2016年2月3日水曜日

オフィスの避難訓練と警官について

オフィスビルの避難訓練というのは日本でもあるのでしょうか?あったとしても地震や火事といった、自然災害の被害に遭った場合の対応なのではないかと思われます。

本日、わたしの勤める会社が入居しているダウンタウンのビルで、「Emergency Action Plan Drill(通称EAP Drill)」なるものが行われました。
「Drill」とはここでは演習とか訓練という意味。要するに、非常事態が起きたときのための訓練ということです。各階ごとに行われ、わたしのいる19階にも順番が回ってきました。

館内放送で「19階に勤務する人は全員、廊下に出るように」という指示があり、同僚たちとゾロゾロ出たら、そこにはみごとな太鼓腹の白人のおじさん(多分警察関係者)が待っていました。こういった訓練は何度も受けてきましたが、その場で担当者の話を聞くというだけで、非常階段を使って地上に出るといった、行動を伴う訓練はしたことがありません。夫の勤める化学会社では、工場もあり、爆発などの危険性もあるため、実際に表に出て避難をする訓練をするそうです。

太鼓腹のおじさんの話がはじまりました。
「ハリケーン襲撃時にはオフィスで待機して、外に出ないこと。非常階段の場所を確認しておくこと」
この当たりはフムフムといった感じ。

「銃を持った犯人がビルに侵入してきた場合」
この手の話を聞くのは初めてだったので、あらためてそういった可能性もあるのだと、身が引きしまる思いがします。そこからの説明はだいたいこんな感じでした。

「いいか、キーワードは『ABC』。このABCで覚えてくれ。Aは「avoid」。銃撃音が聞こえたら騒がないこと。非常アラームを鳴らすなんてもってのほか。人質をとった犯人が興奮して殺しちゃうかもしれないだろう。携帯電話の音を鳴らすのもダメ。音を切ってくれ。とにかく犯人を刺激しないように気をつけよう。次はBの「barrier」。オフィスにこもって、犯人が入ってこないようにドアの内側からバリアを築くんだ。そのとき、いざというとき武器になるものを探しておけ。野球のバット、ゴルフクラブ、消火器なんかが使える。最後はCの「confrontation」。ドアを破って銃を持った犯人が侵入してきたら、消火器の中身を顔に向って噴射するんだ。椅子でもなんでもあるものを使って抵抗しろ」

おじさんの説明はまだまだ続きます。

「やっと警官が来た。しかしここで喜ぶのは早い。『Thank you officers!』などと叫びながら駆け寄っていこうものなら警官に撃たれるぞ。警官だって誰が犯人かまだ分からないんだ。近寄ってくるヤツは問答無用に撃つ可能性だって大いにある。オレだって、突入した瞬間に近寄ってくるヤツがいたら撃っちまう。こっちだってものすごいナーバスな状態なんだ。みんながやるべきこと。それは両手を頭の後ろに回し、静かに警官の指示に従って避難すること。分かったかい。以上。解散」

そうか、消火器は護身用具になるうるのか。ということでさっそく、消火器の位置を確認しました。ただ、そんな非常事態下で、うまく犯人の顔に向けて噴射できるかどうかは自信ありません。使い方もよく分からない。使い方の実地訓練をしてくれた方が役に立ったのに…。

そして警官に撃たれる可能性があるというのは、あながちあり得ない話ではありません。
実際、2012年にエンパイアステートビルの近くで、解雇されたことを逆恨みした男が元同僚を銃殺する事件が起き、その後、犯人も駆けつけた警官により銃殺されたのですが、警官の銃から発射された流れ弾で9人もの市民が負傷し大問題になったのです。幸い9人は命に別状はなかったとのことですが、これで警官への不信感は一気に高まりました。命中率悪過ぎるでしょう。数撃ちゃ当たるみたいな感覚で発砲しないで欲しいものです。一般市民は銃を持ち歩いていないのに、警官は銃を所持して街をウロウロしているわけで、彼らの誤射による死亡事件もありますし、実は一番怖いのは警官なのかもと思うことすらあります。

そしてそんなことより、このビルは老朽化のせいか、エレベーターがすぐに故障するので、そちらの方が銃撃より恐ろしいです。19階まで上がるエレベーターは3基ありますが、最近は毎日どれか1つは故障中。上昇中に停止してしまい、40分ほど閉じ込められた同僚もいました。

