫は、ニュージャージー州ニューアーク市のクラブ・エスパニャ(バーとレストランがついた県人会館のようなところ)で開催された、スペイン移民(主にガリシア地方出身者)とその家族、約250人の老若男女が集う年越し大宴会で年を越しました。
午後7時から午前2時過ぎまで、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って…
と、果てしなく続くと思われる時間の中、年が明けていきました。
スペイン流のハードコアな年越しは、胃弱かつ、リズム感がなく踊るのが大の苦手な私には辛いものがあります。
特にダンス…。音楽と踊りが生活の一部という国の人たちは結構いて、今までに出会ったヨーロピアン、中南米出身者、アフリカンアメリカン、ジューイッシュなどの人たちは、それぞれのルーツのリズムや踊りが子供のころから身に染み付いている人が多かったです。彼らはパーティーのダンスタイムが楽しくて仕方がないようですが、盆踊りすらろくに出来ない私は、このパーティーにつきもののダンスタイムが非常に、非常に苦痛です。
君たちはこの世に踊れない人がいるなんて想像もできないのね。とため息。断れないので無理矢理踊っているふりをしていますが、明らかに一人不格好。ステップもおかしい。手拍子すらズレる。鹿鳴館時代に生まれていれば、もうちょっとましだったのではないかとすら思います。その国の言語なんか話せなくても、彼らと一緒に踊る喜びを共有できれば、すっと懐に入って仲良くなれるはずです。生まれ変わるならダンスの才能がある人になりたいものです。
さてさて、壁の花子の恨み節は置いておいて、今年もこの情熱的な夫との愛を深め、時に激しく喧嘩をしながらも、なんとか手を取り合って生きていきます! よろしくお願いいたします。
2015年12月16日水曜日
他人の死とその受け止め方について(異文化理解の苦しみ)
夫がニューヨーク市立大学ブルックリン校でのポスドク時代にお世話になった、ベネズエラ人の教授が亡くなった。癌から何度となく復活した人だったが、急に体調を崩し、そこからは早かった。母国では非常に有能な科学者として知られていたが、政治的事情で去ることを余儀なくされ、彼を受け入れたアメリカで息を引き取った。
何度かお目にかかったことがあるが、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。夫も彼と会うとスペイン語になってしまうので、さらに化学者同士の専門的な話ばかり、会話についていけず、ひたすら退屈だったという記憶の方が大きい。本日はブルックリンでお別れの会。仕事が忙しくて、というのもあるが、そもそも行く必要性を感じず私は不参加。
深夜、泣きはらした目で戻ってきた夫に、教授の未亡人と娘を囲んでクリスマスイブはスペイン人同士で集まるから参加しろと言われ、「あなたは行けばいいが、私は行く必要ないと思う」と拒否したため大げんかに。
最近、だんだんとスペイン人の集まりに参加するのがおっくうになってきている。スペイン語ができないし、英語で会話しても正直共通の話題が見つからない。笑いのツボも分からない。だったら家にこもって、焼酎を傾けながらカズオ・イシグロの小説でも読んでいたいというのが本音だ。海外に住み、国際結婚をしているとは思えないほど、グローバル化と真っ向から反対する姿勢だが、正直この傾向がだんだんと強くなっている。ようは、毎日毎日、こなさなくてはいけない、異文化コミュニケーションが面倒くさいのだ。
幸か不幸か、私は葬式というものに生まれてこのかた行ったことがない。人の死ではじめて涙にかきくれたのは、ピアニストのグレン・グールド。以来、尊敬するアーティストやシリア難民の子供の死、非業の死を遂げたジャーナリストなどに対しては号泣するくせに、身近な人の死を悲しいと感じた記憶がほぼ無いに等しい。
近しい人を亡くした悲しみというのは非常にパーソナルなもので、その死を受け止め、消化できるまでひたすら向き合い、時が癒すのを待つしかない、のではないだろうか?その時間は誰かと共有できるものではないし、できればさっさと忘れて過去を断ち切る方が、その後の人生をポジティブなものにするはず。他人と手を取り合い、共に時間を過ごすことで、悲しみを分かち合うということに、どうも胡散臭さを感じてならない。「分かるよ。その悲しみ」と寄り添うこと自体偽善だし、欺瞞だとすら感じる。というのが、葬式バージンのひねくれ者の机上の空論。
この考えに夫は猛反対。彼は大好きだった祖父母の死を少年の頃から受け止め、乗り越えてきたベテラン。悲しみの底にいる人には寄り添ってサポートするのが当然。それが理解できないなんて人でなしだ。愛情というものが枯渇している。そもそも今日はお別れの会にお前も行くべきだった。オレを愛しているのであれば、オレの悲しみも理解し支えるべし。そもそもオレが死んだらお前はどうするんだ?悲しまないのかと。彼の生い立ち、そのエモーショナルな国民性を考えると、しごくもっともな意見だとは思う。
そう言えばシティーホールで結婚するときも、
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
的なことを言われ、「I do」と言っちゃったし。今更ながら恐ろしい契約をしてしまったものだ。
夫が亡くなったら、もちろん一定期間悲しむが、その後、非常に現実的になるのだろう。と計算高い妻は思う(さすがに本人には言えないが)。葬儀にいくらかかるのか、貯金で足りるのか、彼の両親にはどう伝えるのか、遺体はスペインに送るべきか、その後の私の人生はどうなるのか。保険金はどう受け取るのか。新たに私の人生を支えてくれる、稼ぎのいい将来有望な男性を見つけることができるのだろうか、何歳まで私は女としての商品価値があるのだろう、いやいやそんなことは望めないから仕事を続けなければ。などなど。
そうは言いつつも、本質的には邪悪な態度を取り続けられないので(取り続けるとそれはそれで罪悪感で苦しめられるし)、クリスマスイブにはしぶしぶそのスペイン人の会に参加することになるのだろう。行ったら行ったら発見があって、悲しみがいい感じで憑依してきて、手に手を取り合って適宜泣いたりハグしたりできちゃうのも知っている。
でもどこかで、邪悪な悪魔が耳元でささやくだろう。
それって、本意じゃないんだよね。いいんだよ、その計算高さが君を作っているのだから。
って。
何度かお目にかかったことがあるが、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。夫も彼と会うとスペイン語になってしまうので、さらに化学者同士の専門的な話ばかり、会話についていけず、ひたすら退屈だったという記憶の方が大きい。本日はブルックリンでお別れの会。仕事が忙しくて、というのもあるが、そもそも行く必要性を感じず私は不参加。
深夜、泣きはらした目で戻ってきた夫に、教授の未亡人と娘を囲んでクリスマスイブはスペイン人同士で集まるから参加しろと言われ、「あなたは行けばいいが、私は行く必要ないと思う」と拒否したため大げんかに。
最近、だんだんとスペイン人の集まりに参加するのがおっくうになってきている。スペイン語ができないし、英語で会話しても正直共通の話題が見つからない。笑いのツボも分からない。だったら家にこもって、焼酎を傾けながらカズオ・イシグロの小説でも読んでいたいというのが本音だ。海外に住み、国際結婚をしているとは思えないほど、グローバル化と真っ向から反対する姿勢だが、正直この傾向がだんだんと強くなっている。ようは、毎日毎日、こなさなくてはいけない、異文化コミュニケーションが面倒くさいのだ。
幸か不幸か、私は葬式というものに生まれてこのかた行ったことがない。人の死ではじめて涙にかきくれたのは、ピアニストのグレン・グールド。以来、尊敬するアーティストやシリア難民の子供の死、非業の死を遂げたジャーナリストなどに対しては号泣するくせに、身近な人の死を悲しいと感じた記憶がほぼ無いに等しい。
近しい人を亡くした悲しみというのは非常にパーソナルなもので、その死を受け止め、消化できるまでひたすら向き合い、時が癒すのを待つしかない、のではないだろうか?その時間は誰かと共有できるものではないし、できればさっさと忘れて過去を断ち切る方が、その後の人生をポジティブなものにするはず。他人と手を取り合い、共に時間を過ごすことで、悲しみを分かち合うということに、どうも胡散臭さを感じてならない。「分かるよ。その悲しみ」と寄り添うこと自体偽善だし、欺瞞だとすら感じる。というのが、葬式バージンのひねくれ者の机上の空論。
この考えに夫は猛反対。彼は大好きだった祖父母の死を少年の頃から受け止め、乗り越えてきたベテラン。悲しみの底にいる人には寄り添ってサポートするのが当然。それが理解できないなんて人でなしだ。愛情というものが枯渇している。そもそも今日はお別れの会にお前も行くべきだった。オレを愛しているのであれば、オレの悲しみも理解し支えるべし。そもそもオレが死んだらお前はどうするんだ?悲しまないのかと。彼の生い立ち、そのエモーショナルな国民性を考えると、しごくもっともな意見だとは思う。
そう言えばシティーホールで結婚するときも、
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
的なことを言われ、「I do」と言っちゃったし。今更ながら恐ろしい契約をしてしまったものだ。
夫が亡くなったら、もちろん一定期間悲しむが、その後、非常に現実的になるのだろう。と計算高い妻は思う(さすがに本人には言えないが)。葬儀にいくらかかるのか、貯金で足りるのか、彼の両親にはどう伝えるのか、遺体はスペインに送るべきか、その後の私の人生はどうなるのか。保険金はどう受け取るのか。新たに私の人生を支えてくれる、稼ぎのいい将来有望な男性を見つけることができるのだろうか、何歳まで私は女としての商品価値があるのだろう、いやいやそんなことは望めないから仕事を続けなければ。などなど。
そうは言いつつも、本質的には邪悪な態度を取り続けられないので(取り続けるとそれはそれで罪悪感で苦しめられるし)、クリスマスイブにはしぶしぶそのスペイン人の会に参加することになるのだろう。行ったら行ったら発見があって、悲しみがいい感じで憑依してきて、手に手を取り合って適宜泣いたりハグしたりできちゃうのも知っている。
でもどこかで、邪悪な悪魔が耳元でささやくだろう。
それって、本意じゃないんだよね。いいんだよ、その計算高さが君を作っているのだから。
って。
2015年8月22日土曜日
スペインレポート1/ピレネー山脈を歩く


ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
私はいま、夫の故郷スペインを旅行中です。ただただ仕事に謀殺されるニューヨークの生活より、はるかに発見の多い豊かな時間を過ごしておりますので、スペインから何回かリポートをお送りします。
数日前にはフランスとの国境境にあるピレネー山脈で、夫の友人らとハイキングをしてきました。2日連続で違うルート。1日目のルートは「Ibones de Ordicuso」(標高2100m)、2日目のルートは「Pico Pazino」(標高2000m)でした。
大自然の豊かな美しさ、カラフルさに圧倒され、ときおり野生のヤギやクマ、イノシシなどの落とし物の臭いが漂うものの、それを込みにしても空気が美味しく、遠くから聞こえるカウベルのガランゴロンという音色が心地よく、頬をなでる風が優しく、この世のものとは思えない幸せと穏やかな心に満たされました。アウトドア派ではないのですが、これをきっかけに山登りに目覚めそうです。
結婚前のことですが、ホームシックにかかった夫が、ワインを飲みながらピレネー山脈の写真を見て「山へ行きたい。山は本当に美しいんだ」涙を流しているのを見たことがあります。また私が仕事のストレスでパニックになっていると、「ほら山の大自然を想像してごらん。些細なストレスなんか忘れちゃう美しさでしょう」と励まされたことも、多々あります。山に対してそこまでの感情をいだいたことのない私は、一体この人は何を言っているのだろうと不謹慎にも笑ってしまったことがあるのですが、一度登ってみると、彼の言わんとするところが多少分かったように感じました。
私にとってこの風景は、山は違えど映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、トラップ一家が徒歩で山を越えて逃亡先のスイスへと向かうシーンを思い出すものでした。頭の中ではエンドレスで「Climb Every Mountain(すべての山に登れ)」が流れていたのですが、夫にとっては「ロード・オブ・ザ・リング」のイメージの方が近いようです。
今回は山ボーイである夫のルーツを一つ一つたどる旅となりました。ちなみに日本では一時期(今もでしょうか?)ファッショナブルなアウトドア服を身につけて山登りをする「山ガール」が流行ったそうですね。実際に見た事がないのですが、ピレネー山脈には多分いなかったと思います。ちなみに私がお世話になったのはユニクロのヒートテック。山って、夏でも寒いのですね。
2015年6月5日金曜日
ターナー島発見
2015年6月1日月曜日
マンハッタンを掌に
スペインの家庭料理
Tasty dishes are colorful.Chard with béchamel sauce Spanish style, sauteed dandelion greens and jamon iberico as usual.
ジャガイモとチャードを茹で、オリーブオイル、ニンニク、ベーコン、松の実と炒め合わせ、ベシャメルソースをたっぷりかけた、夫が祖母から教えてもらったというサンチェス家に伝わる家庭料理。
近所のファーマーズマーケットで購入したタンポポの若葉は、茹でたあと、ニンニク、唐辛子、オリーブオイルで炒めてみました。苦みがいい感じ。醤油、鰹節あたりと和えてもいけるかも。
そしておなじみハモンイベリコ。そろそろ脚一本食べ終わりそうです。



ジャガイモとチャードを茹で、オリーブオイル、ニンニク、ベーコン、松の実と炒め合わせ、ベシャメルソースをたっぷりかけた、夫が祖母から教えてもらったというサンチェス家に伝わる家庭料理。
近所のファーマーズマーケットで購入したタンポポの若葉は、茹でたあと、ニンニク、唐辛子、オリーブオイルで炒めてみました。苦みがいい感じ。醤油、鰹節あたりと和えてもいけるかも。
そしておなじみハモンイベリコ。そろそろ脚一本食べ終わりそうです。



アロス・カルドソ・コン・ボガバンテ
This is not paella. It is "arroz caldoso con bogavante" or "soupy rice with lobster" cooked by Antonio Sanchez .
今日のランチはパエリア、ではなく「アロス・カルドソ・コン・ボガバンテ」。アロスはrice、カルドソはsoupy、コンはwith、ボガバンテはlobster。
どちらかというと、ロプスターの頭と貝からとったたっぷりのスープで調理した、柔らかめの炊き込みご飯か、おじやに近い感じ。イカ、ムール貝、トマト、サフランなどの他、市販の海水(sea water)を使ったのがミソだとか。
パエリアより優しく、ふんわりとした味と食感でした。夫によると誰に教わったのでもない、オリジナルレシピだそうです。お供はイタリアの白ワイン、ピノグリージオ。夫よ、いつも有り難う。


今日のランチはパエリア、ではなく「アロス・カルドソ・コン・ボガバンテ」。アロスはrice、カルドソはsoupy、コンはwith、ボガバンテはlobster。
どちらかというと、ロプスターの頭と貝からとったたっぷりのスープで調理した、柔らかめの炊き込みご飯か、おじやに近い感じ。イカ、ムール貝、トマト、サフランなどの他、市販の海水(sea water)を使ったのがミソだとか。
パエリアより優しく、ふんわりとした味と食感でした。夫によると誰に教わったのでもない、オリジナルレシピだそうです。お供はイタリアの白ワイン、ピノグリージオ。夫よ、いつも有り難う。