このオフィスを去る日まで、いや去った後も、事故や事件のない平穏な日々が続きますように。

2016年1月17日日曜日

魚料理の楽しみ方(ブランジーノ)

日本では簡単に手に入る、イワシ、アジ、ホッケ、ブリ、メバチ、タチウオといった魚は、アメリカの普通のスーパーマーケットではまず手に入りません。ニューヨークにある日系のスーパーマーケットまで行けば、刺身になった魚か、やや目の濁ったイワシやアジの干物、季節によってはサンマくらいは手に入ります。高級寿司レストンへ行けば、さすがニューヨーク、築地市場直送の魚を使った旬のネタもいただけますが、お値段が目玉が飛び出るほど高いので…。

アメリカで多分もっとも普及している魚はサーモン、フラウンダー(ヒラメ)、ティラピア、モンクフィッシュ(アンコウ)、ツナ(マグロ、刺身で食べる勇気はない)あたりではないでしょう。鮮度が信用出来ないので、日系スーパーで「刺身用」として売られているもの以外は、基本的に火を通していただくようにしています。そうでなくとも、調理法としてグリルして食べるのが一般的です。

なかなか日本のように美味しい鮮魚(特に青魚)は手に入りませんが(今私が一番食べたいのは「なめろう」です)、工夫すれば魚料理も楽しめます。来米してから知ったのが地中海産のブランジーノ。バターのような、なめらかな食感と一度食したらとりこになる品のあるうま味があり、自宅でも上手に調理すれば絶品料理になるということが分かりました。

写真は、夫がオーブンでローストしたブランジーノ。仕上げに、ガーリック、唐辛子、レッドワインビネガー、オリーブオイルでできた熱々のオーリオソースをジュワーっとかけていただきます。

付け合わせは(こちらも夫の得意料理)茹でたチャードとジャガイモを、手作りベシャメルソースとローストした松の実で和えたもの。仕上がりはお好みでしょうが、わたしはベシャメルソースがどろりと具材と濃厚なカラミを見せる方が好きです。ナツメグを隠し味に使うのがポイントとのこと。お供はスペイン、ガリシア地方のアルバニーニョ種のブドウでできた、すっきりとした味わいの白ワインでした。

朝食と昼食を兼ね備えた食事のことをブランチと言いますが、これは朝食、昼食、夕食を兼ね備えた、いわば「ブランチナー」。つまり遅く起き、食材を買いに走り、ビールを飲み、オリーブをつまみながら調理をし、本格的にワインを開け食べはじめたらもう夕方。一食しか食べる時間がないのです。1日は短いですね。

以前はこの夫が提唱するスペイン的ライフスタイルについて行けず、散々飲まされた後、酔いが冷めると、私は一日だらけていた、何の進歩も見られない一日を過ごしてしまった、何のために一日を過ごしたのであろうか、と激しい罪悪感と自己嫌悪でいっぱいになり、ポカポカ頭を殴ったり、柱に頭を打ち付けたりする日々が続いたのですが(すでに酔っぱらっての自己嫌悪ですから激しいのです)、最近「人生とは美味しいものを食べ、楽しむものである」という夫の哲学にすっかり洗脳され、一応は体重が増えすぎないように意識をしつつも、ラテン系のお気楽週末の過ごし方が身に付いてしまいました。(仕事が終わらないので明日は自主的に出社して仕事をしますが)。

とはいっても、胃が弱っているときは、お粥が欲しいなあと思いますが…。

2016年1月2日土曜日

年越し大宴会は踊る

Happy New Year.
¡Feliz año nuevo! (フェリス・アニョ・ヌエボ)
明けましておめでとうございます。
大晦日から新年にかけて、いかが過ごされましたか?インターネット上にアップされた写真で見る限り、元日はいいお天気で、青空に映える富士山が各地で拝めたようですね。羨ましいです。お雑煮が食べたい…。

私は夫は、ニュージャージー州ニューアーク市のクラブ・エスパニャ(バーとレストランがついた県人会館のようなところ)で開催された、スペイン移民(主にガリシア地方出身者)とその家族、約250人の老若男女が集う年越し大宴会で年を越しました。
午後7時から午前2時過ぎまで、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って、食べて、飲んで、踊って、踊って、踊って…
と、果てしなく続くと思われる時間の中、年が明けていきました。