2015年3月5日木曜日
多様性 および生命体としての街について
お元気ですか?東京は梅や桃の花の季節なのでしょうね?
ニューヨークは2月20日にセントラルパークで-14.4℃が観測され、1950年の-13.8℃の記録を65年ぶりに更新したとのこと。我が家の周りはまだ雪で覆われており、連日スノーブーツで通勤しています。
さて、今回のテーマは「ダイバーシティー」(diversity)について。ニューヨークで非常によく聞く単語の一つで、「多様性」、特に民族・人種・宗教の多様性という意味で使われることが多いです。
それを象徴するようなニュースがこちら。
ニューヨーク市のビル・デブラシオ市長は3月4日、ブルックリン区の公立学校で会見を開き、公立学校の休日にイスラム教の祭日を2日加えると発表しました。
この休日は今年9月に始まる学年度から適用され、同月24日が、預言者イブラーヒームが息子を神への犠牲として捧げようとしたこと記念するイド・アル=アドハーの祝日で休みとなります。
またラマダーンの終了を祝うイド・アル=フィトルも休みとなるそうですが、来年の夏からスタートするためか、具体的な日付は明らかになっていないようです。市長は「(この決定は)市の多様性に対する敬意の表れ」とコメントしていました。
ニューヨークはイスラム教徒の人口が非常に多く、あるニュース記事によると60万人〜100万人はいるとされており、学校に通う児童の10%がイスラム教徒とのことです。
市長のこういった会見は、いかにもといった場所で開かれることが多いのですが、今回の会見が開かれたブルックリン区の学校は、前回のイド・アル=アドハーの日に全校生徒の36%が休んでいたということ。つまりイスラム教徒が多く住むエリアへ敢えて出向き、「お宅のお子さんは今後、正々堂々と公休日として宗教的祭日を祝うことが出来るのですよ」とアピールしているわけですね。
ニューヨーク市の公立学校の休みって、そもそも何があるのだろうと調べたところ、7月、8月の大型休暇、サンクスギビングデー、メモリアルデーといった国をあげての祝日以外に、ユダヤ暦の新年祭「ローシュ・ハッシャーナー」、ユダヤ教の贖罪の日「ヨム・キプル」(どちらの9月)というのが目に飛び込んできました。さすがユダヤ教徒の多いニューヨーク。
少し脱線しますが、化学者の夫がブルックリン大学で教えていたときも、大学がユダヤ教徒の居住区の近くにあるため、かれらの休みを尊重しなくてはいけなかったそうです。たとえば「いついつまでにレポートを提出して」と伝えると、「せんせー、それユダヤ教の休みとかぶっているんですけどー」というような反応が返ってきて、締め切りの変更を強いられ、ふつふつと怒りが湧いたそうです。政治的力の差を感じます。
公立学校の休みに話を戻しますと、公民権運動の指導者として知られるキング牧師の功績を称える、その名もマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー(1月の第3月曜日)も入っていました。これは外せませんね。
さらにまだ実現はしていませんが、市長が実現に向けて働きかけていると明言しているのが、英語でチャイニーズニューイヤーと呼ばれる、いわゆる旧正月。マンハッタンやクイーンズ区にあるチャイナタウンでは毎年、町をあげて2月の旧正月を祝うため、ニューヨークの風物詩の一つになっていますが、なぜこの日を公立学校の休みにする必要があるのか?
それは、それだけ移民が多い、つまり学校に通う中華系の子供が多く、さらに二世、三世が政治家になったり、事業で成功するなどして、政治的な発言力を持つようになっているからだと推測されます。
まあ、私たち日本人はこの町ではマイノリティーですし、政治的に働きかけて権利を主張する人も特にいませんし、ほとんどの人が選挙権を持っていない(つまり票田にならない)生き物ですので、日本の祝日が公立学校の休日になる日は来ないでしょう。
逆に少子化の深刻化が叫ばれている割には、移民政策をしているようには全く見えない日本政府ですが、いずれはこういった形で、移民として日本に来てくれたアジア諸国やブラジルなどの祭日を、学校や国民、あるいは市町村の休日に取り入れるような柔軟さがでてくるのかなあ、と考えています。そうしないと、国としての未来がないとすら思えるのです。
生物学者で作家の福岡伸一さんは、生命とは何かという問いに対し、「動的平衡」(絶え間なく壊される秩序)というキーワードを使った回答を、鮮やかに展開してくれます。
手元にある彼の著書『生物と無生物のあいだ』と『動的平衡』から要約すると、わたしたち生命体を構成する分子は高速で入れ替わっており、生命体というのは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかなく、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。
生命とは動的平衡にあるシステム。可変的でサスティナブルを特徴とするシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」である。つまり生命現象とは構造ではなく「効果」である。ということです。
この「生命体」をニューヨークという街、あるいはアメリカという国に置き換えても、そっくり同じシステムで説明できるのではないかと最近思うのです。この街、そして国は移民で構成されており、一時、あるいは一時代淀んだら、また入れ替わっていく。その流れのハンドリングをするのが市や連邦政府の役割で、サスティナブルに息づき継続するために、ダイバーシティーを受け入れながら、あれこれ施策を練っているのですね。だからこの国にはダイナミズムが感じられるのかもしれません。
日本という国も「生命体」の一つ。こちらは可変的でサスティナブルかどうか、外からみていると「うーん、どうなんだろう」と思ってしまいます。
学校の休日システムの話から大分膨らみましたが、ニューヨークという怪物のような生命体にを通過する一分子として、周囲に流れゆく分子たちを見ながらちょっと思いを巡らせてみたのでした。
ニューヨークは2月20日にセントラルパークで-14.4℃が観測され、1950年の-13.8℃の記録を65年ぶりに更新したとのこと。我が家の周りはまだ雪で覆われており、連日スノーブーツで通勤しています。
さて、今回のテーマは「ダイバーシティー」(diversity)について。ニューヨークで非常によく聞く単語の一つで、「多様性」、特に民族・人種・宗教の多様性という意味で使われることが多いです。
それを象徴するようなニュースがこちら。
ニューヨーク市のビル・デブラシオ市長は3月4日、ブルックリン区の公立学校で会見を開き、公立学校の休日にイスラム教の祭日を2日加えると発表しました。
この休日は今年9月に始まる学年度から適用され、同月24日が、預言者イブラーヒームが息子を神への犠牲として捧げようとしたこと記念するイド・アル=アドハーの祝日で休みとなります。
またラマダーンの終了を祝うイド・アル=フィトルも休みとなるそうですが、来年の夏からスタートするためか、具体的な日付は明らかになっていないようです。市長は「(この決定は)市の多様性に対する敬意の表れ」とコメントしていました。
ニューヨークはイスラム教徒の人口が非常に多く、あるニュース記事によると60万人〜100万人はいるとされており、学校に通う児童の10%がイスラム教徒とのことです。
市長のこういった会見は、いかにもといった場所で開かれることが多いのですが、今回の会見が開かれたブルックリン区の学校は、前回のイド・アル=アドハーの日に全校生徒の36%が休んでいたということ。つまりイスラム教徒が多く住むエリアへ敢えて出向き、「お宅のお子さんは今後、正々堂々と公休日として宗教的祭日を祝うことが出来るのですよ」とアピールしているわけですね。
ニューヨーク市の公立学校の休みって、そもそも何があるのだろうと調べたところ、7月、8月の大型休暇、サンクスギビングデー、メモリアルデーといった国をあげての祝日以外に、ユダヤ暦の新年祭「ローシュ・ハッシャーナー」、ユダヤ教の贖罪の日「ヨム・キプル」(どちらの9月)というのが目に飛び込んできました。さすがユダヤ教徒の多いニューヨーク。
少し脱線しますが、化学者の夫がブルックリン大学で教えていたときも、大学がユダヤ教徒の居住区の近くにあるため、かれらの休みを尊重しなくてはいけなかったそうです。たとえば「いついつまでにレポートを提出して」と伝えると、「せんせー、それユダヤ教の休みとかぶっているんですけどー」というような反応が返ってきて、締め切りの変更を強いられ、ふつふつと怒りが湧いたそうです。政治的力の差を感じます。
公立学校の休みに話を戻しますと、公民権運動の指導者として知られるキング牧師の功績を称える、その名もマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー(1月の第3月曜日)も入っていました。これは外せませんね。
さらにまだ実現はしていませんが、市長が実現に向けて働きかけていると明言しているのが、英語でチャイニーズニューイヤーと呼ばれる、いわゆる旧正月。マンハッタンやクイーンズ区にあるチャイナタウンでは毎年、町をあげて2月の旧正月を祝うため、ニューヨークの風物詩の一つになっていますが、なぜこの日を公立学校の休みにする必要があるのか?
それは、それだけ移民が多い、つまり学校に通う中華系の子供が多く、さらに二世、三世が政治家になったり、事業で成功するなどして、政治的な発言力を持つようになっているからだと推測されます。
まあ、私たち日本人はこの町ではマイノリティーですし、政治的に働きかけて権利を主張する人も特にいませんし、ほとんどの人が選挙権を持っていない(つまり票田にならない)生き物ですので、日本の祝日が公立学校の休日になる日は来ないでしょう。
逆に少子化の深刻化が叫ばれている割には、移民政策をしているようには全く見えない日本政府ですが、いずれはこういった形で、移民として日本に来てくれたアジア諸国やブラジルなどの祭日を、学校や国民、あるいは市町村の休日に取り入れるような柔軟さがでてくるのかなあ、と考えています。そうしないと、国としての未来がないとすら思えるのです。
生物学者で作家の福岡伸一さんは、生命とは何かという問いに対し、「動的平衡」(絶え間なく壊される秩序)というキーワードを使った回答を、鮮やかに展開してくれます。
手元にある彼の著書『生物と無生物のあいだ』と『動的平衡』から要約すると、わたしたち生命体を構成する分子は高速で入れ替わっており、生命体というのは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかなく、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。
生命とは動的平衡にあるシステム。可変的でサスティナブルを特徴とするシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」である。つまり生命現象とは構造ではなく「効果」である。ということです。
この「生命体」をニューヨークという街、あるいはアメリカという国に置き換えても、そっくり同じシステムで説明できるのではないかと最近思うのです。この街、そして国は移民で構成されており、一時、あるいは一時代淀んだら、また入れ替わっていく。その流れのハンドリングをするのが市や連邦政府の役割で、サスティナブルに息づき継続するために、ダイバーシティーを受け入れながら、あれこれ施策を練っているのですね。だからこの国にはダイナミズムが感じられるのかもしれません。
日本という国も「生命体」の一つ。こちらは可変的でサスティナブルかどうか、外からみていると「うーん、どうなんだろう」と思ってしまいます。
学校の休日システムの話から大分膨らみましたが、ニューヨークという怪物のような生命体にを通過する一分子として、周囲に流れゆく分子たちを見ながらちょっと思いを巡らせてみたのでした。
2014年11月29日土曜日
サンチョ・パンサと神父
「サプライズがあるから早く帰っておいで。近所のビアガーデンにいるから」
と夫に言われ、残業を何とか切り上げ、凍てつくような寒さのなか店にたどり着いた。
「サプライズって何だろう。まあ、あの人のことだから子豚の丸焼きくらいかしら。花束でも持っていたらいいんだけどさ」と、それでもちょっとは期待しつつ、広い店内を夫を探して歩く。
「こっちこっち」と声がして振り返ると、夫がサンチョ・パンサと一緒に笑顔で手を振っているではないか!!
サンチョ・パンサと私がこっそり呼んでいる、このぽっちゃりした、ひげ面のちょっと間抜け面の男は、夫が3歳の頃からの幼馴染み。スペインへ里帰りをする度に会っているけど、いま何故ここに?
混乱を抱えたまま、激しいハグとキスの嵐を力なく受け止め、「ええと、何で?」と夫に訪ねると、満面の笑みで「遊びに来てくれたんだよ。雅子を驚かせようと思って内緒にしていたんだ。これからうちに6日間泊るから」。
サプライズってそれか…。
サンチョ・パンサは母親を亡くしてから引きこもりになり、私と同じ年くらいなのに、いまだに実家で父親と暮らしている。ガールフレンドなし。ドラマーとしての腕はいいらしいが、それではなかなか食べていけず、自動車修理工、ビルの窓そうじの仕事など、あれこれやってみるものの長続きしない。思いつきで運転代行ビジネスを始めたものの、ビジネスの才覚ゼロで全く軌道に乗らないまま廃業。実家でやさぐれてマリファナばかり吸って「まだ自分にしっくり来る仕事はない」などとうそぶいている、絵に描いたような”負け組”。通常だったら、お付き合いを避けたい相手だ。だが、幼馴染みの絆はダイヤモンドよりも固い。博士課程修了の有能な化学者は、学歴差、収入差といった、つまらない条件で友達を捨てたりはしない。
「だってお互いのいびきから、おならの音まで知り合った仲だもの」
そんなサンチョ・パンサ、最近、親戚のおじさんバンドにドラマーとして加入したところ、バンドが有名になってきたため、ライブやレコーディングで収入が増えてきたらしい。というところまでは知っていたが、なぜ、このタイミングで我が家に来たのだろう?
「ぱあっと有り金を全部、アメリカでの買い物で使いはたすつもりさ!」とニタニタ笑うサンチョ・パンサ。いやいや、それはやめておいたほうが良いと思うのだが…。
今日はサンクスギビングデー明けの金曜日。盆暮れが一度に来たようなこの期間、木曜から日曜まで4連休を取り故郷に帰るアメリカ人が多い。夫はその風習に従い4連休。日系企業に勤める私は、金曜日は通常勤務。
ガーゴーガーゴー、派手ないびきをかいているサンチョ・パンサの横で、一人早起きして朝食を作り始めたところ、ぴたっとその音が止まった。むくっと起き上がり「おはよう」ってあんた、白いブリーフ一枚でほぼ全裸じゃないですか…。
いやいや、知っていますよ。リスボン経由のフライトでスーツケースを紛失して、パスポートと財布のみ握りしめ、着の身着のままで来た事は。でも、夫に言えばパジャマくらい貸したでしょう。そんな私の心の叫びにまったく気付かず、その姿でスタスタとバスルームへ。ここはもう、あんたの実家状態なのかい?さすがに夫を通じて、二度とその格好で家の中を歩くなと釘を刺した。
サンチョ・パンサでもう何人目だろう?ニュージャージーで夫と暮らし始めてから我が家を訪れ滞在していったスペイン人は。
スペイン語には「わたしの家はあなたの家」という意味の「Mi casa es su casa」という表現がある。知人が泊りに来たら大歓迎し、もてなすというのが風習とされている。確かに私がスペインへ行く時も、ホテルにはほとんど滞在せず、親戚、友人の家を点々とすることが多い。だが、逆の立場になり、この家を我が物顔で闊歩するスペイン人を見ると、どうしてもホテル代を浮かせ、NY滞在を安くあげるために利用しているのではというネガティブな印象が、しこりのように胸の中で大きく固くなってくる。
11月頭に我が家を訪れたのは、パナマ在住のスペイン人神父だった。義父が若かりし頃、神父を志して通ったカトリックの学校の教師だったという。義父は神父になる道を断念したが、それ以来家族ぐるみの中だそう。
この神父、現在76歳。ドミニコ会(カトリックの修道会)に所属し、貧しい人を救うため40年以上パナマで神父として活動をしている。スペインに帰る度に、夫の両親宅に長期滞在するとのこと。夫を子供の頃からかわいがっていて、メンターのような存在だから、くれぐれも丁重にお迎えするようにと言われていた。
糖尿病を患い、心臓の手術を3回したという、足が不自由な神父は、それはそれは穏やかでおおらかな、まさに神々しいオーラを発していた。私の「神父に定年はあるのですか?」「七つの大罪って何でしたっけ?」などという愚問にも、一つ一つ丁寧に答えてくれ、食前には私と夫の手を取って結婚を祝福する祈りを捧げてくれた。
浅はかな功利主義的、資本主義的、商業主義的、ギブ&テイク思想に芯まで染まった私に、「愛(LOVE)」の大切さを説く神父。
「誰かを愛そうなどと思った時点で、それは愛ではないのだよ。愛とは心の中から自然に湧き出てくるものでなくてはいけない。そう、母親が子供に無償の愛を捧げるようにね。それこそがシェークスピアのハムレットに出てくる『To be, or not to be』の『to be』、そう人間が人間たらしめるものなんだ」。
そして神父はおっしゃた。
「わたしは刺身が食べたい」
マンハッタンのそこそこ有名な寿司レストランまで、タクシーを使って連れて行ったところ、まあ、食べる事、食べる事。そして夫が何も言わずに支払い、神父は払うそぶりすら見せない。そんな調子で彼は我が家に滞在した数日間、「祝福」以外のものは何もくれなかった。最後の日は、午前6時に起床して、夫の車でJFK空港まで送った。家を出る前「糖尿病だから甘いものは控えているけど、いざというときのために口に入れる甘いものがあると気が休まる」というから、日系スーパーで購入した抹茶ポッキーをあげた。(食べたかったのに…)
さすがに、家に戻る車の中で夫に聞いてしまった。
「なぜ、あの人は1ドルたりとて払わなかったの?我が家に泊るんだから一回くらい食事おごってくれてもいいんじゃないかしら?」
その質問に夫は大いに機嫌を損ねた。