スペイン流のハードコアな年越しは、胃弱かつ、リズム感がなく踊るのが大の苦手な私には辛いものがあります。

特にダンス…。音楽と踊りが生活の一部という国の人たちは結構いて、今までに出会ったヨーロピアン、中南米出身者、アフリカンアメリカン、ジューイッシュなどの人たちは、それぞれのルーツのリズムや踊りが子供のころから身に染み付いている人が多かったです。彼らはパーティーのダンスタイムが楽しくて仕方がないようですが、盆踊りすらろくに出来ない私は、このパーティーにつきもののダンスタイムが非常に、非常に苦痛です。

君たちはこの世に踊れない人がいるなんて想像もできないのね。とため息。断れないので無理矢理踊っているふりをしていますが、明らかに一人不格好。ステップもおかしい。手拍子すらズレる。鹿鳴館時代に生まれていれば、もうちょっとましだったのではないかとすら思います。その国の言語なんか話せなくても、彼らと一緒に踊る喜びを共有できれば、すっと懐に入って仲良くなれるはずです。生まれ変わるならダンスの才能がある人になりたいものです。

さてさて、壁の花子の恨み節は置いておいて、今年もこの情熱的な夫との愛を深め、時に激しく喧嘩をしながらも、なんとか手を取り合って生きていきます! よろしくお願いいたします。

2015年12月16日水曜日

他人の死とその受け止め方について(異文化理解の苦しみ)

夫がニューヨーク市立大学ブルックリン校でのポスドク時代にお世話になった、ベネズエラ人の教授が亡くなった。癌から何度となく復活した人だったが、急に体調を崩し、そこからは早かった。母国では非常に有能な科学者として知られていたが、政治的事情で去ることを余儀なくされ、彼を受け入れたアメリカで息を引き取った。

何度かお目にかかったことがあるが、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。夫も彼と会うとスペイン語になってしまうので、さらに化学者同士の専門的な話ばかり、会話についていけず、ひたすら退屈だったという記憶の方が大きい。本日はブルックリンでお別れの会。仕事が忙しくて、というのもあるが、そもそも行く必要性を感じず私は不参加。

深夜、泣きはらした目で戻ってきた夫に、教授の未亡人と娘を囲んでクリスマスイブはスペイン人同士で集まるから参加しろと言われ、「あなたは行けばいいが、私は行く必要ないと思う」と拒否したため大げんかに。

最近、だんだんとスペイン人の集まりに参加するのがおっくうになってきている。スペイン語ができないし、英語で会話しても正直共通の話題が見つからない。笑いのツボも分からない。だったら家にこもって、焼酎を傾けながらカズオ・イシグロの小説でも読んでいたいというのが本音だ。海外に住み、国際結婚をしているとは思えないほど、グローバル化と真っ向から反対する姿勢だが、正直この傾向がだんだんと強くなっている。ようは、毎日毎日、こなさなくてはいけない、異文化コミュニケーションが面倒くさいのだ。

幸か不幸か、私は葬式というものに生まれてこのかた行ったことがない。人の死ではじめて涙にかきくれたのは、ピアニストのグレン・グールド。以来、尊敬するアーティストやシリア難民の子供の死、非業の死を遂げたジャーナリストなどに対しては号泣するくせに、身近な人の死を悲しいと感じた記憶がほぼ無いに等しい。

近しい人を亡くした悲しみというのは非常にパーソナルなもので、その死を受け止め、消化できるまでひたすら向き合い、時が癒すのを待つしかない、のではないだろうか?その時間は誰かと共有できるものではないし、できればさっさと忘れて過去を断ち切る方が、その後の人生をポジティブなものにするはず。他人と手を取り合い、共に時間を過ごすことで、悲しみを分かち合うということに、どうも胡散臭さを感じてならない。「分かるよ。その悲しみ」と寄り添うこと自体偽善だし、欺瞞だとすら感じる。というのが、葬式バージンのひねくれ者の机上の空論。

この考えに夫は猛反対。彼は大好きだった祖父母の死を少年の頃から受け止め、乗り越えてきたベテラン。悲しみの底にいる人には寄り添ってサポートするのが当然。それが理解できないなんて人でなしだ。愛情というものが枯渇している。そもそも今日はお別れの会にお前も行くべきだった。オレを愛しているのであれば、オレの悲しみも理解し支えるべし。そもそもオレが死んだらお前はどうするんだ?悲しまないのかと。彼の生い立ち、そのエモーショナルな国民性を考えると、しごくもっともな意見だとは思う。

そう言えばシティーホールで結婚するときも、
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
的なことを言われ、「I do」と言っちゃったし。今更ながら恐ろしい契約をしてしまったものだ。