「そんなことは、思ってもいけない。彼は貧しい人たちに希望と愛を与えるために全人生を捧げてきたんだ。彼個人が所有するものなど何もない。遠路はるばる来てくれた事に感謝しなさい」
真の意味での「お・も・て・な・し」ってこういうことを言うのだろうかと思う日々。つまりこちらから与えるという傲慢さではなく、その人がはるばる我が家に来てくれたこと、その行為に感謝をし、彼らなりの愛を受け止め、こちらも無償の愛で返すこと。
そこで思い出したのが、大切にしていた盆栽の木をくべて旅人(実は北条時頼だった)をもてなした『鉢木』の逸話。ただこれは、鎌倉武士の忠誠心が実を結んだというのがポイントで、「盆栽」に対して「恩賞」という、ギブに対するテイクがあったということ。そう考えると無償の愛だったのかどうか、あやしくなってくる。
いずれにせよ、「例えそれが人のものだったとしても、仕事でも恋人でも、奪えるものは奪ってしまえ。取られる方が阿呆よ。それでグリグリとのし上がって、自分の社会的ポジションを獲得していくのが生きるということ。勝ち組になるってこと」という考え方に染まりやすい(しかし不器用なので、そう簡単には成り上がれない)単純思考の私には、こういった異文化からの刺激は、考え方を改めるいい機会だと捉えることにしている。
「そんな薄情なことでは、あきまへんで」と教えてくれているのかなあと。でも善行を積んだ最終的な代償として、キリスト教には「天国へ行ける」というご褒美があるんじゃないの?という懐疑はぬぐい去れない。
と夫に言われ、残業を何とか切り上げ、凍てつくような寒さのなか店にたどり着いた。
「サプライズって何だろう。まあ、あの人のことだから子豚の丸焼きくらいかしら。花束でも持っていたらいいんだけどさ」と、それでもちょっとは期待しつつ、広い店内を夫を探して歩く。
「こっちこっち」と声がして振り返ると、夫がサンチョ・パンサと一緒に笑顔で手を振っているではないか!!
サンチョ・パンサと私がこっそり呼んでいる、このぽっちゃりした、ひげ面のちょっと間抜け面の男は、夫が3歳の頃からの幼馴染み。スペインへ里帰りをする度に会っているけど、いま何故ここに?
混乱を抱えたまま、激しいハグとキスの嵐を力なく受け止め、「ええと、何で?」と夫に訪ねると、満面の笑みで「遊びに来てくれたんだよ。雅子を驚かせようと思って内緒にしていたんだ。これからうちに6日間泊るから」。
サプライズってそれか…。
サンチョ・パンサは母親を亡くしてから引きこもりになり、私と同じ年くらいなのに、いまだに実家で父親と暮らしている。ガールフレンドなし。ドラマーとしての腕はいいらしいが、それではなかなか食べていけず、自動車修理工、ビルの窓そうじの仕事など、あれこれやってみるものの長続きしない。思いつきで運転代行ビジネスを始めたものの、ビジネスの才覚ゼロで全く軌道に乗らないまま廃業。実家でやさぐれてマリファナばかり吸って「まだ自分にしっくり来る仕事はない」などとうそぶいている、絵に描いたような”負け組”。通常だったら、お付き合いを避けたい相手だ。だが、幼馴染みの絆はダイヤモンドよりも固い。博士課程修了の有能な化学者は、学歴差、収入差といった、つまらない条件で友達を捨てたりはしない。
「だってお互いのいびきから、おならの音まで知り合った仲だもの」
そんなサンチョ・パンサ、最近、親戚のおじさんバンドにドラマーとして加入したところ、バンドが有名になってきたため、ライブやレコーディングで収入が増えてきたらしい。というところまでは知っていたが、なぜ、このタイミングで我が家に来たのだろう?
「ぱあっと有り金を全部、アメリカでの買い物で使いはたすつもりさ!」とニタニタ笑うサンチョ・パンサ。いやいや、それはやめておいたほうが良いと思うのだが…。
今日はサンクスギビングデー明けの金曜日。盆暮れが一度に来たようなこの期間、木曜から日曜まで4連休を取り故郷に帰るアメリカ人が多い。夫はその風習に従い4連休。日系企業に勤める私は、金曜日は通常勤務。
ガーゴーガーゴー、派手ないびきをかいているサンチョ・パンサの横で、一人早起きして朝食を作り始めたところ、ぴたっとその音が止まった。むくっと起き上がり「おはよう」ってあんた、白いブリーフ一枚でほぼ全裸じゃないですか…。
いやいや、知っていますよ。リスボン経由のフライトでスーツケースを紛失して、パスポートと財布のみ握りしめ、着の身着のままで来た事は。でも、夫に言えばパジャマくらい貸したでしょう。そんな私の心の叫びにまったく気付かず、その姿でスタスタとバスルームへ。ここはもう、あんたの実家状態なのかい?さすがに夫を通じて、二度とその格好で家の中を歩くなと釘を刺した。
サンチョ・パンサでもう何人目だろう?ニュージャージーで夫と暮らし始めてから我が家を訪れ滞在していったスペイン人は。
スペイン語には「わたしの家はあなたの家」という意味の「Mi casa es su casa」という表現がある。知人が泊りに来たら大歓迎し、もてなすというのが風習とされている。確かに私がスペインへ行く時も、ホテルにはほとんど滞在せず、親戚、友人の家を点々とすることが多い。だが、逆の立場になり、この家を我が物顔で闊歩するスペイン人を見ると、どうしてもホテル代を浮かせ、NY滞在を安くあげるために利用しているのではというネガティブな印象が、しこりのように胸の中で大きく固くなってくる。
11月頭に我が家を訪れたのは、パナマ在住のスペイン人神父だった。義父が若かりし頃、神父を志して通ったカトリックの学校の教師だったという。義父は神父になる道を断念したが、それ以来家族ぐるみの中だそう。
この神父、現在76歳。ドミニコ会(カトリックの修道会)に所属し、貧しい人を救うため40年以上パナマで神父として活動をしている。スペインに帰る度に、夫の両親宅に長期滞在するとのこと。夫を子供の頃からかわいがっていて、メンターのような存在だから、くれぐれも丁重にお迎えするようにと言われていた。
糖尿病を患い、心臓の手術を3回したという、足が不自由な神父は、それはそれは穏やかでおおらかな、まさに神々しいオーラを発していた。私の「神父に定年はあるのですか?」「七つの大罪って何でしたっけ?」などという愚問にも、一つ一つ丁寧に答えてくれ、食前には私と夫の手を取って結婚を祝福する祈りを捧げてくれた。
浅はかな功利主義的、資本主義的、商業主義的、ギブ&テイク思想に芯まで染まった私に、「愛(LOVE)」の大切さを説く神父。
「誰かを愛そうなどと思った時点で、それは愛ではないのだよ。愛とは心の中から自然に湧き出てくるものでなくてはいけない。そう、母親が子供に無償の愛を捧げるようにね。それこそがシェークスピアのハムレットに出てくる『To be, or not to be』の『to be』、そう人間が人間たらしめるものなんだ」。
そして神父はおっしゃた。
「わたしは刺身が食べたい」
マンハッタンのそこそこ有名な寿司レストランまで、タクシーを使って連れて行ったところ、まあ、食べる事、食べる事。そして夫が何も言わずに支払い、神父は払うそぶりすら見せない。そんな調子で彼は我が家に滞在した数日間、「祝福」以外のものは何もくれなかった。最後の日は、午前6時に起床して、夫の車でJFK空港まで送った。家を出る前「糖尿病だから甘いものは控えているけど、いざというときのために口に入れる甘いものがあると気が休まる」というから、日系スーパーで購入した抹茶ポッキーをあげた。(食べたかったのに…)
さすがに、家に戻る車の中で夫に聞いてしまった。
「なぜ、あの人は1ドルたりとて払わなかったの?我が家に泊るんだから一回くらい食事おごってくれてもいいんじゃないかしら?」
その質問に夫は大いに機嫌を損ねた。
「そんなことは、思ってもいけない。彼は貧しい人たちに希望と愛を与えるために全人生を捧げてきたんだ。彼個人が所有するものなど何もない。遠路はるばる来てくれた事に感謝しなさい」
真の意味での「お・も・て・な・し」ってこういうことを言うのだろうかと思う日々。つまりこちらから与えるという傲慢さではなく、その人がはるばる我が家に来てくれたこと、その行為に感謝をし、彼らなりの愛を受け止め、こちらも無償の愛で返すこと。
そこで思い出したのが、大切にしていた盆栽の木をくべて旅人(実は北条時頼だった)をもてなした『鉢木』の逸話。ただこれは、鎌倉武士の忠誠心が実を結んだというのがポイントで、「盆栽」に対して「恩賞」という、ギブに対するテイクがあったということ。そう考えると無償の愛だったのかどうか、あやしくなってくる。
いずれにせよ、「例えそれが人のものだったとしても、仕事でも恋人でも、奪えるものは奪ってしまえ。取られる方が阿呆よ。それでグリグリとのし上がって、自分の社会的ポジションを獲得していくのが生きるということ。勝ち組になるってこと」という考え方に染まりやすい(しかし不器用なので、そう簡単には成り上がれない)単純思考の私には、こういった異文化からの刺激は、考え方を改めるいい機会だと捉えることにしている。
「そんな薄情なことでは、あきまへんで」と教えてくれているのかなあと。でも善行を積んだ最終的な代償として、キリスト教には「天国へ行ける」というご褒美があるんじゃないの?という懐疑はぬぐい去れない。
2014年11月24日月曜日
New York in Black and White
最近撮影したモノクロ写真6枚。

ニューヨークの地下鉄駅構内でパフォーマンス中の、ブルックリンを中心に活躍するバンド「Brown Rice Family(ブラウンライス ファミリー)」。ジャンベを演奏するプロデューサーの飯田祐一氏を中心に結成されたグループ。今年、来日公演もした。たまたま取材帰りに発見。

19階にあるオフィスの窓のちょうど正面に見える、アールデコ調のビル「20 Exchange Place」の外壁に施された彫刻。このビルが完成したのは1931年。NY市のランドマークに指定されており、スパイク・リーの映画『インサイド・マン』にも登場する。

建設中の1ワールドトレードセンター前に置かれた、騎馬兵の彫刻「America's Response Monument」。9.11同時多発テロ事件の報復として、アフガニスタンのタリバン政権に対して開始された、一連の軍事作戦に従事した特殊部隊の功績を称えて、2011年に設置されたブロンズ像。

2011年に起きた、「Occupy Wall Street」(ウォール街を占拠せよ)のデモの舞台となったズコッティパーク。その面影はなく、なんとなくアメリカの景気も回復したようで、ライトアップされた木々が冬の到来を物語っている。

取材で訪れたの米系のオフィスにあったシマウマの敷物。もう少しで頭を蹴っ飛ばすところだった。個人的には動物の顔部を壁に飾ったり、敷物にするのはあまり好きではない。動物愛護団体の活動が活発なアメリカでも、あるところにはこういうものが存在する。モノクロ写真にすると、シマウマの悲しみが伝わってくるようだ。

ハドソン川を渡るフェリーから見る「自由の女神」。モノクロにすると突然、故郷を捨て、アメリカでの新生活に夢と希望を抱き、船で遠路はるばる渡って来た移民の気持ちが憑依する。

ニューヨークの地下鉄駅構内でパフォーマンス中の、ブルックリンを中心に活躍するバンド「Brown Rice Family(ブラウンライス ファミリー)」。ジャンベを演奏するプロデューサーの飯田祐一氏を中心に結成されたグループ。今年、来日公演もした。たまたま取材帰りに発見。

19階にあるオフィスの窓のちょうど正面に見える、アールデコ調のビル「20 Exchange Place」の外壁に施された彫刻。このビルが完成したのは1931年。NY市のランドマークに指定されており、スパイク・リーの映画『インサイド・マン』にも登場する。

建設中の1ワールドトレードセンター前に置かれた、騎馬兵の彫刻「America's Response Monument」。9.11同時多発テロ事件の報復として、アフガニスタンのタリバン政権に対して開始された、一連の軍事作戦に従事した特殊部隊の功績を称えて、2011年に設置されたブロンズ像。

2011年に起きた、「Occupy Wall Street」(ウォール街を占拠せよ)のデモの舞台となったズコッティパーク。その面影はなく、なんとなくアメリカの景気も回復したようで、ライトアップされた木々が冬の到来を物語っている。
取材で訪れたの米系のオフィスにあったシマウマの敷物。もう少しで頭を蹴っ飛ばすところだった。個人的には動物の顔部を壁に飾ったり、敷物にするのはあまり好きではない。動物愛護団体の活動が活発なアメリカでも、あるところにはこういうものが存在する。モノクロ写真にすると、シマウマの悲しみが伝わってくるようだ。

ハドソン川を渡るフェリーから見る「自由の女神」。モノクロにすると突然、故郷を捨て、アメリカでの新生活に夢と希望を抱き、船で遠路はるばる渡って来た移民の気持ちが憑依する。
2014年11月1日土曜日
悪魔、ハロウィーン、マラソン、犬
昔愛した人に年月を経て会うと、大抵の場合、相手が私より老け込んでいたり、あまり幸せそうではないことが多い。
不謹慎を承知でガッツポーズ。
「あなたのパワーは全て私が吸い取ってレベルクリアして、より高いレベルの男へ移ったのよ」と高らかに笑う。
例え相手から去られたり、お互い泣く泣く別れた人に対しても、そう思える図々しさよ…。
いやむしろ、そういう相手だからこそ、烈火のごとき復讐心に燃えるのかもしれない。
己の心根の悪さに嫌悪感を抱く。「それでも相手が元気でいてくれたら、それはそれで嬉しいものだ」と、言い聞かせてみるも、今更遅い、取り繕い。
許されざる悪魔的な部分を、心の中の小さな檻に飼っており、それが時折、鎌首をもたげるのを感じながら、こいつと付き合って生きていくのしかないのだと思う。それが己を蝕むガンのようなものであり、同時に原動力だということも承知の上で。
世の中、ハロウィーンのどんちゃん騒ぎ。ヒヨコの着ぐるみが、アタッシュケースを持ってウォールストリートを闊歩し、頭の両側からナイフが飛び出した(ジャミロクワイに見えなくもない)若者がカフェでコーヒーをすすっていた。
そして日曜日はニューヨーク・シティ・マラソン。
私は午後11時近くまで残業。からの、落ち込んだ後輩を飲みに誘って、アイリッシュパブでおごり、まあ最終的には自分で解決していくのだろうと楽観視することに。からの、終電に飛び乗り、小雨が降る中、足早に帰宅してキムチチャーハンをビールで流し込む。週末も仕事、仕事、仕事。また楽しからずや。
そういえば、初めてューヨーク・シティ・マラソンを知ったのは、村上龍の同名の小説を含む短編集だった。思春期の当時、その強烈さが胸に焼き付いたような気もするが、内容はうろ覚え。もう何年、彼の本を読んでいないことだろう。そしてニューヨークに来て5年くらいになるが、一度もこの目でランナーを見た事がない。
今読んでいるのはワシントンD.C.を舞台にした、推理小説で知られる作家、ジョージ・P・ペレケーノスの『ドラマ・シティ』。この人の本はいい。街の息づかい、空間のひずみ、都市の抱える腐敗臭が、おかしなツイストをかけず、ストレートに伝わってくるようで。翻訳者がいいのかもしれないが。
濡れた犬の鼻に触れたくなった。元気かな吾郎。
不謹慎を承知でガッツポーズ。
「あなたのパワーは全て私が吸い取ってレベルクリアして、より高いレベルの男へ移ったのよ」と高らかに笑う。
例え相手から去られたり、お互い泣く泣く別れた人に対しても、そう思える図々しさよ…。
いやむしろ、そういう相手だからこそ、烈火のごとき復讐心に燃えるのかもしれない。
己の心根の悪さに嫌悪感を抱く。「それでも相手が元気でいてくれたら、それはそれで嬉しいものだ」と、言い聞かせてみるも、今更遅い、取り繕い。
許されざる悪魔的な部分を、心の中の小さな檻に飼っており、それが時折、鎌首をもたげるのを感じながら、こいつと付き合って生きていくのしかないのだと思う。それが己を蝕むガンのようなものであり、同時に原動力だということも承知の上で。
世の中、ハロウィーンのどんちゃん騒ぎ。ヒヨコの着ぐるみが、アタッシュケースを持ってウォールストリートを闊歩し、頭の両側からナイフが飛び出した(ジャミロクワイに見えなくもない)若者がカフェでコーヒーをすすっていた。
そして日曜日はニューヨーク・シティ・マラソン。
私は午後11時近くまで残業。からの、落ち込んだ後輩を飲みに誘って、アイリッシュパブでおごり、まあ最終的には自分で解決していくのだろうと楽観視することに。からの、終電に飛び乗り、小雨が降る中、足早に帰宅してキムチチャーハンをビールで流し込む。週末も仕事、仕事、仕事。また楽しからずや。
そういえば、初めてューヨーク・シティ・マラソンを知ったのは、村上龍の同名の小説を含む短編集だった。思春期の当時、その強烈さが胸に焼き付いたような気もするが、内容はうろ覚え。もう何年、彼の本を読んでいないことだろう。そしてニューヨークに来て5年くらいになるが、一度もこの目でランナーを見た事がない。
今読んでいるのはワシントンD.C.を舞台にした、推理小説で知られる作家、ジョージ・P・ペレケーノスの『ドラマ・シティ』。この人の本はいい。街の息づかい、空間のひずみ、都市の抱える腐敗臭が、おかしなツイストをかけず、ストレートに伝わってくるようで。翻訳者がいいのかもしれないが。
濡れた犬の鼻に触れたくなった。元気かな吾郎。
2014年10月27日月曜日
Pollo a la chilindrón