夫が亡くなったら、もちろん一定期間悲しむが、その後、非常に現実的になるのだろう。と計算高い妻は思う(さすがに本人には言えないが)。葬儀にいくらかかるのか、貯金で足りるのか、彼の両親にはどう伝えるのか、遺体はスペインに送るべきか、その後の私の人生はどうなるのか。保険金はどう受け取るのか。新たに私の人生を支えてくれる、稼ぎのいい将来有望な男性を見つけることができるのだろうか、何歳まで私は女としての商品価値があるのだろう、いやいやそんなことは望めないから仕事を続けなければ。などなど。

そうは言いつつも、本質的には邪悪な態度を取り続けられないので(取り続けるとそれはそれで罪悪感で苦しめられるし)、クリスマスイブにはしぶしぶそのスペイン人の会に参加することになるのだろう。行ったら行ったら発見があって、悲しみがいい感じで憑依してきて、手に手を取り合って適宜泣いたりハグしたりできちゃうのも知っている。

でもどこかで、邪悪な悪魔が耳元でささやくだろう。
それって、本意じゃないんだよね。いいんだよ、その計算高さが君を作っているのだから。

って。

2015年8月22日土曜日

スペインレポート1/ピレネー山脈を歩く



ご無沙汰しております。お元気でしょうか?

私はいま、夫の故郷スペインを旅行中です。ただただ仕事に謀殺されるニューヨークの生活より、はるかに発見の多い豊かな時間を過ごしておりますので、スペインから何回かリポートをお送りします。

数日前にはフランスとの国境境にあるピレネー山脈で、夫の友人らとハイキングをしてきました。2日連続で違うルート。1日目のルートは「Ibones de Ordicuso」(標高2100m)、2日目のルートは「Pico Pazino」(標高2000m)でした。

大自然の豊かな美しさ、カラフルさに圧倒され、ときおり野生のヤギやクマ、イノシシなどの落とし物の臭いが漂うものの、それを込みにしても空気が美味しく、遠くから聞こえるカウベルのガランゴロンという音色が心地よく、頬をなでる風が優しく、この世のものとは思えない幸せと穏やかな心に満たされました。アウトドア派ではないのですが、これをきっかけに山登りに目覚めそうです。

結婚前のことですが、ホームシックにかかった夫が、ワインを飲みながらピレネー山脈の写真を見て「山へ行きたい。山は本当に美しいんだ」涙を流しているのを見たことがあります。また私が仕事のストレスでパニックになっていると、「ほら山の大自然を想像してごらん。些細なストレスなんか忘れちゃう美しさでしょう」と励まされたことも、多々あります。山に対してそこまでの感情をいだいたことのない私は、一体この人は何を言っているのだろうと不謹慎にも笑ってしまったことがあるのですが、一度登ってみると、彼の言わんとするところが多少分かったように感じました。

私にとってこの風景は、山は違えど映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、トラップ一家が徒歩で山を越えて逃亡先のスイスへと向かうシーンを思い出すものでした。頭の中ではエンドレスで「Climb Every Mountain(すべての山に登れ)」が流れていたのですが、夫にとっては「ロード・オブ・ザ・リング」のイメージの方が近いようです。

今回は山ボーイである夫のルーツを一つ一つたどる旅となりました。ちなみに日本では一時期(今もでしょうか?)ファッショナブルなアウトドア服を身につけて山登りをする「山ガール」が流行ったそうですね。実際に見た事がないのですが、ピレネー山脈には多分いなかったと思います。ちなみに私がお世話になったのはユニクロのヒートテック。山って、夏でも寒いのですね。

2015年6月5日金曜日

ターナー島発見

The scenery reminds me J.M.W. Turner's artwork.

あの塔を見給え、閉じた傘と思えばターナーの松に見えないでもないじゃないか。

ここで一句「初夏の暮れ、塔に潮満つ、マンハッタン」。
一応オリジナルは「秋晴や 松に潮こす 四十島」(正岡子規)

2015年6月1日月曜日

マンハッタンを掌に

Come to Jersey City if you want to grab Manhattan in your hands.

マンハッタン定点観測。ビールを飲みながら対岸のジャージーシティーのバーから見とれているうちに、とっぷりと日が暮れてしまいました。

マンハッタンは少し離れて、ハドソン川越しに見る方が綺麗です。掌に収まる、従順なスカイスクレーパーが得られます。