Today's dinner. Pollo a la chilindrón (chicken chilindrón style) cooked by my husband with Côtes du Rhône.
夫が作ってくれた夕食。「ポヨ・ア・ラ・チリンドロン」(鶏肉のチリンドロンスタイル)。
ニンニク、タマネギ、ペッパー(ピーマン)、トマト、ピメントン(スペインのパプリカ粉)などで作ったソースに、グリルした鶏肉を加えて低温で煮込んだ、スペインはアラゴン州のおふくろの味。
今回は隠し味に日本酒、醤油、みりんを使ったそう。その影響か、トマトやペッパー、タマネギの甘みの中に、味噌のような独特のコクが、でんと座ってにらみをきかせているようだった。
合わせたのはフランス南部のローヌワイン。
2014年5月19日月曜日
私を満たす時間
満たされた時間1
こよなく愛する彫刻家、安田侃さんのニューヨーク初の個展のレセプションへ。ご本人ともお話でき、久しぶりに気が遠くなるような幸せに全身が粟立った。一つ一つの作品に手のひらを這わせると、石の鼓動を感じることができドキドキ。ごくたまにだけど、生きていてよかったという瞬間が訪れることがある。No art no life.
満たされた時間2
内田光子&バイエルン放送交響楽団による、ベートーヴェンのピアノコンチェルト4番@カーネギーホール。内田がアンコールで軽やかに奏でたモーツァルトが、泣きたくなるほど美しかった。木漏れ日が水面に反射してキラキラ輝く清流が、体という森の中を抜けていくようで、突き抜けるような多幸感に支配された。
Performers
Bavarian Radio Symphony Orchestra
Mariss Jansons, Chief Conductor
Mitsuko Uchida, Piano
Program
BEETHOVEN Piano Concerto No. 4
SHOSTAKOVICH Symphony No. 5
2014年5月12日月曜日
2014年5月3日土曜日
ゴーギャンが憑依
昨日、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催されていた、「Gauguin: Metamorphoses」(ゴーギャン: メタモルフォーゼ展)に行ってきました。
メタモルフォーゼとは「変質」「変容」という意味で、ポール・ゴーギャンの作品を、版画や習作、木製やセラミックの彫刻などをメーンに時系列に並べ、彼の作品のテーマや手法を深く探求するという企画でした。
ゴーギャンが受け入れがたい現実と妄想のはてに創り出した、薄暗い迷宮に迷い込んでいくような感覚にとらわれる、なかなか凄みのある展覧会でした。
ゴーギャンは楽園を求めて南太平洋にあるタヒチ島に渡ったものの、フランス領となっていた島には彼が求めていた美しい世界はなく、貧困や病気に悩まされ、絶望と失意の中で作品を作り続けたことはよく知られています。
暗さを湛えた色彩で描く、タヒチの神々や女性たちの絵や、『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』といった大作については、わたしもそこそこの知識はありました。
しかし各作品の裏にうごめく、彼独特の悪魔性、エロティシズム、島の神話とキリスト教的世界感の融合といったテーマに関しては、この展覧会でより深く知ることとなりました。
ときおり描かれるキツネは「猥褻さ」、および「彼自身」のシンボルであるといった情報は、知るのと知らないのでは、作品の「意味」がまったく違ってきます。
最も強烈だったのは、5歳児くらいの高さはあろうというセラミック製の彫像「Oviri」(オヴィリ)。
これはタヒチの言葉で「savage: 野蛮人」を意味し、女神をかたどっていますが、あくまでゴーギャンが妄想の中で作り上げたもの。タヒチの神話には現れません。
血まみれのオオカミの上に立ち、片手に死んだオオカミの子供を持った女神は、相手を射抜くようであり、うつろでもあるような、気色の悪い大きな目を見開いています。
背筋が凍るような恐怖を覚えました。
ゴーギャンはこれを、彼自身とみなしたそうで、客死したマルキーズ諸島の墓の横に、そのブロンズ像が立っています。
彼が暗闇の中を掘りながら進み、最後まで光を見つけて出ることの出来なかった、狂気じみた人生というトンネルを、短時間で追体験したという感じで、どっと疲れが押し寄せてきました。
これはキュレーターの企画力の勝利だと思います。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
ゴーギャンの怨念のように、わたし自身もこのテーマを背負って今後も生きていくのだと、再認識した次第です。
メタモルフォーゼとは「変質」「変容」という意味で、ポール・ゴーギャンの作品を、版画や習作、木製やセラミックの彫刻などをメーンに時系列に並べ、彼の作品のテーマや手法を深く探求するという企画でした。
ゴーギャンが受け入れがたい現実と妄想のはてに創り出した、薄暗い迷宮に迷い込んでいくような感覚にとらわれる、なかなか凄みのある展覧会でした。
ゴーギャンは楽園を求めて南太平洋にあるタヒチ島に渡ったものの、フランス領となっていた島には彼が求めていた美しい世界はなく、貧困や病気に悩まされ、絶望と失意の中で作品を作り続けたことはよく知られています。
暗さを湛えた色彩で描く、タヒチの神々や女性たちの絵や、『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』といった大作については、わたしもそこそこの知識はありました。
しかし各作品の裏にうごめく、彼独特の悪魔性、エロティシズム、島の神話とキリスト教的世界感の融合といったテーマに関しては、この展覧会でより深く知ることとなりました。
ときおり描かれるキツネは「猥褻さ」、および「彼自身」のシンボルであるといった情報は、知るのと知らないのでは、作品の「意味」がまったく違ってきます。
最も強烈だったのは、5歳児くらいの高さはあろうというセラミック製の彫像「Oviri」(オヴィリ)。
これはタヒチの言葉で「savage: 野蛮人」を意味し、女神をかたどっていますが、あくまでゴーギャンが妄想の中で作り上げたもの。タヒチの神話には現れません。
血まみれのオオカミの上に立ち、片手に死んだオオカミの子供を持った女神は、相手を射抜くようであり、うつろでもあるような、気色の悪い大きな目を見開いています。
背筋が凍るような恐怖を覚えました。
ゴーギャンはこれを、彼自身とみなしたそうで、客死したマルキーズ諸島の墓の横に、そのブロンズ像が立っています。
彼が暗闇の中を掘りながら進み、最後まで光を見つけて出ることの出来なかった、狂気じみた人生というトンネルを、短時間で追体験したという感じで、どっと疲れが押し寄せてきました。
これはキュレーターの企画力の勝利だと思います。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」
ゴーギャンの怨念のように、わたし自身もこのテーマを背負って今後も生きていくのだと、再認識した次第です。
2014年4月15日火曜日
アルメニア人ピアニストとシュトラウスの夕べ
金曜日の夜に行ったミュンヘンフィルのコンサートは、当初予定されていたロリン・マゼールが病気で降板したため、急きょ、ロシア人指揮者、ヴァレリー・ゲルギエフが登場。
会場のカーネギーホール前には、彼の政治的方向性に反対する人々が集まり「国に帰れ」「ゲルギエフよ恥を知れ」「ゲルギエフはウクライナの戦争を支持しているし、同性愛者の敵だ」などとシュプレヒコールをあげていた。
こんなところまで政治の波がと、怒りがわく。ゲルギエフはこの日、このコンサートのために到着し、リハーサル1回のみで臨み、翌朝5時には帰国するという超タイトなスケジュールで来てくれたのに。くだらんことを叫ぶ前に音楽を聞け。彼の存在意義は政治的な方向性ではなく、その演奏にあるのに。
やや憤慨しながら、バルコニー席までふうふう言いながら階段で上がり(カーネギーホールでは老若男女、基本的には階段で移動。安い席ほど、階段で高く高く登らないといけない)、席に着いたら、隣の席の青年が話しかけてきた。
「君は音楽関係者?それともいちクラシック音楽ファン?」
「いちクラシック音楽ファンの方だけど、あなたは?」
「ピアニスト兼、作曲家なんだ。主に現代音楽を作曲しているのさ」
アルメニア出身のその青年の名前はカレン・ハコビアン(Karén Hakobyan)。17歳でカーネギーホールデビューを飾って以来、世界各国で演奏している(らしい、後でウェブサイトで調べたところによると)
プロの音楽家を前にして、本日のプログラムさえ、ろくに予習してこなかった、即席クラシック音楽ファンは、何を話したらよいか分からず少々焦る。が、たぶん彼なりにレベルを落としていろいろと教えてくれて、一緒に鑑賞出来て楽しかった。
ちなみにプログラムはリヒャルト・シュトラウス一色。
「ツァラトゥストラはかく語りき」
「ブルレスケ」
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
人生でこんなに長時間シュトラウス漬けになったことはないというほど、みっちり奈良漬けのごとく漬けられた。特に「ツァラトゥストラはかく語りき」は圧巻だった。なんという楽器の多さ。バリエーションの豊かさ。多分CDだったら長時間聞くのが少々辛いこの曲、全パートを見下ろせるバルコニー席から見る生演奏だと、実に興味深いものがあった。カレン青年も「この曲は素晴らしい」と舌を巻いていた。
「ブルレスケ」はピアノ協奏曲。
「ほら、だいぶオケの楽器が減ったでしょう。あまり楽器があるとピアノの音が聞こえなくなっちゃうからね」
と耳元でささやくカレン青年。確かに、オケの4分の1くらいは退場した。
「普通ピアノ協奏曲は、ピアノが休んでオケが演奏するパートがあるんだけど、この曲はピアノの演奏部分が長くて、さらに難解だからタフな曲なんだよ」
そういう解説付きで見られるとはなんとも贅沢である。
ピアニストはエマニュエル・アックス。妻が日本人であることから、日本での認知も高いらしい。カーネギーホールの常連。アメリカ在住のユダヤ系ポーランド人でなんとウクライナ生まれ…。ゲルギエフと組むことは心中穏やかではなかったのか、それとも芸術家同士、そんなことは関係なく最高の音楽を編み出すことのみに集中出来たのか。即席いちクラシック音楽ファンとしては後者であることを願ってやまない。
3曲の中で、個人的に楽しめたのはこの「ブルレスケ」。ピアノとティンパニの対話が実に愉快。コミカルで発見の多い曲だった。空耳かもしれないが、ティンパニの音すらドレミで聞こえた。(絶対音感は昔はあったが、最近は自信がない)。
と、なんだかんだ楽しんで終わったコンサート。ゲルギエフに心から拍手を送り、カレン青年ともさよなら。「5月にニュージャージー州でボクのコンサートがあるんだ」と誘ってくれたが、あまりにも遠く車がないと行けない(クラシック音楽に全く興味がない夫が運転して連れて行ってくれるとは思えない)ので、「多分無理だわ」と告げる。
来年には初の日本での公演もあるから楽しみとのこと。彼の名前を見たら応援してあげてください。
ちなみに彼のウェブサイト(英語です)はこちら。開くと彼のピアノ演奏が流れます。
http://www.karenhakobyan.com/Home_Page.html
2014年3月25日火曜日
ウィーンフィル&エッシェンバッハ
少し前になりますが、3月15日(土)にカーネギーホールで行われた、ウィーンフィルのコンサートへ1人で行ってきました。
指揮はクリストフ・エッシェンバッハ。フィラデルフィアオケの公演を観て以来です。
プログラムはシューベルトの『未完成』、マーラーの『交響曲第4番』。
チケットは事前に購入していましたが、観客として変な気負いがなく臨めた希有な経験でした。観客なのに気負うというのもおかしな話ですが、「救い」や「法悦」といったものを過剰に求めてコンサートや展覧会へ行ってしまうことが、わたしにはしばしばあるのです。
そして音楽やアートが”本当に”心の琴線に触れたのか、それとは関係なく自分の妄想の中で果てたのか、どちらなのか訳が分からなくなり、自己嫌悪を咀嚼する、まあ、面倒くさいことになることも多くって。
今回、そういった邪念がない状態、デスパレートじゃない状態で臨めたのがよかった。あるいはそんな邪念を抱かせないほど、演奏がよかったのかもしれません。
久しぶりにプロの仕事だと思えるものを観せてもらいました。
媚も隙も一切ない。そして多分、誰よりも演奏者が楽しんでいる。
観客を置いてけぼりにしないが、こっちにおいでと誘うわけでもない。
その場にいられることに素直に幸せを感じられる、そんな時間。
「いいなあ」と思わず微笑みながら観ていました。実にいい。
マーラーが終わった後、エッシェンバッハは余韻を楽しむようにしばらくタクトを掲げた手を下ろしませんでした。観客も息をのんで拍手をグッと我慢。心地よい沈黙。この時間に全てが集約されていたように感じました。
カーテンコールをスマートに終え、アンコールはなくさっさと引き上げる団員たち。
アンコールはなくて正解でした。消化不良を起こさない程度に腹八分目。でも質への満足感は、量が過剰ではないぶん際立つ。大人の食事の仕方のように、大人の演奏の仕方もあるのですね。
帰り道、マンハッタンの雑踏がいつも以上に色彩を持って迫ってきました。
感性が研ぎすまされるのでしょうか。
地下鉄の隣の駅で乗り込んできて、奪い合うように私の隣の席に中国人の若い女性2人は、ぺちゃくちゃしゃべりながら、ゲーム機でテトリスをしていました。そのゲーム音にさえも、どこか愛おしさを感じました。
私の向かいに立っていた白人の若い男性は、ジャズ・アット・リンカーンセンターのプログラムを読みふけっていました。彼も、私とは違う場所、違う音楽で満たされたに違いありません。口元にバラ色の幸せが灯っていました。
2014年3月22日土曜日
アンティチョークな夜
登録:
投稿 (Atom)













